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「〝教えない〟性教育」考(その6)

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「〝教えない〟性教育」考(その6)

「〝教えない〟性教育」考(その6)

2023/11/11

教えない性教育をテーマに記事を書き始めて、

これで6回目となりました。

 

前回(その5)からは、

それまで4回分の内容を概略ふりかえったうえで、

〝教えない性教育〟を実践しようとする際に

わたしが推薦するに値すると考える

情報素材の紹介に入っています。

 

それで、今日の記事だけを単独で読まれても

内容については理解できるとおもいますが、

昨日までの記事に、

なぜ〝教えない〟性教育なのか、

どういう文脈で、こうしたテキストを推薦するか

モトになる考え方について書きましたので、

これまでの記事に未読記事がある方は

適宜参照された上で

以下の記事を読んで下さると有難いです。

「〝教えない〟性教育」考(その1)

「〝教えない〟性教育」考(その2)

「〝教えない〟性教育」考(その3)

「〝教えない〟性教育」考(その4)

「〝教えない〟性教育」考(その5)

 


さて、昨日投稿した(その5)では

橋本治さんの『ぼくらのSEX』より

まえがきの一部分を引用してご紹介しました。

 

この本は橋本さんの書き下ろしで

単行本の初版は1993年6月です。

 

この本をわたしが

当時JR国立駅前にあった小さな書店の

新刊書コーナーで見つけて手に入れ読んだのは、

30年前のことだったんですが、

その内容のあまりのわかりやすさに度肝を抜かれ

本当にビックリしました。

 

(その2)として投稿した記事の中で、

「包括的性教育」という言葉が登場している

記事を紹介したんですが、

2009年にユネスコが中心となって提言された

「包括的性教育」という考え方からみて

この橋本さんの本の内容は、

30年前に書かれたことによる経年劣化というか

情報の古さがいくらかあることは否めないとしても、

性教育について考えようとしたときに、

踏まえておくべき必要な事柄が

ほぼ洩れなく網羅されているという意味では、

先駆的な名著と言ってよいでしょう。

 

また、「そもそも包括的性教育って

いったいどういうことなんだろう?」って方は、

わかりやすい解説記事を新たに見つけたので、

シェアしておきます。

「包括的性教育」とは?【知っておきたい教育用語】

 

現在では、集英社から出た初版は絶版になっていて、

2021年にイーストプレスの文庫ぎんが堂から

AV監督で恋愛哲学家・二村ヒトシさんの

解説を付されて、復刊されているんですが、

イーストプレスのwebsiteに目次がありますので、

ご覧になってみてください。

ぼくらのSEX 橋本治 著 名著復活!

この本は、SEXをまじめに考える、性教育の本です。

 

さらに、これまでに橋本治さんの本を

1冊も読んだことがないという方は、

旧ブログ〝往来物手習い〟に

わたしが高校生のときに

作家としてデビューされた橋本治さんの

最初の小説『桃尻娘』など

内容の紹介も含め書いたことがあるので、

次の記事を参照ください。

わからない本をわからないままに読んでみること

 

わたしのblogの連投記事を

ずっと続けて読まれてきた方は

おそらく気がつかれたとおもいますが、

昨日の記事で引用した箇所は、

(その2)の最後で紹介した

「"人間と性"教育研究協議会」水野哲夫さんの

話の内容とほぼ一致しているんですね。

 

ただ、昨日引用した箇所だけでは、

どうしてそういうことが言えるのか、

なぜ、わたしがこの本を

〝教えない性教育〟を実践するにふさわしい

テキストとして注目するのか、

前後の文脈がないと

わかりにくいようにおもったので

まえがきの文章全体を

主旨を損なわない程度に要約して

23のパラグラフにしてみました。

 

まえがきにしては長文で

新しい文庫版で16ページもあり、

例によって橋本さんの文章は

ちょっとくどいんですが、
本の内容全体を概観できるように

おもいましたので。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
⑴SEXっていうのは、肉体というものを持ってる人間を動かすエネルギーで「生きることの核心」だ。人間のするすべてのことは、その人間の自己表現と言ってもいい。SEXは、その自己表現を可能にするエネルギーのことだから、これが涸れたら人間は衰弱してしまうし、元気でいるためには、人間の内部で、「性」というエネルギーの炎が燃えていることが必要だ。
 
⑵だから、スケベな人間はエネルギッシュだし、エネルギッシュな人間は当然のことながらスケベだ。でも、スケベということは、実はSEXに関するほんの一部の領域でしかない。
 
⑶人間はいろんなことをしたい。でも自分がなにをしたいかなんてことは、そうそう簡単にはわからないから、さまざまな性的行為に足を取られながらも、「本当に自分が燃えるようなものに出会いたいな」と思っているものだ。

⑷でも、人間というのは、多かれ少なかれ、自分のSEXのことを「ちょっと恥ずかしくて後ろめたいこと」と思っているし、あんまり人には言えないようなことが、すごーく気になる生き物だ。気になったら、そのことばっかり考えちゃうような。
 
⑸誰だって、自分のしていることが「正しい」と思いたがっている。自分のしていることが「正しい」と言われたいし、自分のしていることの「正しさ」を知りたがる。だからこの本は「あなたにとっての正しいSEX」を考えるための本です。
 
⑹たしかに、世間にはいろいろな考え方がある。でも、世間のSEXに対する考え方が正しいかどうかはわからないし、世間と自分との間にある違いというものを、あんまりこわがらないほうがいい。
 
