〝教えない教育〟のポイント12
2022/08/06
土曜はらくだメソッドや塾生関連の記事を
投稿しています。
らくだメソッドには、やり方を説明している部分が
ほとんどのプリントに記されていないので、
〝教えない〟教材と言われることが
少なくありません。
昔の寺子屋では、一斉授業という発想がなく、
個別学習、個別対応を原則としていたと
伝えられているんですが、
10年ほど前に〝教えない教育〟のポイントについて
12項目に整理したことがありしたことがあり,
今日はそれをご紹介することにしました。
〝教えない教育〟のポイント12
1.多様性の尊重
学習すべき課題は一人ひとり異なり一律には教えられない。同じ課題に対しても万人に共通の正解はなく、一斉授業のスタイルでは限界があり、個別対応が必要。
2.正解のない問題にチャレンジする場
学校のテストは正解が用意されていても、社会に出て働くようになれば、正解が用意されていない問題ばかりに直面する。教師から答を教わることに馴れてしまうと、そうした問題にどうアプローチすればいいかがわからなくなってしまう。
3.自問自答の場づくり
人から答を与えられると、その答えを信じて鵜呑みにしてしまいがち。それよりも、「なぜ?」と自ら〝問い〟を発して自ら考える姿勢が大事。
4.時間と空間を共有するなかで師から盗む
日本の芸事や「~道」と名のつくものの教育スタイルは、ほとんど「教えない教育」。学ぶ側の問う力と傾聴力、観察力が大事。
5.学習する中味でなく姿勢や方法を学ぶ場
一生のうちに学ぶべき課題はすくなくないが、ひとつひとつすべて教えようとすればキリがない。タネが育つためには土壌が必要。タネに意識を向けるのではなく土づくりに主眼をおく。コンテンツの注入に比重を置かず、コンテキスト、関係性の重視。「魚を与えるな。魚の釣り方を教えよ」(三好義光)、「主題の時代から方法の時代へ」(松岡正剛)
6.理屈よりも体験が先
「わかる」ことと「できる」ことは違う。人から教えられなくても「まずやってみよう」「できなくてもあたりまえ」とおもえることが大事。わかったつもりにならず、「わからない」ことを「わからない」ままやっていく。理屈はやっているうちにあとからついてくるぐらいでいい。
7.日々の習熟で身につく実学
計算、漢字の読み書きなど、生活に密着している実学的スキルは、どんなに素晴らしい先生が、素晴らしい授業を行ったとしても、習熟するまで自分でコツコツやり続けるプロセスを経なければ身につかない。
8.ホームスクーリング
学校は大切な生活の場でもあるが、教室を学習だけのための特殊空間、疑似空間にしないことが大事。常に本番。生活そのものが学びの場(=見えない学校)であり、学びを日常化する姿勢が大事。「道場(教室)は楽屋であり、生活が舞台」(多田宏)
9.「先生と生徒」という固定した関係性を変える
教師が生徒に一方的に教えるという〝上意下達〟的な伝達姿勢からの脱却。学習者を子ども扱いせず、横並びで伴走する姿勢。支援でも指導でもなく、強制でも放任でもない関わり方。
10.教え好きな指導者が自戒すべきタガ
教え好きであること自体は悪いことではないが、教える内容や教えている自分自身を絶対視しないよう常に内省的でないと、過度な依存や盲従者を生みがち。
11.教育者中心から学習者中心へ
教育の主役は、教育者ではなく学習者。教育はなくても学習は成立する。しかし、学習がない教育、学習者不在の教育は無意味。
12.「教えない」というスタイルの教育
教育の行為そのものを否定しているわけではなく、「教えない」というやり方で教えている教育。したがって、「教えない教育」は、何も教えていないのではないことはもちろん、教師自身の中に教えたいことがないと実践できない教育。
※冒頭の画像は渡辺崋山「一掃百態寺子屋図」