生レナガラニシテ之ヲ知ル者ハ上ナリ、學ンデ之ヲ知ル者ハ次ナリ(「論語499章1日1章読解」より)
2022/08/21
日曜は古典研究カテゴリーの記事を書いていて、
易経や仏典、論語などを採りあげています。
2019年の元旦から翌年5月13日まで約1年半の間、
全部で499章ある論語を1日に1章ずつ読んで
その内容をFacebookに投稿することを
日課としていたので、
その中からわたしが個人的に大事だとおもう章を
少しずつ紹介してきました。
今日は、孔子の学問に対する基本姿勢を述べている
李氏第十六の9番(通し番号429)をご紹介します。
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【今日の論語:No.429「季氏第十六」9番】
[要旨(大意)]
孔子の学問に対する基本的な姿勢を示している章。
[白文]
孔子曰、生而知之者、上也、學而知之者、次也、困而學之、又其次也、困而不學、民斯爲下矣。
[訓読文]
孔子曰ク、生レナガラニシテ之ヲ知ル者ハ上ナリ、學ンデ之ヲ知ル者ハ次ナリ、困ンデ之ヲ學ブハ又其ノ次ナリ、困ンデ學バザル、民斯レヲ下ト爲ス。
[カナ付き訓読文]
孔子(こうし)曰(いわ)ク、生(うま)レナガラニシテ之(これ)ヲ知(し)ル者(もの)ハ上(じょう)ナリ、學(まな)ンデ之(これ)ヲ知(し)ル者(もの)ハ次(つぎ)ナリ、困(くるし)ンデ之(これ)ヲ學(まな)ブハ又(また)其(そ)ノ次(つぎ)ナリ、困(くるし)ンデ學(まな)バザル、民(たみ)斯(こ)レヲ下(げ)ト爲(な)ス。
[ひらがな素読文]
こうしいわく、うまれながらにしてこれをしるものはじょうなり、まなんでこれをしるものはつぎなり、くるしんでこれをまなぶはまたそのつぎなり、くるしんでまなばざる、たみこれをげとなす。
[口語訳文1(逐語訳)]
孔子が言われた。「生まれながらにして(道理を)知っている人は『上』である。学んで(道理を)知るようになった人はその次である。(困難に突き当たって)苦しみながら学ぶ人はその次である。苦しんでも学ばない者は『下』とする。」
[口語訳文2(従来訳)]
先師がいわれた。――
「生れながらにして自然に知るものは上の人である。学んで容易に知るものはその次である。才足らず苦しんで学ぶものは、またその次である。才足らざるに苦しんで学ぶことさえしないもの、これが下の人で、いかんともしがたい」(下村湖人『現代訳論語』)
[口語訳文3(井上の意訳)]
生まれつき何もしなくても賢い天才であるなら上等だが、そのような人間は例外的存在で、ふつうは学んで知識を得て成長する。それはまあ悪くない。苦しみに突き当たって必要に迫られて学ぶ者も、前者より劣りはするがまだよろしい。だがそのような状態に置かれてなお、何も学ばずにそのままで居ようとする者は、わたしにはいかんともしがたく、この世においては天才者と同じく例外的存在といえるだろう。
[語釈]
生:「生まれながらにして」と訓読する。
之:ここでは、「知」の目的語ではなく、直前が動詞であることを示す文字で、意味内容を持っていない。「知之」で〝知っていること〟・「学之」で〝学ぶこと〟の意。
上:最上の人物という意味になるが、「例外的に」という意を含んで解するのが適切か。
困:困難にぶつかって。苦境に立たされて。
下:直訳すると「最低の人物」という意味になるが、他章からの文脈を考慮すると「例外的に」と解するのが適切か。
[井上のコメント]
本章には「上」「下」という言葉があるのですが、これをどう解するかが大事だと感じました。つまり、この言葉は、ダイレクトに受け取ると、人間として上等であるとか下等であるとか、比較評価という意味で捉えがちであるし、日本語として訳せばそうせざるを得ないのですが、次篇で読む陽貨第十七の2番に「子曰ク、性、相近キナリ、習、相遠キナリ。(人間の能力は、生まれつきそんなに大差がない。日々の習慣によって変わってくるものだ)」、3番に「子曰ク、唯上知ト下愚ハ移ラズ。(ただし、最上の知者と最下の愚者は変わらないが)」とあることと関連づけて解釈するなら、「例外的存在」というふうに捉えるのが妥当であるように感じたためです。
つまり、孔子という人は、世の中は広くて、何も学ぶ必要がないような天才や、学問にまったく適性のない、いわば例外的人間がわずかに存在することを認めつつも、その他大多数の凡人は、教育によって変われると信じていた人ではないかとおもうからです。既出章で読んだ述而第七の19番(通し番号166)には、「子曰ク、我ハ生レナガラニシテ之ヲ知ル者ニ非ズ、古ヲ好ミ敏ニシテ以テ之ヲ求メタル者ナリ。(わたしは生まれながらにして道理を知っている者ではない。古聖の道を好んで学び、敏感に追求し続けている者だ。)」とあり、誰よりも孔子自身が、身分の低い生まれでありながら、学習によって自己変革を実践してきた人であり、自分を高みにおいて、他者を見下して人格を云々するような人ではないようにおもうからです。本章は、今まで読んで来た季氏篇の「孔子曰く」で始まる章句のなかでは、孔子自身の言葉である(編集があまり加えられていない)可能性が高いように感じました。
あと、本篇について宮崎市定は、「民斯爲下矣」について「民はそのような行き詰まっても学ばない者を『下』とする」と訳すことにしっくりこないものを感じ、泰伯第八の20番(通し番号204)に「於斯爲盛」とある表現を援用し、「民」を「於」に改めて「於斯爲下矣」としているんですが、九去堂もこちらの記事を読むとそれに倣っていることがわかります。[参考]として宮崎市定『論語の新研究』より該当部分をそのまま引用しておきました。
[参考]
・民は斯れを下と為す、とはいったい何を言おうとしているのか、その主眼が理解できないのである。そういう者は民の中でも下等だ、民というものはそういう下等な者だ、民間でもそういう者を下等だと思う、など色々に工夫してもどうも落ち着かない。
文章として上から読み下してみると、民という字の出現が抑も唐突である。ここに何かの誤があるのではないか。そこで論語の中でこれに似た語気の文句を探してみると、泰伯第八の20番(通し番号204)に
「舜に臣五人あり、而して天下治まる。武王曰く、予に乱臣十人ありと。孔子曰く、才難しとは其れ然らずや。唐虞の際、斯に於いて盛んと為す。(舜帝には臣下が五人いて、天下がよく統治されていた。周の武王は言われた。「わたしには有能な臣下が十人いる。」と。そのことについて孔子が言われた。「才能ある人材を得るのは難しいというが、まったくそのとおりだ。唐、虞の時代以後は、周の武王の頃に人材が豊富であったが、武王のいう十人の有能な家臣は、夫人が一人いたので実際には九人であった。それで周の文王が天下を三分割してその二を保ちながら、残りの三分の一を統治する殷に服従していた。周の徳は、最高のものだったと言えるだろう。)」
とあって、周は武王の時に、唐虞の時代が再現して、全盛を極めたことを、於斯爲盛という四字の常套句で表現したと考えられる。
果たして然らば、民斯爲下、の民は誤であって、これを於に改めると、於斯爲下、これが最低である、となって文勢も意味もよく疎通する。上から次、次から又其次、又其次から最低へと下って行くのである。(宮崎市定『論語の新研究』より)