塾生のらくだメソッド学習ふりかえり文をご紹介
2023/10/25
寺子屋塾に2017年3月入塾され
学習を続けている稲地伽音さんが
算数数学教材を先月21日に
高校課程の最後までやり終え
そのふりかえり文を書いていましたので、
以下にご紹介します。
稲地さんが寺子屋塾でらくだメソッドの学習を
始められたきっかけは、
文中にも書かれているんですが、
児童館で中学生の学習支援の
ボランティア活動をされていて、
「教えるとは何だろう?」と問いが浮かんで、
ご自身が小中高校生の教材を学び直すことが
子どもたちに関わるときのヒントになればと
年齢不問で誰もが自分のペースで学ぶことのできる
らくだメソッドの存在を思い出されたことでした。
(引用ここから)
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【らくだプリントの高校課程を終えて】
2017年3月3日にらくだプリントでの学習を始め、
2023年9月21日に高校課程を修了した。
丸6年半かかった。
高校3年生課程修了までには、1年1ヶ月。
1テーマ平均4.7枚。以前よりペースは上がり、
予想していたよりも早く終わった。
この6年半は、振り返ると激動の時代だった。
住む場所も仕事も、はては家族メンバーまで。
自分でも引くくらいの激変ぶり(汗)。
私、らくだメソッドを機に開運したと思う。
入塾を決め、やり続けた自分はえらい。
なかなかセンスがいい。
井上先生の存在は言うまでもなく、
塾生の皆さんとやりとりさせてもらったこと、
推薦書籍、読み物、未来デザイン、経営ゲームなどの
刺激をたくさん受け取ったことなど、
らくだプリントを取り巻くワールドを
体験させてもらい、世界が広がったことが、
自分の激変に繋がったのは確かです。
らくだプリントやワールドを経験したというのは、
いわばタネを受け取ったのと似ているなと閃いた。
あくまでもタネなので、それがどう育つかは、
畑(自分自身)次第みたいなイメージ。
畑をどれだけ耕せて肥沃にできるかは、
受け取った側に任されている。
私の場合、畑の質を悪くしていたのは、
子どもの頃からの
もはや役に立たない信念体系を
未だに握りしめていたからだった。
特にこの1年は、土の質をじっくりと調べて、
新しいものとまるっと
入れ替えたくらいの感覚がある。
自分でやっただけではなくて、
雨や風や肥料みたいな、外からの刺激や応援、
天恵(大袈裟だけど)も関係している。
入塾のきっかけとなった「教えるとは?」の
問いに関して、らくだメソッドでは
「教えない」とうたっていて、
それを私は「教えられるが敢えて教えない」ことかと
長く誤解してきた。
最近になって、それは「教えようがない」
「教えたくても教えられない」というのが
本当なのだということが腑に落ちた。
それは、この畑のイメージと一緒で
「耕すのは本人に任されている」んだということ。
らくだメソッドは、完全に学ぶ側への
信頼に立っている。
だから、自然に成長を促す方向に
働くんじゃないかと思えた。
人はほっといても成長する生き物らしいけど、
大人になると色々面倒になって、
安住を求める気持ちが強くなる。
特に私は育児もしていないので、
自分を成長させるきっかけを掴むのが
人よりすごーく遅かった。
そういう意味でも、
らくだに出会えてラッキーだった。
必然だったのかもしれない。
やってくるいい流れに乗るのも大事だけど、
さらにらくだで、その流れを
自分から作り出すこともできるんだとわかった。
安心してダラダラしていられます 笑。
今回、振り返りがなかなかまとまらず、
坂爪圭吾さんのnoteを読んだら、
以前気になってた記事が上がってきた。
・「家族の問題を解決すると、人生はボーナスタイムに突入する。」
今の私の心境もこんな感じで、親の介護をとおして、
苦しみの源泉になってた問題を
解決できたたのは一番の収穫。
自分で作った幻想に
振り回されていたのは自分だった。
何者かにならなくていい、
というのは本当に安心する。
自分の悪いとこも含めてただ自分でいればいいから。
立派な人にならなきゃいけない教徒だった私は、
今では、自分にストレスになることを
しようとしてないかとチェックしています。
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(引用ここまで)
稲地さんが「教えようがない」
「教えたくても教えられない」と
書いて下さったことは、
指導者の立場にあるわたし自身、
最近とみに痛感していることでもあります。
教育の仕事に携わって40年近くになり、
教えるとは結局どういうことなのかというのは、
わたし自身にとっても長年にわたって模索してきた
大きなテーマなんですが、
教育活動の主役は学習者であって
指導者ではありません。
学習者との対等な関わりを担保するために
指導者に必要なことは、
学習者の声にちゃんと耳を傾け
上意下達的に伝えようとしないことです。
とはいえ、学習者の声に耳を傾けるといっても、
言うなりになることではありません。
可能性を引き出すのもフタをするのも、
最終的にそのカギを握っているのは
学習者自身でしかないので、
指導者の立場で積極的にできることは、
場をつくり、ツールとチャンスを
提供することでしかないと肝に銘じています。
ただ、現代では人から強制されないと学べないとか、
できないとおもいこまされ、
自分で自分に呪いをかけ
自分で自分の可能性を狭めてしまっている人が
少なくないように見受けられるんですが、
とくに現代のように変化が激しい時代においては、
ラーニングよりもアンラーニング(学びほぐし)が
必要かもしれません。
人間が何かを学ぶということは楽しいことであって、
本来のの自分に立ち戻ることであり、
稲地さんのように生きることがラクになる人が
少しでも増えたらいいなと感じています。