君子ハ德ヲ懐ヒ、小人ハ土ヲ懷フ(「論語499章1日1章読解」より)
2022/05/22
論語は全部で499章あるんですが、
2019年の元旦から2020年5月13日まで
約1年半の間、1日に1章ずつ読んで
その内容をfacebookに投稿することを
日課としていました。
その内容を古典研究関連のカテゴリーで
少しずつ紹介しているんですが、
今日は里仁・第四の11番(通し番号77)です。
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【里仁・第四】077-4-11
[要旨(大意)]
君子と小人を対比的に述べた章。
[白文]
子曰、君子懐德、小人懷土、君子懷刑、小人懐惠。
[訓読文]
子曰ク、君子ハ德ヲ懐ヒ、小人ハ土ヲ懷フ、君子ハ刑ヲ懷ヒ、小人ハ惠ヲ懐フ。
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、君子(くんし)ハ徳(とく)ヲ懐(おも)ヒ、小人(しょうじん)ハ土(ど)ヲ懐(おも)フ、君子(くんし)ハ刑(けい)ヲ懐(おも)ヒ、小人(しょうじん)ハ恵(けい)ヲ懐(おも)フ。
[ひらがな素読文]
しいわく、くんしはとくをおもい、しょうじんはどをおもう、くんしはけいをおもい、しょうじんはけいをおもう。
[口語訳文]
先生(孔子)が言われた。「君子は徳(という見えないものの価値)を常に意識しているのに、小人は土地財産(という見えるものの価値)を意識している。君子は道に沿うかどうかを常に意識しているのに、小人は自分に得になるかどうかを常に意識している。」
[井上のコメント]
「君子は公益を意識し、小人は私欲に囚われる」という意で君子と小人を対比的に訳してみました。
前半は見えないものと見えるものを対比し、後半はもととなるよりどころをどこに置いているかで対比しています。当時は刑罰の意味では、荊という文字を用いていたようで、ここでの刑という文字は、法律制度の意で解しました。徳(toku)と土(do、to)、刑(kei)と恵(kei)で韻を踏んで記述しているところも面白いところです。
ちなみに、荻生徂徠はこの章を「治者が徳を想えば、被治者は土地に安住し、治者が刑罰を思えば、被治者はお情けを思う」と前半と後半を対比させ全体を一対の内容として解したようです。論語には君子と小人が対比的に語られている章が何度も出て来ますが、この徂徠のように、君子=統治者、小人=被統治者と解する学者は少なくありません。しかし、孔子自身は、統治者ではなかったわけですし、必ずしもそうではないようにおもいます。君子=道徳的な人=りっぱな人、小人=不道徳な人=つまらない人、というステレオタイプな理解に陥らないよう気をつけたいものです。
[参考]
君子と小人については、小倉紀蔵『新しい論語』P.113~158に1章を設けて詳しく述べた箇所があり、旧来のステレオタイプな理解を退けた新しい見解が述べられています。
※参考記事
<論語を読み直す> 小倉紀蔵氏「論語は誤読を繰り返されてきた」!(2013.9.14 に奈良で行われた小倉氏講演会レポート)