「自立」と「依存」(つぶやき考現学 No.112)
2021/09/24
「自立」と「依存」を対義語としてとらえ、
「自立=善、依存=悪」という文脈で
語られることは少なくない。
でも、依存することが良くないなどと
いったい誰が決めたんだろうか?
なぜなら、人と人とは
互いに「依存」し合うことで
社会生活が成り立っているし、
他者に「依存」せず生きている人など
この世に誰一人としていないからだ。
「依存は良くない」と考える人は、
自分が多くの人に「依存」していて、
ひとりでは生きていけないことを
認めたくないのかもしれない。
あるいは、他者に「依存」できないことが
自身の課題だということに、
気づいていないのかもしれない。
そもそも、何をもって「自立」とし
何をもって「依存」とするかは
個々人のあり方の問題であるし、
まわりとの関係性で初めて決まることで、
そこには明確な定義や正解などはなく、
時と場合によっても、
いかようにも変わり得るはずのものだ。
それに、自分ひとりで生きていこうと
必要以上に頑張り続けることは、
「自立」の実現はおろか
結果的に「孤立」を深めるばかりだろう。
よって、適切に人に「依存」することこそが
「自立」を実現すると考えればよいし、
「自立」や「依存」の良し悪しを
判断しようとするよりは、
互いが互いの存在をどのように受けとめ
どのようにしていきたいかを
相手に聞いて確認し合えば
よいのではないだろうか。(2015.2.23)
※安冨歩さんの『生きる技法』(青灯社)を読んでふと浮かんだことを詞の形で書いてみました
※井上淳之典のつぶやき考現学 No.112