寺子屋塾

ガッキーと源さんの結婚を予感していたわけ(その4)

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ガッキーと源さんの結婚を予感していたわけ(その4)

ガッキーと源さんの結婚を予感していたわけ(その4)

2021/11/13

このblogでは11/10から
5/19に発表されたガッキーと源さんの結婚について

発表される半年ほど前の昨年秋ぐらいから

予感があったことを書いてきたんですが、

もう4回目になるので、

今日はこれまで書いてきた内容を総括し、

そろそろキリをつけたいとおもいます。

 

この記事を今日初めてアクセスされた方は、

(その1) (その2) (その3)

ご覧になってからお読みください。

 

まず、塾のブログで、

こういう話題をなぜ書いているのか、

不思議におもわれるかもしれないのですが、

「寺子屋塾に入ってらくだメソッドをやっていると、

未来がわかる直観力が身に付くので

皆さんやりましょう!」ということが

一番言いたいわけではありません。笑

 

そもそもわたし自身、直観力を身に付けようとして

らくだメソッドのプリントをやっていたわけでも、

ドラマ『逃げ恥』を

毎日見続けていたわけでもないからです。

 

直観力がはたらくようになってきたといっても、

目の前のことを淡々と繰り返し続けていただけで、

後からおまけのように訪れてきた

ひとつの結果にすぎませんし、

そのことの因果関係を証明することはできません。

 

もし、目的を明確に設定された上での行動なら、

〝ただやる〟とか〝淡々と続ける〟ということには

そもそもならないわけですし。

 

あくまで仮説でしかなく、証明できないんですが、

未来がわかる直観力のような能力は、

昔の人は誰もが当たり前に持っていたのに、

文明が発達するにつれ、

大脳思考優位な人間が増えたことによって

失われてしまったのではないかと。

 

よって、まえもって計画を立てたり、

目標を考えたりといった

大脳思考を働かせることよりも、

手や身体を働かせる方に重きを置いて、

淡々と続けていることによって、

多くの現代人が失いつつある直観力が

蘇ってくることもあり得るようにおもうのです。

 

寺子屋塾には、いままでになかった能力を

新たに付け加える形で身につけようとする

〝足し算の学習(learning)〟も

全くないわけではないんですが、

余分なものを手放し、捨てることにより

本来の自分に立ち戻ることや、

もともと持っていた能力を蘇らせるといった

〝引き算の学習(unlearning)に重点をおいている

と言ってよいでしょう。

 

無心になろうとどんなに努力したところで、

無心な状態にはなれません。

 

なぜなら、そこには、

「ああしよう、こうしよう」という

「計らいの心」があるからです。

 

道元禅師はこのことを、

「強為(きょうい)」と「云為(うんい)」と

表現されているんですが、

つまり無心な状態は、

自力で努力して得られるもの(強為)ではなく、

向こうから訪れてくるもの(云為)なので、

そのために必要なことは、

努力でなく〝脱力〟だからです。

 

このテーマについては、

旧ブログ「往来物手習い」でも12年前に

「アホみたいな繰り返しが感覚を磨く」

というタイトルの記事を書いたことがあるので、

併せてご一読ください。

 

※2022.1.31追記
 この記事の続編を1/28から3回にわたって書きました。

(その5)はこちらにありますのでご覧頂ければ幸いです。

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