雲黒斎「みんな大好き『お金』の話」後編(YouTubeライブ文字起こし)
2024/11/28
昨日11/27投稿した記事の続きです。
雲黒斎さんのYouTube動画ライブ配信
文字起こしして作成した文章の
前半(31分40秒あたりまで)を紹介したんですが、
ちょうど話がお金の本質に迫る
佳境に入りかけたところで終わってましたね。
昨日の記事を未読の方はまずそちらからどうぞ!
今日は昨日の続きで、動画の後半部なんですが、
その前に、前半部で雲さんが話されていたことから
わたしなりに大事だとおもった
太字で示したところなどを中心に
抜き書きして少しふりかえっておきましょう。
・お金に対するブロックのあるなしと
お金が入る入らないは別問題
・お金がないときに自分が所有していたのは、
お金がないと生きていけない、
お金は必要なものだという観念、執着だった
・給料に対しては、痛みやストレスを担う
お駄賃としてお金をいただくという観念だった
・現象界にはエネルギーしか存在しないので、
もし、お金がエネルギーだとするなら、
ありとあらゆるものがエネルギーなのでは?
・小中高校、大学、専門学校と
これだけの時間を使って、
奴隷を作っているのが今の日本の教育なのでは?
・「仕事」という言葉の語源は、
「仕(つかまつ)る事(こと)」から来ている
・世の中にはいろんな業種があるけれども、
すべての仕事は代行業
・今は経営者含め、働くということや
お金とは何なのかが誤解された時代
・「自分の代わりをしてくれてありがとう」という
感謝を形に変えたものがお金の正体
黒斎さんのお金についてお話は
黒斎さん自身がこれまでの人生で
たどってこられた道筋をふまえたもので、
とても分かりやすかったですね。
昨日も前置きの部分ですこし書いたように、
たとえば、「お金はエネルギ−」であるとか、
「お金は人間が生み出した道具」であるとか、
よく言われる話ではあるんですが、
お金についての考え方、捉え方は様々で、
唯一の正解があるわけではありません。
つまり、どう定義するかが重要ではなく、
自分が無意識のうちに前提としてしまっている
お金に対する扱い方や捉え方について、
どこまで自覚的でいられるかではないかと。
そういう意味でいうと、
その道具であるお金を使って
最終的に自分が何をしたいか、何を得たいかという
自分の本心が明確になっていないと、
お金を稼ぐこと自体を目的化してしまって、
道具にすぎないお金に振り回され、
とらわれてしまう人生を
送ることにもなりかねないでしょうから。
また、どんな仕事も「代行業」という捉え方は、
仕事の本質をふまえているようにおもいますし、
そんなふうに仕事を定義しておくことで、
自分に出来ないことの
代わりをしてもらったときの
感謝の表現形態の1つがお金なんだという捉え方も
わたしには納得できるものでした。
では、お待たせしました!
本日のメインコンテンツ、
黒斎さんのお金についてのライブ配信動画
文字起こし文章の後半部です。
(文字起こしここから・太字化は井上)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・・・私のその感謝の気持ちを、この金額に置き換えて表現することができますっていうのがお支払いなわけで。だから、買う側が割引きしてくださいっていうのは、感謝への対価とするんだったら、おかしな感覚だってのは分かるはずなんですよ。提供する側が「何割引きでいいよ」っていうのはいいんだけど、買う側が「半額にしてくれ!」っていうのは、おかしいって話なんですよ。そのサービスが欲しい、あるいは商品が欲しい欲しがっているのに、感謝はこれだけでいいよねって言ってるわけだから。いやいやいやいやって、人と人のやりとりとして、まずそれ違うだろうって話なんです。経済が云々の前に、人のあり方としてどうなん?って話なんです。でしょう?
