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苦を終わらせる4つの真実〝四諦〟

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苦を終わらせる4つの真実〝四諦〟

苦を終わらせる4つの真実〝四諦〟

2022/05/08

日曜は古典研究カテゴリーの記事を投稿しています。


塾生のひとりから受けた質問と

そのとき話したわたしの答えの概要を整理したもので、

仏教の根幹となる「四諦」について話しています。

 

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Q:みんなライフステージは違えど苦労するもんだと思うんですが、自分はなんでこんなに苦労しなきゃいけないんだと思ってしまいました。生きるということは、何でこんなにも苦しいのでしょう? 人はなぜ苦しむのでしょう?

 

A: 「人生とはそもそも〝苦〟なんだ」というのがお釈迦さまの悟りですね。釈迦は「どうしたら人はシアワセになれるのか?」ではなく、「どうしたら人は苦しみをなくすことができるか」と考えたわけです。最初は不生不滅の永遠のいのちというか、ほんとうの自分というか、真我(アートマン)を求めて出家したんですが、6年間の難行苦行を重ねた末、35歳のときに難行苦行はまったく必要ないこと、真我は人間の観念の産物であって実在しない(=無我)ことに気づき、悟りを開いたことを周りの人間に説いたと言われています(初転法輪)。仏陀(ブッダ)というのは「目覚めた人」という意味の尊称。

 

初転法輪の骨格は、四諦と五蘊観で、四諦について漢訳仏典では「苦集滅道」という四つの漢字が充てられました。諦は文字の通り「諦め(アキラメ)」ということですが、いまでは断念するなどネガティブな意味合いで使われることの多い「アキラメル」は、もともと仏教由来の言葉で「明らかに見極める」が縮まったもの。つまり、四諦は、本当のことを見極めようとして明らかになった「四つの真実(真理)」と捉えればいいでしょう。よって、もし苦しみのない生き方を実践しようとするのであれば、釈迦自身の教えのなかにそのヒントはあるとおもいます。

 

【四諦】
苦…人生には四苦八苦とよばれる苦の事実がある
集…苦の事実は苦のタネではあるが苦の原因ではない
滅…苦の原因は自分で作り出しているので終わらせられる
道…苦の原因を終わらせるための方法(→五蘊観)がある

 

四諦を理解するポイントは、自分の意志でコントロールできない苦の事実と、自分の意志でコントロールできる苦の原因を混同せず切り離せるかどうかにあると言ってよいでしょう。だいたい、人間の苦しみというのは、変えられないものを変えようと抵抗し、変えられるものをそのまま放置していることで生じるわけで、その原因は結局、認識不足、観察不足にあるのですから。

 

人生においていろいろ体験することは、そもそも苦しさをともなうもの。わたしたちは体験するために、わざわざ時間と空間の制約がある肉体をもって、この世へと生まれ出て来たんだから、苦の事実をちゃんと受けとめて、自分の感受性を研ぎ澄まし、解像度を上げ、認識を新たにさえすれば、何も恐れることはないんだと。

 

つまり、苦を避け逃げようと外側に目を反らしている限り苦はなくならないけれど、自分の内側に目を向け、その苦の事実をしっかり体験すれば、苦の原因を作り出しているのが他でもない自分自身だということもわかってきて、そこに気づけば苦は苦でなくなってしまうというわけです。

 

また、このうち四番目の「道諦」について、いわゆる一般的な仏教学の学説においては、苦を終わらせるための方法論が「八正道」となっています。でも、正しさを伝えるには、何をもって正しいと言えるのか、その基準を示す必要があり、その正しさとは何かがわかっていない者に対して「正しい道」を語ったところで、実践できないので、釈迦ほどの天才がそんなことすら気づかずに「八正道」を説くはずがなく、この考え方には疑問があります。

 

在野の仏教研究家・冨永半次郎氏は、釈迦の教えを正しく受け取れなかった弟子たちが、苦しまぎれに大脳思考次元で整理したものが「八正道」で、道諦は「五蘊観」であると見做したそうなんですが、わたしもその説が適切であるように考えています。ようするに五蘊観とは、人間の精神作用を「色受想行識」という5つのプロセスで示したもので、これこそが、本当はどこにも存在しない「自我」を、あたかも存在しているかのように生み出してしまう大脳思考のカラクリであるからです。

 

だから、苦の対極に楽があるのではなく、苦の対極として特別なモノとして悟りの境地が得られるわけでもないのです。そもそも、苦とか楽とか区別しているのは自我のはたらきであって、特別な人が特別な修行を積み、特別な境地に達することが悟りではありませんから。困難な修行の末に、悟りが訪れるというのも人間がつくりだした観念なので。

 

「悟」という漢字は忄(りっしんべん)+吾ですから、「自分の心」という意味です。つまり、自分の本心をそのまま知ることであり、その本心で生きるということですから、執着を手放したら悟れるというのもウソです。しっかり苦しむことがそのまま生きることであり、そのままで悟りなのですから。悟りとは、けっして到達すべきゴールなどではなく、むしろスタートラインに立つことだと言ってよいでしょう。

 

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