寺子屋塾

〝カタ〟がなくてお前に何ができるっていうんだ!

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〝カタ〟がなくてお前に何ができるっていうんだ!

〝カタ〟がなくてお前に何ができるっていうんだ!

2022/05/07

今日は土曜なので、らくだメソッド関連の話題を

書く日なんですが、昨年10/11に書いた
『ドラゴン桜2』全巻オトナ買いしました
という記事とも関連付けながら、

らくだメソッドにおける〝学びの基本〟とは何か

というテーマで書いてみようかと。

 

「学ぶ(まなぶ)」というコトバのモト、語源は、

「真似る(まねる)」だという説があります。

 

まねる → まねぶ → まなぶ となったんだと。

 

つまり、何かを学ぼうとするとき、

まず最初にやることは、

お手本、基本にあたる〝型(カタ)〟を覚え

それを「真似る」こと。

すべてはここから始まる、というわけです。

 

らくだメソッドの場合は、これがものすごく明確で、

「1日1枚プリントをやる」という形で

とてもシンプルに設定されています。
 

1日24時間は、誰にとっても平等に

与えられているわけですから、

1日のうちに、答え合わせも含めても

30分以内で終わるプリント1枚が

できない理由はどこにもないわけで。

 

まず、これが基本原則であり、

〝型(カタ)〟であるわけです。

 

もちろん、原則はあくまで原則ですから、

どうしてもそのようにできないときには、

原則ばかりにとらわれることなく、

半分やるとか、一行だけでもやってみるとか、

柔軟に例外的対処をすればいいわけですが、

人間はすぐ易きに流れてしまうものなので、

柔軟になりすぎ、

原則そのものを忘れてしまわないように

しなければいけません。

 

4年ほど前に、学習塾ことばこの尾関塾長がblogに

決まった動きをすることで実は心が自由になるという話

という記事を書かれていたんですが、

たとえば、茶道の場合では、

自分がどうしたいかということを一旦脇に置いて、

まず、決められた型どおりに動いてみるという

お稽古をするわけです。

 

そうした時間をときどき持つことによって、

自我というものが抑止され、

それまで無意識に動いていた自分の身体に対して

意識を向けるということが起き、

自分自身の所作に、客観的に自分で気付くという

自覚的な姿勢が生まれてくるわけで。

 

らくだメソッドの場合もまったくこれと同じで、

「1日24時間ある生活のなかで、

1枚のプリントをやる」という所作を

新たに組み込むことによって、

それがあたかも〝鏡〟の役割を果たすことになり、

自分のそれまでの時間の使い方に対して、

否が応でも自覚的にならざるを得ません。

 

でも、最初はぎこちなかった動きであっても、

繰り返し繰り返しトライしているうちに

身体が慣れて来て、ひとつの型が身に付いてくると、

意識しなくてもそういう所作が

自然にできるようになってきますから、

それが、その人の日常の立ち居振る舞いにも影響し、

心に〝自由〟が生まれてくることに。

 

ときどき、「たとえ1日30分の時間であっても、

その時間を別のことに使った方がいいように

おもえてしまって、プリントができませんでした」

という塾生がいるんですが、

そうした場合はたいてい

「1日30分プリントをやる」と

本心から自分で決めているわけではなくて、

人から言われ、人からやらされている意識があるから、

プリントをやっている時間のことだけしか

考えられなくなってしまうのでしょう。

 

前に記したように、

茶道のお点前が、お茶を点てている時間だけでなく、

日常の立ち振る舞いにも影響するという話は

わかりやすいとおもうのですが、

「1日30分プリントをやる」と、

真に自分で決めて学習を進められていれば、

プリントをやる時間〝以外〟の

時間の使い方にまで影響が及んで、

その人自身の幅が広がるというか、

それまでより多くのこと、より質の高いことが

自然にできるようになっていくわけです。

 

つまり、「自由」と「制約」は

トレードオフの関係にある

対義語であると捉えがちなんですが、

現実には必ずしもそうではなく、

「型(カタ)」という制約は、

捉え方や工夫次第で、

「自由」を生み出す母体にもなり得るわけです。

 

この話は、すこしまえにも書いた

「情報の定量化」ってどういう意味ですか?

という記事の中の、サッカーというスポーツは

キーパー以外手を使わないという

ルールがあるから面白くなるという話にも

つながると言ってよいでしょう。

 

『ドラゴン桜2』第2巻の12限目に

桜木先生が、生徒に向かって
〝カタ〟がなくてお前に何ができるっていうんだ!
という場面があります。(冒頭の画像3枚)

 

基本を身につけた上、そこから自分で創意工夫をして

飛び出した人のことを「型破り」と言いますが、

それに対し、「型無し」というのは、

物事の基本すら身につけていない人のことです。

 

「型破り」と「型無し」とは似て非なるもので、

基本でありモトとなる「型」の無いところに、

そもそも応用できる自由さであるとか、

「型破り」な実践などないわけで。

 

もちろん、そうした型を

窮屈に感じる人は少なくありません。

 

誰もがホンネでは、自分流にやりたいでしょうから。

 

でも人間、自分のことをわかっているようで

わかっていないことが少なくなく、

自分を客観視すらできない状態での自分流は

結局、エゴまる出しの〝無手勝流〟にとどまって、

自分の枠そのものを拡げる応用が利かないので、

伸び悩んでしまいがちなんですね。

 

つまりポイントは、人からそう言われたからとか、

そうすれば、何かイイコトが得られるからという

受動的、合目的的、功利的な姿勢で

外側にあるカタに対して

無理やり当てはめ押し込めようとするのでなく、

自ら決めて、自らすすんで能動的に

カタを真似ているかどうか。

 

外側に見えているカタを使って、
自分の〝内側〟に働きかけようとしているかどうか。

 

そうした〝心持ち〟の部分がいちばん重要なんですが。

 

そうした主体的な姿勢で

自分の内側を常に観察しながら、

まず、カタ通りやってみるという実践抜きには、

真の学びは起こりにくいし、

自由闊達さを手に入れるのは

難しいのではないでしょうか。

 

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