「お客様は神様です」っていうのは、売る側の言葉であって。で、じゃあ値切るのって変だよねっていうか、変だよねー。うん。で、この値切りもね、さっきの感覚で値切ってるわけ。僕はその苦労していることに対して報酬を得ているから、他者もお金を得るためには僕同様、苦労していないと腹が立つわけ。だって、そういうもんだと思ってるから。で、あなたこの商品を提供するにあたって、このサービスを提供するにあたって、そこまで傷ついてませんよね、それなのにこの金額なくなんですかってやってるわけですよ。その人が傷ついたかどうかじゃないよね、本当は。
まあ、なんとなく通じるよね? お金とは何なのか。だから、報酬を得る、お給料を得るっていうのが、お駄賃をもらうじゃなくって、感謝が形になったものなんだっていう感覚っていうのは、自分が使うときにも気持ちよくなるし、受け取るときも、今までと感覚が違うわけ。で、お金が欲しいんだったら、この感謝の対価を受け取るってことだから、僕は誰の代わりができるのかっていうことだけ考えれば、お金は回ってくるってことがわかるわけですよ。
まあ、「大阪のおばちゃんは必ず値切るよ」って。まぁ、値切り文化の話はまたちょっと別になってくるんだけど。あれは、値切るということに通じた、人と人とのコミュニケーションのやりとりにもなってくるから、そういう文化としてある場合は。で、さっきの(※1回目のときに)たとえば、テーマにしようとしてた「スピリチュアルで儲けるのはいかがなものか?」っていうこの発想。これはテーマ自体が、儲ける、お金を稼ぐだとかっていうこと自体が、このお金とは、感謝が形になったものっていう前提から、外れているところで展開している話なんですよ。
だって、「神様の話だとかそういう話をしてるにも関わらずお金を取るなんて」っていうこと自体がさ、なんだろう、このまず前提の違和感みたいな。だって、さっき言った、生きるうえで最低限絶対必要な、その信仰心だとか以前に、食べ物っていうものに対してはお金払えていて、「みんなが生きるために必要なものにお金取るなんて!」って、漁師さんや農家さんには言わないじゃない?
で、「神社やお寺もだよね」って、うん。まあ、そりゃそうなんだけど、ね、神社やお寺、あるいは、その今のお寺で言ったらお布施ってじゃあなんなんだっていうと、また別な話になってくるんだけど、お布施だとかお賽銭だとかっていうのは、本来じゃあ何かっていうと、あれ感謝じゃないよね。あれ何かっていうと、そもそもはですよ、まあまあお寺に限っていうと、お布施とは何かっていうと、これは感謝の対価ではなくて、応援が形になったものがお布施なんです。
そもそもお寺は、僧になるっていうのは出家する。出家するっていうのは何かっていうと、社会的な生産から身を引くっていうことなんですよ、本来は。ありとあらゆる生産活動、社会活動から身を引いて、目覚めのために人生を送るっていう、そこのコースを選んだ人たちね、生産から身を引いてるから、やっていけないわけですよ。だけれども、そこで目指している道を応援する応援団が、お布施なんですよ。僕らの代わりに、その目覚め、こういうことだったんだ、その気づきをあなたが経験して、今度こっちに伝えてくれって、そのためにあなたが目覚めるために応援します、あなたの生活を支えますっていうのが「お坊さん頑張って!」がお布施なわけですよ。
お布施とか托鉢にはもっと別な意味もあるんだけど。檀家さんが応援団ってそういうこと。で、檀家さんはね、本当にここらへんは宗教の話でね、複雑なんだよ、政治と絡んできちゃうから。で、まあなんとなくわかるよね?まず1つは、そういうふうに応援しているっていうのが、そもそものお布施の意味あい。
それともう一つね、お布施とは別な托鉢で回るじゃない。あれは何かっていうとね、そういうふうに生産活動から身を引いた我々が貧しいので、食うものをくださいって乞食に回ってるんじゃないんです。乞食に回っているんだったら、お金持ちの所に回ればいいんですけど、托鉢っていうのは、「貧しい家を回れ」って言われるんですよ。これは何かっていうと、この檀家さんだとか、信者じゃないじゃないにしても、そこで回ってね、お椀片手にお経読んでやっているわけです。
これはねー、自分のためじゃなくってね、貧しい人のためにもらいに行くんです。これ何かっていうと、引き寄せの法則を発動するための仕掛けなんです。托鉢って。こうやって「くださ~い」っていくわけでしょ。そうすると相手も貧しいわけですよ。貧しいって事は何かつーと、私には他者に与える余力がないって思っている人たちなんです。そうですよね。そして、他者に与える豊かさなど持ち得ていないというその思考が現実化している貧しさから、いやいやいや――――貧しいと言っているあなたすら、まだ施しができるんだ、持っているんだ、与えることができるんだっていうことを、させる仕組みが托鉢なんですよ。