⑺なぜなら、人間というものは結構ズサンなもので、「人間にとって正しいSEXのありかたというものはどういうものか」なんていうことの答えを、まだあんまりちゃんとだしてはいないし、そうしたことが実際的に考えられたことなんて、人類の歴史の中ではまだ一ぺんもないんだって思ったほうがいい。
 
⑻「正しいSEX」というものは、自分が自分の中にある性というものをちゃんと考えて〝これも正しいSEXだよ〟って言えるようになることなんだって思った方がいい。
 
⑼今までSEXというものは、男女一組の夫婦というものを単位にしてしか考えられなかった。けれども、「僕という男ときみという女がひとつになって、僕たちという夫婦を作って行く」という考え方は、まだとんでもなく歴史が浅い。
 
⑽それぞれの夫婦はそれぞれの男女でできあがっているけど、すべての夫婦がおんなじようなSEXをするわけじゃない――にもかかわらず、「夫婦というものはこういうもの」という、とても窮屈な決めつけだけが先にあった。
 
⑾「既に結婚している人間とSEXするということは、人の道にはずれたことである」という前提があるから、それを「不倫」という言葉で表現する。でも、だからといって、すべてのSEXが結婚に結びつくものではないし、それが人間というもののSEXのありかたなんだということを理解しておいたほうがいい。
 
⑿正しいSEXのあり方とはつまり、「こうあるべき」が先に存在するのでなく、「その使い方を自分でちゃんと考えろ」という方向にしかないはずだ。
 
⒀なぜなら、SEXへの衝動・願望・欲望というものは、すべての人間の中にあって、すべての人間はそれぞれに違っている。だからこそ、SEXというものは、人間のいるヴァリエーションの数だけあって、とっても個人的なものだしバラバラなものだ。
 
⒁そうしたバラバラなところだけ見たら、「自分とSEXできる相手なんていないかも」と思うかもしれない。でも、人間というものは、他人というパートナーと、いろいろな形でキャッチボールしながら生きていくものだ。
 
⒂人間の心の中には、他人を「好き」と思う直感力がある。と同時に、人間の頭の中には、「この人を″好き″と思う自分の感情はなんなんだろう?」と考える知性がある。「この人を″好き″とは思うのだけれど、それははたして自分にとって正しい答なんだろうか?」と考える理性がある。人間は、心で考えて、頭でそれを整理する。頭で臆病になって、心で勇敢になる。心で野蛮になって、頭で冷静になる。心と頭で、自分の中にあるエネルギーの正しい使い方を、必死になって考える。こんなふうに人間は、自分ひとりの中でも、心と頭でキャッチボールをしている。

 

⒃人間ならば、こんなふうに心で考え、頭で判断して、自分というものを受け容れてくれる自分だけのパートナーを、絶対に見つけることができる。もし、見つからないとすれば、考えが足りないだけ。「自分とはこういうもの、自分に見合うパートナーとはこういうもの」とひとりで勝手に決めつけているから。ただ、それだけのことだ。
 
⒄SEXの話をするということは、自分にとって一番話しにくいことを話すということだから、どうしても具体的にはなりにくい。つまりSEXの問題は、うっかりすると「ただ〝スケベ〟とか〝ヘンタイ〟としか言われなくなってしまうような微妙な問題でもある」ことを頭においておかなくちゃいけない。
 
⒅でも、ひとつひとつの細かいことが積み上がって、「自分のSEX」という、自分の頭で具体的に考えていけるものになるんだって、そう考えなくちゃ。ひとつひとつのことを具体的に考え、具体的に話すということをしないと、SEXというのはただの「ワケわかんない話……」になっちゃうからね。
 
⒆人間の性のエネルギーは、自分というものを表現するためのエネルギーだから、それがうまく行かない間はいろんなヘマをする。だから、SEXに関しては、「いやだなー」という自己嫌悪がつきものだ。でも、うまく自分のエネルギーが昇華させられるようになったとしてもSEXしなくなるわけじゃない。
 
⒇SEXの行為は「他人との関係」でもある。人間は生きているかぎり、「ひとりぼっちじゃいやだなァ、他人とかかわりを持ちたいなァ」と思うものなんだから、「もういいや」でSEXをしなくなっちゃうというのは、ただのヤセ我慢でしかない。
 
(21)「自分とはこういうもんなんだ」ってわかったら、それを他人に見せたいじゃないか? 自信というものはそういうものさ。「こんな自分だから、やっと自分は他人と関わりを持てるぞ」と思ったら、その時こそがSEXのやり時だっていうようなもんだろう?
 
(22)人間は頭で考えて生きる動物だから、「よくわからない」ということが苦手で、気持ちが悪い。だから、SEXへの欲望という、自分のなかにある〝よくわからない部分〟をいつまでも引きずっているのが気持ち悪いから、さっさとこれを切って捨てようとしたり、「悪いことなんだ」って否定したりしようとする。でもそんなことはまちがいだ。
 
(23)SEXは、自分の中にあって、眠っている、美しくて強い力のことなんだから、それを捨てたりしちゃいけない。「SEXは、自分の中にある美しくて強い力――だから〝性〟という字は〝生きる心〟と書くんだ」って、いままでのこと全部を忘れても、このことだけは憶えておいてほしい。

 

※橋本治『ぼくらのSEX』(1993年6月初版・集英社)まえがきより

 

この続きはまた明日に!

 

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