自分の器を拡げるためにできること(その3)
2021/12/04
昨日の続きです。
「必要なことは、現状を冷静に観察し
事実に対して分析、考察することであって、
そうすることで、
たいてい打開策は見えてきます。」
と書いたんですが、おしまいのところで
塾生の廣安くんが書いた
ふりかえりのblog記事を紹介したのは、
その具体例としてとてもわかりやすかったからです。
つまり、ひとことで言うなら
ふりかえりの重要性ということであり、
自分の器を拡げようとするのなら、
ふりかえることは不可欠と言っていいでしょう。
でも、ふりかえっても、
単なる良し悪しの反省だけで終わっていたり、
自分の観念や妄想をただただ徒に
膨らませたりするだけならむしろ逆効果で、
事実に着目する姿勢を忘れてはいけないのですが。
お釈迦さまが説かれた「如実知見」です。
それで、廣安くんのblogふりかえりは
こちらの記事を初日に5日分あり
分量が多く内容も多岐にわたるので、
わたしも再々度読みなおして
以下、その要点を整理してみました。
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・気合いを入れると続かない
→勝手に自分で高いハードルを設定している
→人前でいい格好したい自分がいる
→しんどくさせているのは他でもない自分自身
・blogを書くネタはそこら中に転がっている
→書けなくなるのは、単に自分の観察が甘かっただけ
・書きたくないときこそ自分の現状を把握するチャンス!
→書きたくない気持ちのまま書いていると
何かしら自分の内側から出てくる
→淡々と続けることが大事
・「やる気があれば書き続けられる」という先入観が壊れた
→頑張らずに肩の力を抜くこと
→気持ちが乗らなくても
その状況を何とかしようとしない
→やる気次第で動くのは疲れる生き方
(やる気に振り回されているだけ)
→自分に蓋をしててもイイコトなんてない
・自分を受け入れる力の大切さ
→自分と向き合うことは、心の声に耳を傾けること
→ブログは自分自身の声を聞くツール
・連続100日と言っても、気づいたら続いてたという感じ
→書き続けることの難しさは感じなかった
→達成感はなかったが、別の課題が浮き彫りに
・周りからの承認や評価を気にしている自分
→無反応の中で書き続ける日々を経験することで
自分の心に耳を傾け、言葉にできる感覚に立ち戻る
→想いを伝える恥ずかしさや
人の目を気にしすぎる自分と訣別したい自分に気づく
・どうして人は人をディスるのか?
→人と自分は違うことさえみんなが理解できれば
認め合えるんじゃないか(多様性の容認)
→じつは、だれも悪くない
→自分の生き方に窮屈さがあり、自信がないから
人との比較でしか自分の価値が見出せないから
・「あなたは存在するだけで価値があるから、
あなたの生き方をしていい」と伝えたい。
→まず、勇気をもって相手に歩み寄る姿勢が不可欠
→見返りを求めず、その人を信頼し、
ただただ歩み寄ること
→この課題に自分は一生向き合うことになるのでは
・やりたいかやりたくないかで動かない生き方
→やる気の源泉をきちんと探ること
外発的動機づけは長続きしないし
内発的動機づけが良いとも限らない
・できるかできないかも関係ない
→できないことを問題視しないことで
自然にできるに向かっていく
・何かの目的を達成することにとらわれず
ただ淡々とやることの中にこそ
自分の自然な有り様が見えてくる
・ふりかえりは上手くまとめたって仕方が無い
→そのまま書くことで新たな気づき、学びが生まれる
→自分の現状が客観視できることで気楽になれる