何をやるかではなく〝どのようにやるか〟(つぶやき考現学 No.41)
2021/12/21
何をやるかではなくて
結局は〝どうやるか〟なんです。
やることはおそらく
皆さんの身の回りにいくらでも
あるでしょうから、
多少の違いはあっても
その違いは大した問題でないので、
・・まあ極論ではありますが、
何でもいいんです。
もちろん「歯を磨く」「顔を洗う」といった
もともと日常的習慣に含まれることや、
明確な目的があることは、
やり続けられて当然なので、
すぐに成果を感じることが難しく、
してもしなくても
どちらでもよいような、
些細なことでないといけませんが。
また、続けてやろうとするのと、
その時の気分に委せて
気ままにやるのとでは、
そのことで生まれる気づきが
歴然と違ってしまうことが
すくなくありません。
なぜなら、続けてやっていれば、
それが続けられなくなるときが
必ずやってくるんですが、
続けられなくなったときこそ、
それまでの自分の枠を拡げる
またとないチャンスだからなんです。
でも、わたし自身もかつてはそうでしたし、
だいたい皆さん、
ひとつのことをやり始めて、
それを続けられなくなったときに、
別のことを
新しくやり始めてしまうんですね。
だから、だいたい人は
あれもこれもやろうとしたり、
気分に委せて気ままに
やろうとするものなんですが、
それだからこそ、
ひとつのことにエネルギーを集中し、
なおかつ、それを集中させすぎずに、
できる、できないにとらわれず
たんたんと続けようとすること・・
繰り返すようですが、
何をやるかでなく、
たったひとつのことでいいので、
それを「どのようにやるか」が
大事なポイントなんです。(2019.6.11)
※井上淳之典のつぶやき考現学 No.41