変化の早い人と遅い人の違いは?
2021/09/09
4日前に書いたblog記事「感情をコントロールするコツは?」でも、質問力というか、質問の仕方が大事ということに触れたんですが、教室で塾生からこんな風に問われたことがあり、その問いとわたしが話した内容の要点をご紹介します。
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Q:井上さんは、寺子屋塾で長年にわたって沢山の生徒さんと接して来られていて、たぶん、長く学んでなかなか変化しない人と、短い期間に大きく変化する人がいるとおもうんですが、その違いはどういうところにあるとおもわれますか?
A:まず大前提として、寺子屋塾にやってくる人たちは、基本的に自分を変えたいとおもっている人だとおもうんです。だいたい、自分は今のままでイイっておもっている人は、ここへは来ないでしょうから。それと、もうひとつ大事なことは、変わるスピードが速いことが必ずしも良いことではないってことですね。それって、結局効率主義的な考え方なわけで、べつに遅くたって構わないじゃないですか。小野美由紀『傷口から人生』って本に、「その人の魂のスピードで生きることが大事」ってコトバが出てくるんですが、ホントその通りだなぁっておもうので。その人その人に相応しい変化のスピードがあるので、自分の外側にあるモデルに合わせようとするのでなく、自分にしかない固有のペースやリズムを自分でつかむっていうのは、ここの塾ではとっても大事な学習テーマなんです。
ただ、自分を変えようとしていて、なかなかおもうようにいかないって感じの人は、変えようとするやり方やもとにしている考え方自体が違っていることに、どう自分で気づくかというのがひとつのポイントであるということは言えるかもしれません。ひとつの要因として、このことは医学の話にたとえるとわかりやすいとおもうのですが、今の時代、栄養が足らなくて病気になっている人ってほとんどいなくて・・・だいたい病気の原因は、9割以上が食べ過ぎというか、栄養や必要ないものの取り過ぎなんですね。笑 そして、自然治癒力が誰にでももともと備わっているから、薬や手当が病気を治してくれるわけではない。薬や手当はあくまで自然治癒力がはたらきだすためのトリガーでしかないのだから。
つまり、いまの話を置き換えて考えてみればいいわけです。ハンガリーの生化学者であり科学哲学者でもあったマイケル・ポランニーが提唱した〝暗黙知〟という概念は、人間の教育とか学習といったテーマについて考える上でもとても重要だとおもっているんですね。ごく簡単に言うと、「生物の進化は、言語の獲得といった社会的な変化も含め、その生物自身が内部にもっている暗黙知に基づいて行われる」ってこと。たとえば、「アインシュタインは、相対性理論を発見した」って言われてますよね? もちろん、その表現自体は間違いじゃないけれど、別の見方をすると、彼は教育を受けたから、外部から何らかの能力を得たために相対性理論を発見できたのではなく、もともとアインシュタイン自身の中にあり、その自分の内側にある暗黙知によって相対性理論を発見したんだと。ポランニーはアインシュタインに直接手紙を書いて確認しようとして、アインシュタインから「確かにそうだ」と返答をもらっているんです。
よって、自分のなかに必要な答えはあるので、実は学ばなければいけないこと、外から持って来なければいけないようなものなんて、本当はひとつもないのかもしれない。でも、自分には不要なものだってわかっても、一度身につけたことを自分から捨てるってのは、なかなかできない難しいことでもある。だから、何かを得ようとすること、自分に何かを付け加えることだけが学ぶことだと勘違いしている人は、なかなか変わらないかもしれませんね。それって、やっぱり大脳思考優位な姿勢というか、大脳思考がメインになってるから、いろいろなところから情報を集めたり、一所懸命何かを吸収しようとしたり、あちこち勉強会のハシゴをしたりいろんな研修を受けたりする。もちろんそれは決して悪いことではないんだけど、自分が学んだことを日々実践してにやってみることはもちろん、まわりの人に伝える機会を積極的につくったり、外に向けて表現するということを心がけていないと、知識やツールばかりが次々増えていってしまう。学ぶだけで満足して自己完結してしまっては変わらないし、同じことを何度も繰り返してしまうって傾向はあるかな。
たぶん、そういう人は自分自身が見えていない・・・わたし自身がかつてそうだったから、大脳思考に囚われている人はすぐわかりますよ。目の前にあるプリントを1日1枚、無目的にたんたんとやり続けるということができなくて、「こんなことやってても意味ない」って考えたり、すぐ他のことをやりはじめたりしてしまう。モチベーションが高い人って結構要注意で、モチベーションがマイナスにはたらくことだってあるんです。そんなにあれもこれもやらなくっていいっていうか、それより、たったひとつのことでいいので、それを地下水脈に突き当たるまでやり続けることのほうが大事ですからね。
自分をつぶさに観察すること、自分で自分をモニタリングすることを欠かさない人は、変化が早いです。生きることは変化するということでもあるので、そのように日々変化するプロセスを微細なところまで観察できていれば、それだけで十分というか。自分の外側ばかり見てる人、まわりのことが気になる人はなかなか変わらない・・・というか、変化しているんだけど自分で気づいていないんです。結局その変化を妨げ、ブレーキをかけているのは、ほとんどの場合その人の自意識なので。
寺子屋塾の〝セルフラーニング〟という学習スタイルは、けっして万人向けとは言えないし、コレを人に伝えようとするととってもわかりにくい。でも、わかりにくいやり方かもしれないけれど、学習というものの本質に沿ったやり方なんですね。だから、長年にわたって教育の仕事に関わっていて、何らかの壁に突き当たってその壁を乗り越えられた経験をお持ちの方には、このやり方に共感されたり、手応えを感じて頂いたりすることが少なくありません。35歳のときに悟りを開かれたお釈迦さまでさえ、その後40年以上修業を重ねられて、臨終のときになって弟子たちに「まず自分を観察しなさい。自分自身を拠り所としなさい。(自灯明)」いうコトバを残されたぐらいですから、その大事さっていうのは、なかなかすぐにはわからないものなんじゃないかと。
あと、おもっていることをコトバで表現する人は変化がわかりやすいし、そういう意味で、日々書くということはとても大事なことだと言えるかもしれません。でも、日記のように、自分だけに分かる言葉で自分ひとりだけで書いていてもあまり変わらないんですね。だから、もし自分を変えたいとおもうのなら、誰かが読むということを前提にしてオープンな場で書いて、まわりの人たちとやりとりをして、書いたものを自分でも読み返して丁寧に内省する・・・そういう営みを日々繰り返すことが、自覚的に生きる姿勢をつくっていくし、結果的にその人の魂のスピードで変化するということをもたらすのではないでしょうか。
まあ、これを言ってしまうと身も蓋も無いんですが、結局は、人生は自作自演というか、自分で困難をつくりだしておいて、それを何とかしようとしているところがあるんですよ。だから、自分が変わるとか変わらないとか、速いとか遅いとか、人間がつくりあげた観念の世界の話でしかないので、地下水脈に突き当たるところまで掘り進めてしまったら、たいていどうでもよくなっちゃうみたいですが。笑 でも、そんなふうにアタマでわかっても仕方ないというか、それは絶対に大脳思考次元ではたどりつけない世界なんで、自分で体験してみるしかないんですよ。たぶん皆さん、いろいろ体験するためにこの世に生まれてきたわけですからネ。(^^)
※図版は泉谷閑示『「普通がいい」という病』(講談社現代新書)より