河村真光『易経読本――入門と実践』まえがき
2021/10/19
昨日のblogでご紹介した秋山さと子さんの『易経(イー・チン)』の次に読んだのは、以前にも書いたとおり、マクロビオティックの創始者・桜沢如一の『無双原理・易』でした。
『無双原理・易』は数多い桜沢の著書のなかでもとびきり難解とされる1冊で、繰り返し繰り返し読んで、陰陽五行の基本的な考え方と易経とのつながりについては、なんとか朧気に摑むことはできたんですが、64卦の原文についてほとんど書かれていないこともあり、易経という書物のことをちゃんと理解できたわけではありませんでした。
40代で易に出会い直しをしたのは、2006年から亡くなる2018年まで主治医として豊岡憲治先生にお世話になっていたときで、先生はよく「卦を立てるとその人の病状がいまどういう段階にあるかということがとてもよくわかる」と仰っていました。
現代の日本では、易者と医者がほとんど結びつかないでしょうが、昔の中国では易者と医者が一緒だったという話もどこかで読んだ覚えがあります。
豊岡先生オススメの本は、こちらの記事にも書かれている河村真光『易経読本――入門と実践』で、この書には易経の成り立ちから歴史、64卦の解釈だけでなく、64卦すべてに事例まで詳しく書かれています。
ただ、変爻については、著者独自の解釈が載せられているだけなので、ひとつだけ欲を言えば、爻辞の原文を載せて欲しかったということはありますが、変爻はあくまで補助的な要素にすぎないことを言いたいために敢えてそうされたのかもしれません。
2016年元旦から毎日サイコロで卦を立て、本書のその卦に該当する部分に目を通すということを今でも続けているんですが、この5年間で易に対する理解が格段に深まったと実感していることも、このたび易を学ぶ場を寺子屋塾にて開始するに至った大きな理由でした。
よって、このたび新たにはじめる易経実践編のプログラムも、深遠な易経の世界を理解しようとするのでなく、サイコロを振り、卦辞と爻辞、その解説文に目を通す、わからないことをわからないまま学び続けるという、だれにでもできることを毎日少しずつ繰り返す、教えないスタイルの寺子屋方式を基本とします。
関心ある方は、井上まで直接お問い合わせください。
(引用ここから)
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本書は、既刊『易経入門』・『易経実践』(光村推古書院刊)をもとに、読者に易の面白さをよりご理解いただくために、新たな工夫を加えて新資料を収録し、実質的には前掲二冊を一冊にまとめたものです。
既刊『易経入門』は、基本的には初心者向けの入門書として企画されました。そのため具体的な実践例の紹介には頁をあまり割けず、それがやや不本意でした。でも易は、実地に試みてこそ意味があり、かつ妙味も味わえます。そこで引き続き、易占の実例を主眼とする『易経実践』を刊行し、幸いいずれもご好評をいただき今日に至りました。
今回の『易経読本』は、易を学ぶ上で必要な内容はもとより、占断の具体的活用法もでき得る限り紹介しながら、特に本書では、過去三千年の永きに亘り人々を惹きつけた易の不思議な魅力、そこにスポットを当て、読者に易の新たな興趣をお届けしたいと念願し、このたび刊行の運びに至りました。
人は、見えないもの、形のないもの、そうしたものに関心を失うと、眼で見えるもの以外、形としてあるもの以外、悲しいことに次第に信じられなくなります。そうなると人はたいてい余裕を失い、ささいなことにも不安を覚え、知らず知らずに険しくなります。
2007年度を象徴する漢字が「偽」であったのはまだ記憶に新しく、いかにもそれは現代をあぶり出すような話題でした。社会は、もしかしたらそうした冬の時代に突入したのかもしれません。この傾向が今後加速し、さらに悪化の道をたどることも考えておかなくてはなりません。事実、日常生活における不安材料の種には、なにしろ事欠かないからです。
だが、たとえそうだとしても、逃げるわけにもいきません。フランスの実存哲学者サルトルは、人間は、その生涯を通じて常に選択を強いられていくうちに、自ら選択した道にはまりこんで抜き差しならなくなると考えていました。
彼によれば、われわれが何か一つの選択をするたびに、自分の将来の選択肢の数と方向はおのずと制限され、後はその影響下で生きていかなくてはならない。つまり、人間は自分の過去の選択のパターンが切り開いた世界、そこでしか生きてはいけないと。早い話、どちらにしても逃げる場所はないのです。
今の時代は、現れては消える泡のごとき解説も、声高な空しい絶叫も、独り善がりも、みな当てにはなりません。その証拠に、核兵器は拡散し、貧富は拡大し、南極の氷は溶け、砂漠は拡大し、あまつさえ、食物までエネルギー源とする動きは加速しています。
しかし、よくしたものです。こうした時代こそ、脚光を浴び再評価されるのが古典です。中でも、『易経』のような摩訶不思議な書物などは、俄然光彩を放ってきたような気がします。現代よりもはるかに過酷で不安な時代を潜り抜け、凌ぎ、対処した古代人の叡智に、耳を傾けたくなるからです。
古いものがすべて正しい、むろんそんなことを言う気はありません。しかし源流を紀元前2000年紀に遡るという、驚異的歳月のヤスリにかけられた生命力には、人類の叡智がどこかに隠されているに違いないと思えるのです。
もともと易とは、意識の深層に眠るものを、一定の方式で掘り下げ、取り出す、ただそれだけのものですが、しかしこれを知れば知るほど、先人のおそるべき知性に、感歎恐懼の念を私は禁じ得ないのです。まだまだ捨てたものではありません。
本書を手がかりにし、読者各位がそれをさらに進展させ、一人でも多くの方が易の妙味を味わって戴けるなら、また本書がそのお手伝いにすこしでも役立つなら、私の喜びはこれに過ぎるものはありません。
※河村真光『易経読本 入門と実践』はじめに より