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卦辞「雷山小過」の解説

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卦辞「雷山小過」の解説

卦辞「雷山小過」の解説

2021/10/20

今日は易経にはいったいどんなことが書かれているのか、昨日ご紹介した河村真光さんの本の解説を具体的にご紹介しようとおもいます。

 

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ということわざがありますが、2×2×2=8、これを2つ重ねて上卦と下卦とし、易には8×8=64の卦があります。

 

つまり、昔の中国の人々は、この世界には64のシチュエーションがあり、その間を常に変転しながら動いているんだと解釈したわけですね。

 

これからご紹介する【雷山小過】という卦は64卦のうちの62番目にあり、「らいざんしょうか」と読みます。

 

(引用ここから)

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易における陰・陽の概念を正しく理解するには、雷山小過ほどふさわしい卦はない。なにしろ易のエッセンスともいうべき大切なテーマがこの小過の主題だからである。むろん大は陽、小は陰である。


強壮な陽が過剰ならば、勢いは確かに強い。だが、反面どことなく不安定で危なっかしい面もある。しかし陰が過ぎるというのは、エネルギーが不足し、動きの乏しさが気になるが、望外にも、易の作者は、小過は「亨る」、願い事は通るとし、しかも大過が「利あり、亨る」、ただそれだけなのに、小過は「大いに吉」と述べるのである。


陰が過ぎると逆にプラスに転じる。この考え方が面白い。一般的には、陽をプラス・活発・発生とし、陰をマイナス・停滞・消滅とみなすが、だが実際には、そうした狭義の陰陽観は、限られた一面にすぎない。


易はしばしば陽が過剰になるのを戒め、一貫して陰陽のバランスの重要さを強調するが、陰と陽を望ましいものとするか、望ましくないものとして単純にとらえる発想は、全編どこにも見られない。もともと陽は天であり父であり、陰は大地であり母である。いずれも両輪の如く不可欠な存在だからである。


卦辞は、「小事に可なるも大事に可ならず」、小さな事を行うには良いが、大事を為すには良くない。続いて「飛鳥これが音を遺す。上るに宜しからず下るに宜し」、いずれも大体同じ意味で、飛ぶ鳥が音を遺す、つまり飛鳥の鳴き声に耳を傾けると、上昇するには良くないが、下降するには良いといっている。そのようにすれば大吉がもたらされると。


この小過の〈陰が過ぎる〉で、易の作者がことさら強調するのは、要するに陰と陽のバランスの問題である。ときには大事よりも小事、上るよりも下ることの方が、さらにもっと重要なこともあるとするのは、消極的な発想からは生まれてこない。大事に専念し上昇を選ぶのは他に譲り、自分はあくまでも小事に専念し下降を選ぶ。つまり、下で支えて、自分はあえて地の塩となる。それは誰かがしなくてはならないからである。


小過には、人間の最も深い智恵が示されている。そのすぐれた対処があれば、物事はすべからず円滑に稼働する。「大吉」も当然である。


河村真光『易経読本 入門と実践』より

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