安田登『役に立つ古典』〜古典から何を学ぶか〜
2022/07/17
日曜は古典研究カテゴリーの記事を投稿しています。
先週7/10書いた記事は、論語499章1日1章読解から
「中庸」について書かれた章、雍也・第六の27番
(通し番号146)を紹介したんですが、
コメントに次のように書きました。
そもそも中庸な状態といっても、
全体像がわかっていなければ、何が中庸であるかが
解ろうはずがなく、また、何も実践せずして
いきなり全体像を把握するなんてことは、
神様でもない限りできない芸当でしょう。
中庸というのは、あくまで
結果として実現する状態を言っているので、
それを意識的に目指すことはできない。
でもまあ、仮にそれがそのとおりだとして、
「じゃぁ具体的にどうすればいいんですか?」
ってなりますよね?
ということで、
少し前のこちらの記事でも書いた通り、
最近、NHK出版「学びのきほん」シリーズに
すっかり嵌まってしまっているわたしなので、
「またか!」とおもわれたかもしれませんが、
今日は、冒頭の写真
「じゃぁ具体的にどうすればいいんですか?」
という問いを考える手がかりを見つけたので、
この本についてご紹介しようと。
論語499章を毎日1章ずつ読んでいたときにも、
安田さんの本は参考になる点が多く、
この本の他にも、次の2冊はおススメです。
『役に立つ古典』には、
『古事記』『論語』『おくのほそ道』『中庸』という
4つの古典作品が取り上げられているんですが、
皆さんがよく知っている前の3作品についても
本書には他では聞いたことが無いような話が
たくさん語られ、作品の紹介を通じて、
現代人のわたしたちが、
こうした古典を読む意義が述べられています。
そして最後に
四書(大学、論語、孟子、中庸)のなかでは
もっとも難しいとされている『中庸』ですが、
古典の入門書でこれを採り上げているのは、
ちょっとめずらしいかもしれません。
第4章に『中庸』が紹介されているんですが、
「中庸」が伝える「誠」の力 という
タイトルにあるように、本書では
「誠」について中心に述べられています。
新渡戸稲造が著書『武士道』のなかで『中庸』を
「意識的に動かすことなく変化を生み出し、
無為にして目的を達する力」
と称賛しているという話や、
誠を実現する五則
「博学」知の空白を一つひとつ埋めていく
「審問」詳細に問いを立てる
「慎思」じっくり思考する
「明弁」答を分けていく
「篤行」病の馬を動かすように丁寧に行う
また、二宮尊徳のいう「誠の道」
「学ばずしておのづから知り、
習わずしておのづから覚え
書籍もなく記録もなく、
而して人々自得して、忘れないもの」
を知っただけでも、
この本を手に入れた価値があったとおもいました。
また、「誠」を旗印とした新撰組を例にとって、
日本ではこの「誠」が、ふわっとした感じの
きわめて曖昧な道徳、精神論的な行動指針として
捉えられている危うさも指摘されています。
つまり、「中庸」「誠」という言葉は、
あいまいで抽象的であっても
何となく良さそうな印象があるため、
誰もが反対できず、
容易に「べき論」になってしまうし、
ふわっとしていることを利用して、
多くの人に同じ価値観を強いるのに使われかねない
危うさがあるという話に納得しました。
朝日新聞の本の情報サイト「好書好日」に
インタビュー記事がありました。
安田登さん「役に立つ古典」インタビュー
ぜひ手に入れて読んでみて下さい。