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生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会

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生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会

生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会

2023/03/03

Facebookのロングユーザーなら

皆さんご存知だとおもうんですが、

「過去のこの日」という機能があって、

それまでの年の同じ月日に投稿した記事を

遡って読むことができます。

 

昨日の朝、中村教室のFacebookページ

「過去のこの日」を開いて見ていたら、

わたしが5年前にシェアしたシノドスの記事を

日立市に住む知人がシェアしていました。

 


生き延びるための「障害」

――「できないこと」を許さない社会

 

1年前、2年前ぐらいだと覚えていることも

あるんですが、5年も経っていると、

投稿した当人がすっかり

忘れていることも少なくありません。

 

リード文を読んでもどんな記事だったか

ピンと来なかったので、

おもわず再読してしまったのですが、

わたしにはそういうことが結構あって

「過去のこの日」の機能は重宝しています。

 

2012年に書かれた文章なので、

もう11年前にリリースされた記事なんですが、

今のタイミングで読んでも全く違和感がありません。

 

もちろん、この記事が

いま、違和感なく読めてしまうということは、

けっして好ましいことではなく、

たとえば、記事の文中には

「包容力と寛容さを失っていく社会」という表現が

あるんですが、残念ながらそれが

的を射ている表現であるというだけでなく、

現在の社会状況が、執筆された当時とあまり

変わっていないとも言えるということなので。

 

いや、あまり変わっていないどころか、

むしろ加速的に悪化していると

言った方がいいかもしれないのですが。

さて、この記事の終わりの方に登場するフレーズ

「自分には何ができて、何ができないのか」

「誰に、どれだけの助けを借りれば何とかなるのか」

をふりかえることができれば、

「できないこと」を自覚することは、

他者との関係性を紡ぎ出す新たなチャンスにさえ

なるのではないか、というのは、

いささか我田引水的ではありますが、

当塾で実践している〝教えない教育〟の意義を

ピンポイントで表現されているように

感じてしまいました。


あと、この記事を読んで改めて痛感したのは、

現代では教育・福祉・医療といった

狭いカテゴリー枠内だけで対処しようとしても

限界があるというか、

とても難しい時代になっていることです。

 

かねてからわたしは、

〝教育・医療・福祉のボーダーレス化〟というか、

既存の枠組みを取っ払って

相互乗り入れ可能にしていく姿勢を

大切にしながら場づくりをしてきたので、

たとえば、このblogを読まれても、

いわゆる〝学習塾〟が守備範囲としているような

範囲外の内容を含む記事が少なくないので、

何をしている教室なのかよくわからないと

おもわれる方も少なくないかもしれません。笑

 

ただ、わたしも実際に

三重県庁の雇用の部署とNPOが協働する形で

若者就労支援の現場に関わったことがあるんですが、

とくに就労支援の問題は、

教育でも福祉でも医療でもないアプローチ、

あるいは教育・福祉・医療を融合させたような

柔軟で包括的アプローチが必要でしょう。


A4用紙にプリントしたら7ページの分量があり

少し長いのが玉に瑕なんですが、

現在在籍している塾生に、

特別支援学校の教員や、障がい者の就労支援など、

福祉的な教育や、医療・福祉の対人支援に関連する

職業に就いている人が

全体の3割前後占めていることもあり、

そうした仕事に携わる人はもとより、

多くの人にぜひ読んで欲しい優れた小論で、

ここにご紹介しました。


以下は記事の終盤部から引用したものです。
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・・・ここで言いたいことは、「できないこと」が多い人々が増えたということではない。むしろ、ある人物が何か「できないこと」を抱えていた場合、その理由や事情を忖度して、場合によっては「仕方のないこと」「時間をかけて少しずつやっていけばよいこと」として許容したり励ましたりするのではなく、理由や事情を問わず「できないこと」自体が排斥・非難される風潮があり、そのことを敏感に(あるいは薄々と)察知している人々が増えているのではないか、ということである。


「できないこと」が致命的なデメリットとされ、非寛容的に遇される社会では、何かが「できないこと」への理由をどこかに求めるという心理が生じたとしても、故ないことではない。他人とのコミュニケーションに関して「普通」にやりこなすことができず、ストレスを感じる人々が、それをある種の「障害」として受け入れ、自身の中で納得しようとする心理の背景には、この社会の非寛容化がどこかで関わっているのではないか。


ある種の「生きにくさ」を抱えた人が、その原因を「障害」という言葉で説明しようとすることが果していいことなのかどうか、判断するのは難しい。一方では、安易に医学用語を借用し、自分自身の言葉を駆使して「内面」の葛藤と向き合わない姿勢に抵抗感を覚える人もいるだろう。わたしたちの日常が「医療」や「医学」に浸食され、自分自身の言葉で考える習慣が失われつつあるのだとしたら、たしかにそれは懸念すべき事態だろう。
しかし他方では、苦しむ人が難解な医学用語を自分なりに噛みくだきつつ、したたかに吸収しているのだとも言えるのかもしれない。

 

個人的には、自分にとっての「できないこと」を自覚しつつ生きることは必要だと思っている。場合によっては、「障害」という指標を借用することも、やぶさかではない。その際、「自分には何ができて、何ができないのか」「誰に、どれだけの助けを借りれば何とかなるのか」について振り返ることができるならば、「できないこと」を自覚することは、他者との関係性を紡ぎ出す新たなチャンスにさえなるのではないか。


心に渦巻く漠然とした苦しさを整理し、「できること」と「できないこと」のキャパシティを自覚しながら生きていくための指標として、自分のなかに「障害」を見出すことは、この閉塞的で非寛容的な社会を「生き延びる」ための一つの技術なのかもしれない。

 

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