うん。通じるかなあー 笑。応援することができると、私には応援するだけの力があるってなるから、力のある人は豊かになっていくんですよ。で、こういう本来の意味が、どんどんどんどん変わっちゃって、そして、奴隷教育になっていって、働くこともお金も、どんどんあの歪んじゃったわけね。その中で金持ちになりたいとか言ってるわけ。みんな金が欲しいんじゃないの、豊かさが欲しいの。「豊かさ」と「お金の所有」とが、ごっちゃになっちゃってるの。
豊かさっていうのは、十分持っていますっていう心理状態のことなの。形や数字としての財産じゃないわけよ。どんなにお金があったとしても、財産を持っていたとしても、これじゃ足りないって言っている状態を、貧しさと呼ぶの。だから、お金を沢山持っている、お金が少ないっていうことは、豊かさと比例関係ではないの。
で、ぼんじょるさん、ね、そうそうそう。ぼんじょるさんね、今ね、北海道のあの僕らが卒業した学校の先生をやってんの。専門学校生相手に講師されてるから、日々若い方々に会ってると思うけど、うちも子どもがいるから、若い人見てるけど、今の若い子達っていうのは、そもそも僕たちの時代と違って、形として物質として満たされた社会状況の中に身を置いているから、あの〜、何だろうなぁ、満たされてるんだよ、根っこが。だから、お金を欲しがらないのよ。
今日も―――来月ね、実はうちの娘の誕生日があるんですよ。で、近いんで、「誕生日は何が欲しいの?」って聞いたんですけど、ずーっと悩んでて、未だ答えが出てないんですよ。で、「あれは?これは?」っていう風に言ったら、「まあ、うん、それあったらいいね」ぐらいで、「欲しい!」っていうのがないんですよ。
ぼんじょるさん、「言うなよ」って、そのセリフの前に、自分から言ってるじゃん!笑 ああ、「あの頃の黒斎くんやわたしのような野心感ってない」って。だってあるんだもの。もう既にね。それからあの「お金がないと困るでしょう」 っていうこの発想が、もう古い人間の考え方なのよね。それよりももっとダイレクトだったりするよね、若い子たちのお金の使い方も、受け取り方も。
で、何の話をしようとしたんだっけ、お金の話で。うん、とにかく、お金がほしいという想い自体が、その根っこに貧しさがあるんですよ。貧しさっていうのは、お金がないという状況ではなくて、お金がないと困ってしまうという観念の側なんですよ。さっき言ってたみたいに、お金の本質っていうのは、感謝の交換であるっていうことがわかったら、感謝は、お金以外にも表現を変えることが可能なんですよ。通じるかな?お金は交換手段だけど、その手段ってお金以外でもいいわけですよ、感謝が伝わるなら。
例えば、そこにどういう値付けをして行くかという、また別の話になっていくんだけど、何か商品がありました。これ作ったけど1個しかありませんっていう時に、提供する側はやっぱり、それを手にして「ありがとう」って言ってくれる人に渡したいじゃない。「こんなもん、いらんがな」って大事にしてくれない人には、提供したくないよね。そこに、値付けっていうのが起きてくるんですよ。
だから、僕が言うのもなんだけどさ、僕のこの話なんてさ、それこそ電気代とか別として、デバイス持ってたらタダで聴けるんだよ、こうやって。話としてはさ、セッションで1対1で話すこととはシチュエーションが違うけど、内容は変わらないわけ。で、こういう話もお金と同じでね、「話が聞きたいです、聞きたいです。私の目覚めには、話を聞くことが必要です!」みたいになっちゃうとさ、貧しいわけよ。だから、聴いても聴いても貧しい。目覚めないの。
りんりんさん「育っている環境が豊かだからじゃないでしょうか。親がお金に執着している環境で育っていると、やはり執着すると思います。」それは、その執着を、環境のせいに責任転嫁しているだけだと思いますよ。同じ環境でもどうなるかは、人それぞれで違うから。
こういう話すると、「ありがたい、ありがたい」って口にするのは簡単なのよ。いくらでも言えるのよ。それこそこの「ありがたい」って言うのを、自分が得るための手段にしようとする人が出てくるわけ。ここがまた引き寄せの法則の誤解の中で、ありがとう行の人たちになってくるわけ。何万回唱えたらってやつ。そんなわけないじゃん!口ではいくらでも言えるんだよ。そうでしょ?
