寺子屋塾でこれから易を学ぶ場を始める理由について
2021/10/17
昨日の続きです。
なぜわたしが寺子屋塾にてこれから易を学ぶ場を始めようとしているのか、その理由の筆頭は、62年余になるわたしの人生をふりかえってみたときに、わたし自身が長く易経について学んできたことを、つくづくよかったとおもっているからです。
易経と最初に出会ったのは20歳過ぎの頃でしたから、かれこれもう40年以上も学んできているにもかかわらず、そのすべてを知り尽くし学び終えられたわけではありません。
古代中国、殷(商)の時代から蓄積された卜辞を集大成したものと言われている易経ですから、源流までをすべて含めると4000年近くの年月を経て今なお生き残っている、四書五経の中でも最も古く、「古典の中の古典」と言ってよいでしょう。
最近読んだ本、立命館APU大学学長・出口治明さんが書かれた『本の「使い方」』には、なぜ古典を読むのか、古典はなぜ優れているのか、古典を学ぶ意味はどこにあるのかなど、20ページ以上も割かれて詳細に書かれています。
出口さんが古典について書かれていたポイントは、次の4点です。
①時代を超えて残ったものは無条件に正しい
②人間の基本的、普遍的な喜怒哀楽が学べる
③ケーススタディとして勉強になる
④自分の頭で考える力を鍛錬できる
出口さんが挙げられているこの4点は、ひとつひとつすべて頷けることばかりですが、40年以上も学んでまだよくわからないほどの果てしない奥深さと、長い時間を経てもなおいま生き残ってきている歴史の重み・・・易経を学んできたわたしがもっとも実感していることとは、④つめの「自分の頭で考える力が鍛えられた」という点に集約されると言ってよいでしょう。