分断から統合へ(つぶやき考現学 No.35)
2023/01/25
まわりの人や社会のことなど、
自分の外側に対して
常に意識が向いているのに、
意外にも自己中心的で、
人の意見に耳を傾けようとする姿勢に
乏しいように感じられることがあったり
また、その一方で、
自分のことばかり考えていて
内側に意識が向いているようにみえる人でも、
自分より他者に対して依存的で、
自分の身体や心の声に対しては
無頓着だったりすることがあって、
時折ビックリすることがある。
いずれにしても、
両者に共通しているように感じるのは、
自分の内側と外側が分断されていて、
別個のものとして意識され
つながっていないということ。
そして、自分自身は外側と内側の
どちらに目を向けることが必要なのかと
個別固有の課題として問うのでなく、
コトの良し悪しにとらわれ、
客観的な〝正しさ〟を追求していること。
でも、内側と外側のどちらかだけが大切で
どちらかの姿勢だけが
絶対に正しいなどということは
あり得ないことは言うまでもない。
つまり、大きな目で見れば、
人間というものはそもそも
誰もが例外なく偏っているものだし、
個性とは、実は〝偏り〟の別名だ。
内側ばかり見ている人もいれば、
その一方で
外側ばかり見ている人もいて、
その両方が存在しているのが
世の中全体としては
バランスがとれている健全な姿で、
絶対的な良し悪しもなく、
一人ひとりがそういう役まわりを
演じている存在として捉えれば、
何ら問題はないのだろう。
易経が「陰極まれば陽、陽極まれば陰」
と述べているように
内側を見る姿勢が極まれば
おのずと外側に反転し、
また、外側を見る姿勢が極まれば
おのずと内側に反転するのだから、
各々がその姿勢が極まって
「内側=外側」と気がつくところまで、
個々のバランスの問題だと気づくまで
見続ければいいだけなのだろう。(2019.3.20)
※井上淳之典のつぶやき考現学 No.35
COMMENT:昨日投稿したblog記事に
立花隆さんの言葉を紹介したんですが、
いまの社会に見られる風潮として、
様々な学問分野が専門化しすぎるあまり、
知識、情報などの分断化、断片化を
招いていることは確かでしょう。
また、この3年ほど世界を襲ったコロナ禍も
ワクチン推進派と反対派、マスクするしないなど
この社会に健康面での問題だけでなく、
大きな分断をもたらしました。
でも、世界はもともとすべてが関係しあっていて、
しかも、絶え間なく変化し続けています。
仏教や易経などに見られる
世界がそうしたつながりで成り立っていると考え
自と他を区別せずありのままに捉えようとする
東洋的な世界観、人間観もまた、
わたしたち東洋人には脈々と受け継がれてきました。
いまわたしたちの目に
バラバラに断片化しているように見えている
社会や人間たちもまた、
極限状態にまで行き着くことで、
やがては反転し、統合していく方向にむかって
変化していくのでしょうか。
いずれにしても、
「分断がダメで、統合は良い」と見做す思考もまた
分別知の枠組みにしっかり嵌まっているので、
できることは、
目の前の問題を何とか対処しなければと
逸る気持ちを止め、大局観をもって
この世界を静かに受け止めることかもしれません。