で、本当にそれが口で言って伝わってそれでOKだったら、お金いらないの。ああ本当に感謝してくれてるんだなぁで、それが流通する世界になるはずなんだけど、それが本当なのか、口から出まかせなのか、言ったら忘れるなのか、そういうのが不明瞭になっちゃうから、人の心って見えないからさ。いや嘘じゃないよって、嘘だとしてもね、それがね。「俺はこの感謝を、これだけの金額に変換することがほら可能だよ」って言ってお金出してるわけだから。
なんだかんだお金っていうのは、人間の発明として素晴らしいよ。この感謝とか応援の気持ちっていうのを表す表現手段としたわけだから。でも、これはどこまでいっても表現手段であって、そのものが目的になること自体がおかしいんですよ。感謝を伝えるツールの一つでしかないということ、それしかそれを感謝を伝えることができないわけじゃないでしょう。だから、その目に見える感謝の表現、それが相手が受け取りたいもので一致しているんであれば、お金以外で全然成立するんですよ。
よく精神世界で、「お金がない世界を作りましょう」みたいにやってる人とかいるけど、バカ言ってんじゃないよって。そんな世の中にする前に、あなたが実際にそう思うなら、お金を使わず、相手が納得する感謝をしなさいって話なんです。そうしたら、ここでお金が流通してようがしてまいが、その人はそれでいいっていう世界になるから。ぼんじょるさん書いてくれたけどね、感謝する表現が難しいんだよね。ホントそうなのよ。感謝って表現難しいんだよ。ありがとうって口動かすことじゃないから。愛の氣さん「身体で払います」って笑、別な意味に聞こえてくるよね、笑。
お金もホント便利なのよ。そういう意味でね、わかりやすいから。で、もっといえばさ、こういう、そもそもが無いところで、お金儲けの云々だとか、手に入れるメソッドがどうこうとかってやっているところが、僕は「うーん!」ってなっちゃうところなんですよ。そんなメソッドだとか、法則だとかやる以前に、それはエネルギーだから、その波動をどう整えてとか、いや、その前に、感謝しようって。それで終わるじゃんって。
逆に変な話だけど、私が誰の代わりができるのかってのを徹底的に見ていったら、お金は回ってくるじゃん。お金ないお金ないって。いやいや、それは誰からも感謝されてないって事だよねって、翻ってなってくるわけで。ストレスの対価だったら働くの嫌だけど、誰かに感謝されるって嫌な気持ちには多分ならないよ。働きたくないになるだろうかって。
まあ、それがですね、私の根底にあるお金のスタンスみたいところでありまして、これが分かってから、本当に出すのも抵抗ないし、受け取るのも抵抗ないしっていう、こうじゃなきゃお金は手にしちゃいけないっていうルールがごそーっと抜けちゃったから、すごくお金の流れ自体が変わってきたんですよ。で、お金ないときはないんですよ。ある時はあるけど。ないときはどうにかすればいいわけであって。
僕もね、会社辞めてから、生活立ち行かなくなるぐらい収入がなくなるっていう時期もこれまで何度も迎えてるんですよね。会社辞めてからすっごい裕福な生活に切り替わって、どんどんお金持ちになってってるとかじゃないんですよ。お金が入るときもあれば、入らない時もあるんですよ。入らないときにどうしてたかっていうと、アルバイト行ってるんですよ。で、その話すると、みんなびっくりするんで、「なんで黒斎さんがアルバイトしてるんですか?」って。いや、僕ができることをすればいいわけだから。
だから、お金を手に入れるためには、簡単な話―――AJIBAさん、たくさんのスパチャありがとうございます――――あのなんだっけ、誰かの代わりをするということ、で、その他にね、応援してもらえるということ。ここも私は誰にも応援される資格がないってなってたら、ここのブロックで、その可能性が閉ざされちゃうんですよ。私は働かなくても、誰からが私の人生を応援してもらえるっていう、それが嘘じゃなく本気で思えていたら、それはやっぱり現実化するんですよ。応援してもらえるんですよ。
