らくだメソッドではなぜ時間を計るのですか?
2021/11/08
「らくだメソッドでは、ストップウォッチで
時間を計るのはなぜですか?」
という質問をよくお受けします。
そんなときには、
「速くやれるようになることを目的にせず、
時間を気にせず問題を解く練習のためです」
とお答えしてるんですが、
大抵の方は「???」という顔をされるんです。笑
そこでこんな話をします。
ストップウォッチで計ると、
時間が気になってしまって集中できないんですって
よく言われるんですね。
それはそのとおりだとおもいます。
つまり、 速くやろうとすればするほど、
時間のことを気にすればするほど
結果的に遅くなってしまう・・・
でも、そうした場合、
その集中できないことの根底に、
「速くやれるようになることが良いことで、
遅いのは悪いこと」というとらわれや焦りが
隠れてるんじゃないでしょうか?
しかも、そのとらわれは無意識にすり込まれ、
自分でも自覚できないことが少なくありません。
もし、速いとか遅いとかという
スピードを優先させるのなら、
このような計算問題は、わざわざ人間が解かなくても
コンピュータに任せた方がずっと速いし正確ですよね?
だから、問題が速く解けるようになることを
目標にする必要なんて、そもそも無いわけだし、
なぜ、こういう計算問題を人間が解くのか、
その目的や意味を考えてほしいんですよ。
時間を計らずに、ただ漫然とやっているだけだと、
自分が時間にとらわれていること自体に
気がつくこともできないから、
時間へのとらわれがそのまま温存され、
そこからは、なかなか自由になれないんですね。
でも、時間を計るというアクションによって、
時間へのとらわれが
自分で意識できない領域から
意識できる領域にまでのぼってくるんです。
つまり人間は、無意識領域にあることは
直接アプローチしようとしてもできないので、
そこから自由になろうとしても難しいけれど、
意識できることに対しては、
直接アプローチできますから、
そこから自由になれる可能性が
でてくるんじゃないかと。
結局のところ、そのポイントとは、
今の自分の状態をどう見て
どう自覚するかにあるわけです。
学習するのに時間を計ること自体を
良くないと考える人がいるようですが、
そもそも、時間を計ることは、
ストップウォッチの機能ですから、
ストップウォッチという道具自体に
善悪があるわけではありません。
つまり、その道具を人間がどう使うかによって、
善悪が発生するわけですから、
同じストップウォッチであっても使い方次第で、
時間に対してのとらわれを
生み出してしまうこともあれば、
そのとらわれから
自由になることも可能なんじゃないかと。
結局、どんな道具も、その道具を何のために使うか、
その目的と使い方次第であって、
今の自分を映し出してくれる〝鏡〟というか、
その自分を観察することで、
見えてきたことを活用する
主体者である人間の意識次第で
どのようにもなるようにおもうんですね。
いまの自分を自覚し、
目の前のことだけにフォーカスしていくことで、
時間についてのとらわれが、
取るに足りない、些末なことだと気がつけば、
そのとらわれは自ずと消えていくだろうし、
そうなってしまえば、殊更に頑張らなくても、
殊更に早く解こうなどと意識しなくても、
ただ淡々と問題を解くということをしつづけるうちに、
スピードは自ずと速くなっていく・・・
ということが起こり得るんですよ。