寺子屋塾

〝指月の法〟とことば

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〝指月の法〟とことば(つぶやき考現学 No.28)

〝指月の法〟とことば(つぶやき考現学 No.28)

2022/03/16

こだわりを捨てることにこだわり、
気にしないようにということを気にする。
自由という名前の束縛を与え、
安心ということばの中に不安を覚えてしまう。
押しつけないという考え方を相手に押しつけ
欲を持たないという欲を自分の中に発見する。
 
「指が月をさすとき、愚者は指をみる」というが
ことばはまさしく「月さす指」だ。
 
ことばとはそもそも
ことばにならないものを表現する
不完全な手段にすぎないのだから、
ことば自体にとらわれてしまうと
月を見ずして
「月さす指」を見続けることに。
 
ことばにならないものを
ことばにしているという
ことばのもつ矛盾に
気がつくことではじめて、
ことばの向こう側にある
ことばにならないものが見えてくる。(1995.8.31)

※井上淳之典のつぶやき考現学 No.28

COMMENT:

この場でご紹介しているつぶやき考現学は、

比較的最近に書いたものが多かったのですが、

今日は久しぶりに、

寺子屋塾を始めて間もないタイミングの

1995年に書いたものを採り上げてみました。

 

でも、最近この詞で書こうとしたことを

痛感するようなできごとが多いのです。

 

たとえば、わたしが〝今日の名言〟と銘打って

古今東西の人々の言葉を引用して

毎日一つずつ紹介している

シリーズの記事があるんですが、

「努力とは、得ることではなく手放すこと」

というある人の言葉を紹介した記事に対して、

教室に通っているひとりの塾生から、

「これだけでは文意が伝わってきません。

 どういう意味合いなんでしょうか?」と

問われたことがありました。

 

もちろん、「努力」という言葉は、

一般的には「何かを得ようとする」という意味で

使われていますから、

この言葉の意味自体を解釈しようとするなら、

「意味分からない」となるのは当然なんですが、

この言葉を〝今日の名言〟として紹介している

文脈とセットで読まない限り、

おそらく、この言葉を書いた人の言いたいことや、

紹介したわたしの意図がどういうところにあるのか

受け取ることは難しいでしょうから。

 

そこで今日は、言葉というもののあり方において

最近痛感している内容について、

また、上に紹介した詞で何が言いたかったのか、

上に紹介した詞の4倍ぐらいの分量の言葉を使って

しっかり書いてみようとおもいます。

 

 

人間は言葉を使いますが、

言葉はひとつの道具にすぎません。

 

言葉がとても良く出来た道具であることは

確かなのですが、

言葉だけが独立して存在しているわけではなく、

その言葉をどんなに上手く操ろうとしても

おのずと限界があります。

 

結局、言葉のモトは

人間の〝心〟にあるからということで、

吉本隆明さんが『心的現象論』

なぜ30年以上にもわたって書き続け、

「心とはなにか?」というテーマと

ずっと向き合って来られたかという理由が

少しずつわかるようになってきました。

 

と言っても、哲学や数学などの学問分野においては、

ある言葉が何を意味しているのか明確に定義し、

その共通の定義に基づいて話を進めないと、

混乱を招いてしまうということはあります。

 

20世紀最大の哲学者のひとりと称される

ウィトゲンシュタインは、

そうした混乱に終止符を打たんとして

「語られうることは明晰に語られうる。

 しかし、論じ得ないことについては、

 人は沈黙せねばならない」

『論理哲学論考』の最後に書きました。

 

でも、わたしたちが日常使っている言葉は、

数学の方程式のように

一つ一つの意味を明確に定義しながら

使っているわけではありませんし、

しかも、言葉の意味や使い方を説明している

辞書自体も非常にたくさんあって、

たった1冊の辞書に載っている意味や定義を

多くの人で共有するように

努めているわけでもありません。

 

このことは、赤ん坊が言葉を習得していく

プロセスを想像すればわかりやすいのですが、

先に意味を理解し、

その意味に対応した言葉を覚えるのではなく、

言葉を覚えるのが先で、意味は後からです。

 

たとえば、「京都」という固有名詞ひとつとっても、

「京都」という言葉から

Aさんがイメージする内容と、

Bさんがイメージする内容とは

まったく同じではなく、ズレているのが普通です。

 

もし、Aさんがイメージするのと同じ内容でしか

「京都」という言葉を使ってはいけないと

なってしまうと、逆に他の人が「京都」という言葉を

使えなくなってしまうことはわかりますか?

 

つまり、わたしたちが日常使っている言語は、

学問の言語とは逆に、

意味が一つに定まっていなくて

むしろ曖昧だから、言葉として機能し

多くの人が使えているわけです。

 

とすれば、言葉の意味や定義が

相手と自分とは食い違っているのが普通ですから、
それをどれだけ厳密に使おうと心がけていても、

おのずと限界があり、

その違いを確認するプロセスが重要になってきます。

 

つまり、相手の発した言葉の意味を

どんな文脈で使われているかを無視して

自分の知っている定義で解釈しようとしても、

相手の言いたかったことが

きちんと受け取れないばかりか、

わかったつもりになるだけであって、

実りの多い豊かなコミュニケーションには、

なっていかないことでしょうから。

 

さて、能書きが長くなってしまいましたが、

あなたは、言葉の意味よりも

相手が何を言おうとしているのか、

相手の文脈に自分から飛び込んで行って

話を聞いたり、本を読んだりしていますか?

 

指のさし示す先にある月を見ようとせず、

「月さす指」そのものをずっと見続けながら、

「オカシイな〜 月が見えないな〜」と言っては

首を傾げていませんか?

 

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