中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也(『論語』雍也第六の19・通し番号138)
2023/10/03
今日は論語499章読解からです。
今日は、孔子が個別対応の大切さを述べている
雍也第六の19番(通し番号138)についてを。
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【雍也・第六】138-6-19
[要旨(大意)]
相手の能力に応じて対応を工夫する、個別対応の大切さを孔子が述べている章
[白文]
子曰、中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也。
[訓読文]
子曰ク、中人以上ハ、以テ上ヲ語グ可キナリ、中人以下ハ、以テ上ヲ語グ可カラザルナリ。
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、中人(ちゅうじん)以上(いじょう)ハ、以(もっ)テ上(かみ)ヲ語(つ)グ可(べ)キナリ、中人(ちゅうじん)以下(いか)ハ、以(もっ)テ上(かみ)ヲ語(つ)グ可(べ)カラザルナリ。
[ひらがな素読文]
しいわく、ちゅうじんいじょうは、もってかみをつぐべきなり、ちゅうじんいかは、もってかみをつぐべからざるなり。
[井上による口語訳文]
先生(孔子)が言われた。「中くらいよりも上の人には、難しい話をしてもよい。しかしながら、中くらいより下の人には、難しいことを話しても理解されないので、語らない方がよい」
[井上のコメント]
この章は、言葉通りに読んでしまうと、「人間の能力で、中以上の人と以下の人とに区別をして扱え」と受け取られかねないのですが、おそらく孔子はそういうことが言いたいのではないでしょう。たしかに孔子には、人間を上中下の3種類に分ける考えがあったということは指摘されています(吉川幸次郎『論語』)。たとえば、この上中下という言葉から、働きアリの法則(アリの集団は、よく働くアリ1~2割、普通に働くアリ6~7割、あまり働かないアリ1~2割に分かれる)という話をおもいだしたのですが、それはけっして優劣を言っているわけではなく、生物が集団を構成するときの役割分担というものに近いからです。
孔子は、人並みの平均的な知性があれば、学習によってだれもが高度な知識・技術・教養を身につけることができると考えていたでしょうし、人間にはそれぞれに違いがあるのが当然で、その違いを区別すること自体がそのままそのまま差別的扱いになるわけではありません。
日本でも1970年代に、「一億総中流意識」なんて言葉が使われた時代がありましたが、この章で語られている中人の中とは、おそらく「並の」「普通の」「平均的な」という意味でしょうから、世の中のほとんどの人が中人であって、上や下というものを、全体から見たときの例外的な存在と捉えるなら、相手の能力に応じて話す内容は変えた方が良いという話は、けっして差別などではなく、至極当然のことと言っていいでしょうから。つまり、この章は、誰にも同じように接することが必ずしも平等的扱いとは言えず、相手の能力に応じて、対応の仕方を変える個別対応の姿勢が大切なんだと解釈してみてはいかがでしょうか。