寺子屋塾

有德者必有言、有言者不必有德(「論語499章1日1章読解」より)

お問い合わせはこちら

有德者必有言、有言者不必有德(「論語499章1日1章読解」より)

有德者必有言、有言者不必有德(「論語499章1日1章読解」より)

2022/09/18

日曜は古典研究カテゴリーの記事を書いていて、

易経や仏典、論語などを採りあげています。

 

2019年の元旦から翌年5月13日まで約1年半の間、

全部で499章ある論語を1日に1章ずつ読んで

その内容をfacebookに投稿することを

日課としていたので、

その中からわたしが個人的に大事だとおもう章を

少しずつ紹介してきました。

 

少し前に、生活デザイン・ヘルス関連の記事で、

原因と結果の取り違えというテーマの記事を

書いたことがあります。

尿酸は果たして痛風の原因か?(原因と結果の取り違え)

 

また、今日の名言シリーズで、

学力というものは、学びの経験として

結果として身に付いてくるものであるから、

学力向上を目的にしないことが

学力が身に付くコツという佐藤学さんの言葉を紹介し、

コメントしました。

佐藤学「学力向上の秘訣は学力向上を目的にしないこと」

 

こういう勘違いは、今日に始まったことではなく、

孔子の時代にすでにそうだったということで、

憲問第14の5番(通し番号337)をご紹介します。

 

論語でもっとも重要とされる概念は「仁」です。

 

しかし、孔子はこの「仁とは何か?」と

門人たちから問われたときには、

問われる度に異なる答え方をして、

定義づけや説明をしていません。

 

「どうしてそうしなかったのか?」そして、

「仁とは何か?」という問いを持ちながら

論語499章を1章1章読んでみると面白いですよ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【憲問・第十四】337-14-5
[要旨(大意)]
仁徳ある人は、それが言葉や行動に表れるが、外見に表れている人が必ずしも仁徳ある人とは限らないことを述べた章。
 
[白文]
子曰、有德者必有言、有言者不必有德、仁者必有勇、勇者不必有仁。
 
[訓読文]
子曰ク、德有ル者ハ必ズ言有リ、言有ル者ハ必ズシモ德有ラズ、仁者ハ必ズ勇有リ、勇者ハ必ズシモ仁有ラズ。
 
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、徳(とく)有(あ)ル者(もの)ハ必(かなら)ズ言(げん)有(あ)リ、言(げん)有(あ)ル者(もの)ハ必(かなら)ズシモ德(とく)有(あ)ラズ、仁者(じんしゃ)ハ必(かなら)ズ勇(ゆう)有(あ)リ、勇者(ゆうしゃ)ハ必(かなら)ズシモ仁(じん)有(あ)ラズ。
 
[ひらがな素読文]
しいわく、とくあるものはかならずげんあり、げんあるものはかならずしもとくあらず、じんしゃはかならずゆうあり、ゆうしゃはかならずしもじんあらず。
 
[口語訳文1(逐語訳)]
先生(孔子)が言われた。「人格者には必ず良い言葉があるが、良い言葉がある者が必ずしも人格者ではない。仁者には必ず勇気があるが、勇気がある者が必ずしも仁者であるとは言えない。」
 
[口語訳文2(従来訳)]
先師がいわれた。――
「有徳の人は必ずよいことをいう。しかしよいことをいう人、必ずしも有徳の人ではない。仁者には必ず勇気がある。しかし勇者必ずしも仁者ではない」(下村湖人『現代訳論語』)
 
[口語訳文3(井上による意訳)]
徳を身に付けた人は、必ずそうした徳がにじみ出るような立派な言葉を語ります。しかし、立派な言葉を語る人であれば、必ず徳のある人であるかというと、そうとは限りません。これと同じように、仁者には必ず勇気がありますが、勇敢な人がすべてが仁者であるとは限りません。逆は必ずしも真ではないからです。
 
[語釈]
必有言:必ずよいことを言う。
不必有徳:「不必~」は「カナラズシモ~ズ」と読み、「必ず~であるとは限らない」と訳す。部分否定の言い回しで「必ずしも徳があるとは限らない」。ちなみに、「必不」となると「カナラズ~ズ」と読み、「必ず~でない」と訳し、全部否定の言い回しとなる。
必有勇:必ず勇気が具わっている。
不必有仁:必ずしも仁があるとは限らない。ひとくちに勇気があるといっても、いろいろで、血気の勇(後先のことを考えない勇気)では困りますね。
 
[井上のコメント]
本章は、書かれている中身を理解するのに特別難しいところはありません。しかし、わたしたちが日常やってしまいがちな勘違いに触れているという意味で、とても大事な章だとおもいました。なぜなら、良い言葉を語ることや勇気のある行動は、仁徳を身につけている人に結果として現れてきているものですから、そうした結果をいくらうまく真似られたとしても、残念ながらその原因となっているものに必ずたどり着けるわけではないからです。
憲問第十四の2番(通し番号334)は、「克伐怨欲の4つが無ければ仁者と言えるか」と孔子が原憲に問われた話でしたが、仁者は正しい道理の備わった生き方が体現されているから、その結果として自然に克伐怨欲の四つが起こらないのであり、克伐怨欲の四つが起こらないようにすれば仁者になれるわけではないと言われていたことと同じです。
たとえば、「地震が起きて家が壊れた」というとき、地震が原因で、家が壊れたのは結果ですから、家を壊せば、地震が起きるなんてことはあり得ず、考え方としてオカシイことは誰もがわかるとおもいます。でも、他の人に結果として表れている言葉や行動を、安易にそのまま持って来て自分の目標に置き、それに向かって努力しさえすれば、原因にたどり着けると考えてしまう・・・「逆は必ずしも真ならず」という言葉は知っていても、こういう勘違いをわたしたちは日常繰り返していないか、自戒したいとおもいました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

月曜:今日の名言

火曜:生活デザイン、ヘルス関連

水曜:つぶやき考現学

木曜:未来デザイン、経営ゲーム、

   ファシリテーション関連

金曜:読書関連、本の紹介

土曜:教室1週間をふりかえって、らくだメソッド

   塾生のblog紹介など

日曜:古典研究(易経・仏典・論語など)

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。