わからないところからコミュニケーションは始まる(つぶやき考現学 No.31)
2022/10/12
書く前から
人にわかるように書こうとして、
「わたしは書けない」「書くのは苦手」と
おもってしまうことがある。
しかし、どんなに人にわかるように
書いたとしても、
読んでわかるかどうかは、
それを書いた人ではなく、
読んだ人が決めること。
どんなにわかりやすく書いたつもりでも
わからない人にはわからないし、
こんなこと、わかるはずない!と
とってもわかりにくく書いても
おもいがけず伝わってしまうことだってある。
たとえ読んだ人がわからなかったとしても、
読んだ人が「わからない」と言ってくれれば
そこからコミュニケーションを始められるし、
どうしたら「わかる」ように書けるか
そこから工夫することもできるはずだ。
「わかる」か「わからないか」について
必要以上にとらわれずに、
とにかく書き始めてしまえば、
それまで動いていなかった脳が動き出す。(1996.10.31)
※井上淳之典のつぶやき考現学 No.31
COMMENT:
文章を書くことがテーマでしたね。
書いた文章が「わかる」かどうかについては、
ものを書く人間にとって
気になることであることは確かでしょう。
でも、それをどんなに気にしたところで、
得られることはあまりありません。
そもそも「わかる」という言葉自体が
とても曖昧なもので、
どういう状態になれば「わかった」と言えるのか、
その基準は人によって異なりますから。
となると、書いた人間の考える
「わかるかどうか」という基準にしても
とても主観的なもので、
あくまでひとつのめやすにすぎません。
もちろん、何かを伝えることは、
コミュニケーションの大事な要素ではありますが、
伝えることばかりがすべてではなく、
コトによっては、正しく伝わったことによって、
そこで関係が切れてしまうことも起こり得ます。
伝わるか伝わらないか以前に、
相互にやりとりする行為を続けること自体が
それ以上に大切なこともあって、
そういう場合においては、
わかることよりも、わかってしまわないこと、
ますます謎が深まっていくことのほうが
大切だったりします。
つまり、必ずしもわかることが善で
わからないことが悪というわけではないので、
「わかる」か「わからない」かについては、
必要以上に重きを置かないことが
大事なのではないでしょうか。