新しいことを学ぶ心得について(つぶやき考現学 No.98)
2021/12/01
・・え? 新しいことを学ぶ心得についてですか?
たとえば、コップに泥水が入っていたとしますね。
そのコップに上から
いくらきれいな水を足して入れても、
コップの水はきれいにならないってことは
わかりますよね?
つまり、新しいことを学ぶときに
いちばんそれを邪魔するのは
意外におもうかもしれませんが、
「わたしは~ができる」とか、
「わたしが~を知っている」とかいった
自分に対する先入観というか、
「自分が自分が・・」っていう自我意識なんです。
だから、何かを学ぼうっていうときに
一番最初にするといいのは
そうした「我」を抜く練習ですね。
・・いや、自分を無くするんじゃなくて、
「我」を抜くんです。
だって、自分が無くなっちゃったら
なにも学べませんから。笑
新しいものを入れようとする前に
コップの中の泥水を捨てるってことは、
言い換えると、
自我意識をちょっと外したところで
物事を見たり考えたりできるよう
着脱自在の状態を
いつでも作れるようにしておくってことです。
わたしたちは、日々いろんなことに追われ
アタマの中にイッパイ詰め込んでいて、
ガンジガラメになってしまってますから
そういう状態であれこれ学んでも、
せっかく学んだことが
どんどんこぼれ落ちてしまうんです。
だから、アタマの中にまず「空白」部分を
確保しておく必要があるわけですね。
言い換えれば、自分をリセットするというか、
「ニュートラル」な自分が
どんな状態であるかを
常に意識できるようにしておくってことです。
算数の計算プリントを1日1枚やる、
しかもそれを、
だれからも強制されないなかで
自分で決めてやり続けるってことは、
アタマの中に「空白」部分を
確保する練習でもあるわけです。
だれもが小学校のときにやった算数ですからね、
大人であれば、
ものの5分10分で終わりますし、
「そんなの、かんたんだぜ!」っておもうでしょ?
なにせ、1日は24時間ありますからね、
だれにも時間は平等に与えられているわけですし。
それがですね、いざやってみると、
できないんですよ、これが・・・。
問題を解いて、丸つけして、記録つけて、
気づいたことを書きとめてってやっても
ものの30分もかからないことなので、
どんなに忙しいってったって
できない理由はないはずなんですが、
ほんとうにできない・・・。
ホント愕然とするんですよ。
でも、だからといって
できない言いわけをどんなに重ねたところで
できるようにはなっていかないし、
そのことで落ち込んでても仕方ないんですね。
人間、うまくいってるときには
じつはあまり学んでなくて、
うまく行かないときほど、
自分をふりかえらざるを得なくなって
しっかり学ぶことができるわけで。
おもいどおりにいかない時こそ
人間は真価を問われるものですし、
「できない体験」に突き当たったときこそ、
自分で自分を観る姿勢の大事さというのも
腑に落ちるようになってきます。
つまり、そういうときこそ
良し悪しの評価なしに
ありのままに観る力が試されるし、
そういう自分を受け入れられるかどうかが、
無我、空白、リセット、ニュートラルってことに
つながれるかどうかのカギなんですよ。
こういう馬鹿みたいな、
やってもやらなくてもいいような、
簡単なことをやり続けようとすることで、
いままでまったく気づかなかったことに
気づくということが起こったり、
見えてきたりするんですが、
こればっかりは、ホント
実際やってみないとわからない世界なんです。
たった10分そこそこで終わってしまうような
特別難しいわけでもない
だれにでもできるようなことするっていうのは
ほんとうに小さな、些細なことで、
だれも積極的にやりたくないでしょうし、
ムダと感じるひとがほとんどだとおもいます。
ところが、どんなに些細なことであっても
それを、いついかなるときも
し続けようとしたときには、
自分の日々の生活の中にどう位置づけるか
意識せざるを得なくなりますから、
そのことを通じて
見えてくるものがあるんですね。
その見えてくるものというのは、
たとえば、これから自分が
どう生きていけばいいのかというテーマに
直結するような気づきが生まれたり・・・
つまり、どんなに大きなことも結局は、
日々の些細なことの積み重ねによって
成り立っているわけですからね。
だから、特別なことをやろうとする前に
目の前のことをまずやる姿勢、
そして、特殊な空間やハレの舞台よりも、
日々のあたりまえの日常の中で
些細なことをどこまで大切にできるかが、
すくなくとも、わたし自身にとっては、
無視できない大事なチャレンジなんです。(2017.7.9)
COMMENT:「新しいことを学ぶときの心得として、井上さんはどんなことが大事だとおもっていますか?」と問われたときにお話ししたことを詞の形で書いてみました
※井上淳之典のつぶやき考現学 No.98