読書会『世界は贈与でできている』に参加しました
2022/07/09
土曜はらくだメソッドや塾生関連の話題を
投稿しているんですが、
今日は寺子屋塾生の本田信英さんが企画された
近内悠太『世界は贈与でできている』の読書会に
参加したので、そのことについて。
この本の内容については、
7/1に書いた記事 世界は贈与でできている で
紹介したので、そちらも併せてご覧ください。
わたしもこの本は手に入れたばかりということもあり、
まだ全部を読めていないんですが、
本田さんの読書会も、つんどくらぶ方式というか、
参加者で回し読みをして、読んだ箇所について
意見交換をするというスタイルだったので、
安心して参加できました。
今日の読書会で読んだのは、まえがきの全文と、
第1章のうち映画『ペイフォワード』の内容に
触れた箇所(P.32後半〜P.41)を除いた部分です。
3時間の読書会でやりとりした意見は本当に多様で、
とても書き切れないのですが、
たぶん本田さんの方から開催レポートのような形で
近々に発信があるとおもいますので、
そちらを楽しみにすることにして、
今日はまえがきに書かれている内容に対して
浮かんだ問いと気づきを2点だけ。
7/1にも書いたんですが、
本書のアウトラインが示されたまえがきには、
僕らが必要としているにもかかわらず
お金で買うことのできないものおよびその移動を、
「贈与」と呼ぶことにします。
必要であり、重要なのに、この贈与の正体が
わたしたちはよくわかっていません。
とあります。
これはわたしも
本当に書かれている通りだなとおもったんですが、
ここを読んだときに浮かんだ問いは、
なぜ、「贈与」という大事なことを
わたしたちは考えたり学んだりする機会があまりなく
ちゃんとわかっていないのかということでした。
たとえば、この「贈与」とは真反対の対極に位置する、
「いかにお金を稼ぐか」というようなことなら
考えたり学んだりする機会は
世の中にたくさんあるようにおもうのですが、
この問いについて考え続けることは、
本書全体の内容を理解する上でも
重要なことになりそうな予感がしています。
あと、まえがきの冒頭には、
1990年代のスイスで起こった、
核廃棄物の処理場を建設する候補地として
ある小さな村が選ばれたときに行われた
事前アンケート調査でのエピソードが
書かれていて、51パーセントの住民が
「処理場を受け入れる」と答えたのに、
国が全住民に毎年、多額の補償金を支払うという
前提を加えた上で、
もう一度アンケートを実施したときには、
賛成派は51パーセントから
25パーセントに半減してしまったという話なんですが、
その部分を読んでおもいだしたのは、
内田樹さんの次の言葉です。
これだけ努力すると、
これだけ「いいこと」があるよというふうに
事前に努力と報酬の相関を開示してしまうと、
子どもたちの学びへの動機づけは歴然と損なわれる。
学びというのは、
「謎」によって喚起されるものだからだ。
※内田樹・街場の至言(非公認bot)on twitter より
寺子屋塾では、
親や先生から「勉強しなさい」と言われなくても、
自分からすすんで学習する姿勢は如何にして育つか
ということを
大事なテーマとして考え続けてきたこともあって、
こうした類いの言葉には
敏感に反応してきたつもりです。
この「人から言われずともすすんで〜する」という
ボランタリーな姿勢というか、内発的動機づけと、
「贈与」というテーマは結構近いというか、
すくなくとも重なる部分があることは
確かでしょう。
でも、こういうことを
長年考え続けてきたわたしにとってでさえ
内発的動機付けと贈与との関連については、
これまであまり考えたことがなかったことに
改めて気づかされ、
そのこと自体がとても意外であったと同時に、
新たな発見でもあったのです。
寺子屋塾を始めて4年ほど経った頃に出され、
夢中になって読み、しかも読書会までも開催した
『ボランタリー経済の誕生』という本があるのですが、
その本もいろいろと関わりがありそうで、
引っ張り出して読みなおすと
何かが見えてくるかも知れません。
いずれにせよ、この先を読み進むのが
何より楽しみになった今日の読書会でした。
※7/11追記:本田さんによる開催レポートはこちら