「海を悠然と歩くらくだ」の写真のこと
2022/01/12
昨日に続いて写真の話題です。
冒頭の写真は、寺子屋塾を始めた1994年、
朝日新聞に掲載されていたのをきっかけに
手に入れました。
そのときのわたしは、
らくだメソッドを使った教室のパンフレットに
使う写真を探していて、
一目見てすぐに「これだ!」と
叫んだことをおもいだします。
ところで、猫などもそうですが、
全身を毛に覆われた動物には、
水を嫌うものが少なくないそうです。
らくだもそのようで、水がニガテらしく、
水の中をあるいたり、海の中に
自分から入って行くということはめったになく、
とっても珍しい光景なんだとか。
でも、なぜこのらくだは
海の中を歩いているかというと、
離れ小島に生い茂っている
マングローブの葉を食べにいくところとのこと。
腹が減っては何とやらということで、
このらくだたちにとっては、
背に腹は代えられないという状況だったようで。
人間社会でも、
「~がニガテ」という言葉をよく聞くんですが、
わたしにもニガテなものはいろいろあります。
わたしはいろいろなことをやっている人間だと
受けとめられることが多いんですが、
実はいろいろなことを同時並行的にやるのは
とってもニガテです。
学生時代は一夜漬けタイプで、
毎日コツコツやることはニガテでしたし、
科目では数学や理科などが得意で
どちらかといえば理系タイプだった自分には、
こうした文章を書くこともニガテでした。
人前で話すのは今でもニガテです。
でも、ニガテだということをしない理由にせず、
しつづけてきたお陰で、
すこしずつですが
変わってきたようにおもいます。
その自分の経験からもおもうのですが、
そうしたニガテ意識の正体というか、
自分の心の奥底にある本心でみたときには
〝意欲の表れ〟であって、
「本当は~ができるようになりたい」
という気持ちの裏返しであることが
多いのではないでしょうか。
また、そのニガテなものっていうのは、
その人ひとりだけでは見えない盲点や
隠れたその人の本質を浮き彫りにしてくれる、
かけがえのない
有り難いものだったりすることもあります。
もし、自分にとってどうでもいいことならば、
ニガテ意識すらも感じることは
ないでしょうから、
表面意識ばかりに振り回されずに、
自分は本当はどうしたいのか、
自分の本心を問うてみる・・
寺子屋塾は、そんな姿勢を大切にする
学習の場であるという想いを込めて
この写真をパンフレットの表紙に選びました。
「ニガテだなぁ・・」とおもうことに
であったときには、
ぜひこの「海を悠然と歩くらくだ」の写真を
おもだしてください。