だから、他にもあるけども、大きく二つ。①誰の代わりができるのか、②その代わりの相手の感謝に比例して収入になるということ。これは、言葉を変えると、さっき誰かが書いてくれた、「信用」っていう言葉にもなります。応援するよと、その応援をちゃんと成就させてねっていう。で、こいつは成就しないなっていうところには、信用がないわけだから、そうだよね?で、あるいは、この人に頼んでね、あの頼んだことが、私ができないことをお願いねって、言ったったことをやってくれるっていうことに対する信用で、ありがとうができるわけだから、お金は信用ってのはやっぱり同じことだよねって、応援なのか感謝なのかということになるわけ。
渡辺さん「何のバイトされてたんですか?」あの肉体労働してました。あのこういうあの、いつどういうイベントが入る方とか、セッションが入るかとかっていうのがわからないスケジュールで動いている人間なんで、空いてる時だけ働くっていう、日雇いの肉体労働をしておりました。はい。作業着着てヘルメットかぶって、建築現場で鉄骨を運んでおりました。一番思い出深いのは、東京のサントリーホールの改修工事っていうのがありました。歴史的な舞台ですね。サントリーホールの舞台に立ちましたよ僕は。笑。その舞台の上で鉄骨運んでましたけど。
そうね、それものすごい昔じゃなくて、ホント数年前ですよ。最近はあのおかげさまで、セッションだとかいろんなことで、行かないでも良くなりましたけど、子どもたちもね進学するぞなんだっていう時に、本当に引退したおじいちゃんみたいな隠居生活を送ってたんで、家族からも叱られまして、働いてくれって言うんで、そういうバイトとかもしておりました。
だから、もうその頃は、もう体が筋肉ムキムキでした。笑。今はまあねほんとにあの皆さんのおかげで筋肉もすっかり落ち笑、贅肉に変わってきております。で、その他に、まああのその日雇いのあの会社は、とにかくそのいろんな現場に人員を派遣するところに登録してたんで、何があるか分からないんですよ。そういう工事現場に行くときもあるし、あとは新しい家のスーパーだとかユニクロだとかっていう、新しい店舗のオープンの時の什器ってあるでしょう、店だとかスーパーだとか冷蔵庫だとか、いろんなその機材があるでしょう?そういうのの組み立てだとか配置だとかっていうのをやったり。
あとはイケアの家具、イケアってあるじゃない、北欧家具の。あそこの家具って組み立て式なんですよ。ご購入のお客様の代わりにお客様のご自宅に出向いて、その家具を組み立てますっていう代行業とかもやってました。その経験もすごく面白かった!そういう日雇いの工事現場、多分皆さんやったら、イメージ変わるよ。それこそね、とんでもないお金持ちが働いていることもあるし、イケアの家具の組み立て代行の派遣のときは、ビックリするぐらい有名人のご自宅に行って作業とかあるから、結構いろんな芸能人の方の自宅に僕行ってます。笑。そういうのでね、色んな面白い経験とかありました。
りりーさん「組み立てに黒斎が来たらびっくりだわー」って。そう。だからね、びっくりされたのはね、あの最初は素性を隠してたんですけど、その登録している会社の人員の中に僕のことを知っている人がいて、ある日あの作業に向かう車の中で「えっ!もしかして、黒斎さんですか!?」ってなって、びっくりされたってこともあります。笑
だからね、あのちょっとね、僕もね、そういうところで職業に対して、目からウロコが落ちたところがありました。やっぱりそういう力仕事、日雇いとかっていうのは、あの何だろうな、やっぱりそういう方々が働くところなんだみたいな、失礼な観念とかあったんですけど、僕なんかよりよっぽどすごい人がそういうところで働いてるんだって。で、そういうところで働くっていうモチベーションも、いろんなパターンがあるんだっていうことを知って。だから、もうほんとビックリするぐらい有名なあのファッションブランドの創立をしたような人がそういうところで働いてたりとかするんですよ、笑。で、工事現場なのになんかあの人、品がイイよねーみたいな感じで、みんながビックリするような高級時計とかつけてて、なんか工事現場にふさわしくないです、みたいな人がいたりとかね。
であとは、宝くじがとんでもない額当たっちゃって、で、それを元手に事業をやって、それでひと山当てて、もうこれ以上働かなくても、もう生きていけますみたいな超お金持ちが、暇を持て余してそういう仕事しているパターンだとか、いろんなのを見てきました。だからそういうね、やっぱり経験するとねー、違うことすると、本当にいろんなウロコが落ちますよね。だからそういうの見てるからね、僕は、あのえっとなんだっけ、ベーシックインカムを始めると、みんな働かないで堕落した社会が始まるとかっていう人たちの論理が受け入れられないんです。
