苦手意識は克服しなくていい(つぶやき考現学 No.49)
2022/06/08
苦手意識の裏側には、
いつも「できる自分」でいたいという
プライドが隠れている。
「できない体験」を辛く感じるのは、
「できない自分」という現実に
直面したくないからに他ならない。
つまり、「できない自分」に落ち込み
否定的評価を与えているのは、
世間でもまわりの人間でもなく
他でもない自分自身だ。
でも、ほんとうは誰もが
「できるようになりたい」と
心の底ではおもっているのだから、
その本心をごまかさず、
自分のなかにある意欲として
そのまま素直に認めるだけでいい。
だから、苦手意識を
克服する必要などなく、
自分の苦手意識を
「しない理由」にせずに、
苦手意識をもったまま、
やり続けようとするだけでいい。(2017.2.14)
※井上淳之典のつぶやき考現学 No.49
COMMENT:
「井上さんって、色々なことをされていますよね」って
よく言われます。でも、わたし自身は、
あまりそういうふうに考えたことがありません。
他の人からはいろいろやっているように見える
一つひとつのことは、すべて28年前に
寺子屋塾を始めたことが発端で起きていて、
人から頼まれたことは、
自分とって苦手におもうことであっても、
基本的に断らないようにしてきました。
講座や研修の講師やファシリテーター、
様々なプロジェクトに関わるスタンスも、
まわりから求められたことを求められるままに、
寺子屋塾の教室内でやっていることを
そのまま形を変えて応用しているだけだからです。
そんなこともあって、わたしは
1つのコトに集中するのは得意ですが、
さまざまなことを同時並行的に処理していくことは
最も苦手なことです。
たとえば、自宅にいる時には、仕事をしながら
家事をしてますが、様々な作業を同時並行的に
やらないといけないお料理は
わたしにとってはストレス値がかなり高いのです。
でも、そのように苦手だっておもうのは
自分ひとりの主観にすぎなくて、
そういう意識やできないことで苦しみを
生み出しているのも、他でもない自分自身なんですね。
結局そうした苦手意識を観察し続けてきたお陰で
苦手意識を生み出しているモトは、
そのことができるようになりたいという
意欲でもあると気がついて、それ以後は
苦手意識自体を否定しないようにしてきました。
とはいえこのことは、よく言われる
ポジティブシンキングとか、
苦手なことを得意だとおもいこもうとすることとは
違うのです。
苦手なことは苦手なので、そのことに蓋をして、
無理に得意だとおもいこもうとすることは、
新たな負荷を背負うだけですから、
苦手なことは苦手なまま、ただやればいいのです。
つまり、どんな苦手なことであっても、
やり続けて数を重ねていきさえいれば
自然に上達していくものだから、
苦手だとおもうことを
自分がしない理由にさえしなければいいわけで。
それに、苦手な料理や片付けであっても、
それをしながら自分の好きな音楽を
聞くようにするとか、たのしくやれるための工夫は
いろいろあるんですね。
そんなふうに考えると、
苦手意識というのは宝物のようなもので、
克服してしまうのは勿体ないことなんだと。笑
学生時代は、勉強も一夜漬け型で
コツコツやるのは何より苦手だったわたしが、
6000枚も同じプリントをやったり、
2000日も毎日欠かさず
サイコロを振り続けたり、
書くこと、話すことなどのコミュニケーション、
人付き合いが苦手だったわたしが、
ファシリテーション講座のガイド役をしたり、
大学の授業で教えるようになったりするなどとは
本当に夢にもおもわなかったことです。
だから、自分がこのようにいまあるのは、
苦手意識のお陰であり、
苦手意識がわたしをここまで育ててくれたんだと、
改めておもいださせてくれた詞でした。