ああ~と言ったところで第2部も1時間を超えました。今日もお付き合いありがとうございました。日も変わって日曜日になりますし、そろそろエンドにしましょう。そういうことで今日もたくさんのご視聴コメント、そしてたくさんのスパチャありがとうございました。
せいちゃん「そういえば、シェンロンどうなりましたか」って。うん、やりたいんだけどね、やっぱりあのコロナがあって取材とかねあれこれも動きづらくなっちゃったから、ちょっと立ち消えになってましたけど、またちょっと様子を見てねやれることをやっていければなと思っております。はい。もうシェンロプロジェクトって何って人もたくさんいるような気がします。ということで、まあまあお金持ちじゃなくても、豊かでさえあれば、大丈夫なんで。ありがとうございました。また次の配信でモニター越しでお会いいたしましょう、セバー。
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(文字起こしここまで・文責井上)
昨日の記事にも少しコメントしましたが、
お金自体、人間が産み出した幻想のひとつなので、
黒斎さんのこの話も、
これが事実であるとか、こうした見解が
正しいということを言いたいわけではなく、
読まれた皆さんお一人お一人が
ご自分で納得できる見解を
拠り所にされるのがよいようにおもいます。
黒斎さんがお話されている内容は、
リアルな現実もふまえたもので、
わたしには納得できる点がたくさんありましたし、
とくに、お坊さんに渡すお布施は
生産活動していない人への応援であり、
托鉢行が、引き寄せの法則が駆動するための
仕掛けというお話は、ナルホドとおもいました。
とくに、その後で語られていた、
豊かさとは十分持っているという心理状態を指し、
形や数字としての財産のことではない。
どんなにお金や財産があっても、
足りないって気持ちで生きていれば
その人は貧しいのであって、
お金の多寡は豊かさと比例しない。
仕事やお金の本来の意味が変わっちゃって、
「豊かさ」と「お金の所有」とが、
ごっちゃになっちゃってる。
というのは、本当にその通りだなとおもいます。
昨日の記事で引用した箇所には
現代日本の教育に対する指摘もありましたが、
わたし自身も、お金の稼ぎ方や使い方を
学校で学んだ記憶はありませんし、
現行の義務教育においては、
子どもたちがお金について学ぶという機会が
ほとんどありません。
寺子屋塾で、黒猫タロウの屋台屋本舗ゲームや
トータルゲームを使ったワークショップを
開催しているのは、
学校や家庭では実行できていないことや
実行しにくいことを実践しようという姿勢の
現れのつもりなんですが、
これまであまり効果的にPRできてきたとは
言えない状況ではあるので、
このことはもっと声を大にして
アピールしても良いことかもしれません。
【雲黒斎さん関連の過去投稿記事】
・「高次」とは認識視座の増加である(雲黒斎さんのYouTube動画より)
・「統合する」ということ(その9)雲黒斎「フラットランドについて」①
・「統合する」ということ(その9)雲黒斎「フラットランドについて」②
・「統合する」ということ(その21)雲黒斎「〝自我〟は手放せるか?」①
・「統合する」ということ(その22)雲黒斎「〝自我〟は手放せるか?」②
・「統合する」ということ(その24・最終回)これまでのまとめ
・雲黒斎『マスターからの手紙 超訳老子道徳経』第1章〜第11章
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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は
こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ
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