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ドラマ逃げ恥「平匡さんの自由意志です。どうしますか?」(「今日の名言・その13」)

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ドラマ逃げ恥「平匡さんの自由意志です。どうしますか?」(「今日の名言・その13」)

ドラマ逃げ恥「平匡さんの自由意志です。どうしますか?」(「今日の名言・その13」)

2022/04/25

 みくり:平匡さん、わたしの恋人になってもらえませんか?
 平匡:ぼくとみくりさんが恋人?
 みくり:はい。
 平匡:タイミングのおかしな冗談ですか?
 みくり:本気です。妄想でもなく、現実です。
 平匡:……
 みくり:〔立ち上がる〕考えたんです。
平匡さんと付き合うなら周りに隠す必要もないし、不必要な気を使うこともない!
 平匡:ちょっと待ってください!
 みくり:例えば、風見さんと付き合ったら、
平匡さんに言えないことがさらに増えて、お互いにストレスが溜まる一方です。
 平匡:そうかもしれませんが……
 みくり:今のままじゃ気持ちが落ち着かないし、
家の中もぎくしゃくするし、これが最適な解決方法だと思うんです。
 平匡:そこに至る思考の流れが皆目見当つきません!
 みくり:平匡さんが嫌なら、引き下がります。
 平匡:……
 みくり:これは…平匡さんの自由意志です!
 〔BGMでディサイシブバトルが流れる♫~〕
 平匡:自由意思……
 みくり:はい! どうしますか?
 平匡:……

 

TVドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』第4話より

 

今日の名言は、

ドラマ「逃げ恥」本篇第4話クライマックスシーンで、

みくりさんが平匡さんに言う台詞を

取り挙げてみたんですが、

「逃げ恥」を観てない人は、以下ネタバレ注意!です。

 

わたしには、この場面のやりとりに、

対話的コミュニケーションの

〝極意〟とも言うべきエッセンスが

含まれているようにおもえたんですが、

このみくりさんの「自由意志です」という言葉が

なぜ〝名言〟に値すると考えたのかわかりますか?

 

ちなみに、この場面よりも前の

同じ第4話で全体の4分の3ぐらいすぎた辺りで、

平匡さんがみくりさんに、

同じ「自由意志」という言葉を使うシーンがあります。

 

ベランダにジュウシマツが一羽しか来ていなくて、

みくりさんの「もう一羽、どうしたんでしょう」

って話すところからはじまって、

風見さんの話になっていく場面なんですが・・・

 

平匡:風見さんと交代してもいいですよ。

みくり:えっ?

平匡:立場を。風見さんの家に住民票を移して

   未届けの妻になって

   うちには以前のように週1で通う。

   うちに通うのがタイヘンであれば、

   ぼくはまた、別の家事代行業者に頼みます。

みくり:それは・・平匡さんはいいんですか、それで?

平匡:みくりさんの自由意志です。

 

みくりさんは、平匡さんのこの言葉に

「自由意志って、その言い方ずるくないですか?

 だったら、風見さんのところに行きます」と

一瞬おもってしまうんですが、

大学、大学院で心理学を学んでいて、

内省力のあるみくりさんは、

「そう言ったら、引き留められることもなく、

 すんなりとそうなるんだろう・・・」と

心の中だけに収め、口には出さずにとどまります。

 

みくりさんが「その言い方ずるくないですか?」

と感じたように、

この、平匡さんの言う「自由意志」と、

最初に採り上げたみくりさんの言う「自由意志」とは、

似て非なるもので、まったく使い方が違うんですが、

どう違うのか、わかりますか?

 

みくりさんの言う「自由意志」の場合、

平匡さんに対して、

「わたしの恋人になってもらえませんか」と

自分がどうしたいか、相手にどうしてほしいかを

きちんと伝えた上で、

その結果どう行動するかは、相手の自由だからと

相手の意志にちゃんと委ねています。

 

それに対し、平匡さんの言う「自由意志」は、

自分がどうしたいか、相手にどうしてほしいか

自分の本心をみくりさんに伝えようとせずに、

判断を相手に委ねてしまっているので、

平匡さんは、みくりさんの

自由意志を尊重しているつもりかもしれませんが、

みくりさんにはそう伝わっていません。

 

つまり、みくりさんは、平匡さんと、

ちゃんと対等に向き合おうとして

「自由意志」という言葉を使っているのに対し、

平匡さんは、みくりさんの判断に依存して

「自由意志」という言葉を使っているので、

自分だけ傷つかないようにしている守りの姿勢が、

見透かされてしまっているんですね。

 

「また、壁が・・・」ってヤツです。

 

 

さて、今日の本題です。

4/22からこのblogでは、

らくだメソッドと他の教材との違いについて、

その違いのなかでも、

とくに、なぜらくだメソッドでは、

押しつけ、強制、命令をしなくても、

生徒が自分からすすんで学ぶようになるのか、

について書いてきました。

 

昨日のblog記事の最後にも、

「この続きはまた明日に」と書きましたし。

 

よって、

このドラマ「逃げ恥」でみくりさんの

「自由意志」というセリフについての話が、

寺子屋塾で行っているらくだメソッドの指導と

いったいどんなふうに繋がるかということなんですが。

 

前記したように、らくだメソッドの指導では、

「押しつけない、強制しない、命令しない」姿勢を

キャッチフレーズにしています。

 

しかし、この言葉は、

誤解されやすい言い回しでもあるようで、

「押しつけない、強制しない、命令しない」ことが

正しいことであり、良いことだから、

相手に好きなようにさせることなんだと

解釈されてしまうことも少なくありません。

 

「押しつけない、強制しない、命令しない」とは、

「押しつけ、強制、命令」が全面的にダメだと

否定したいために使っているわけではなく、

自分が教えよう、伝えようとしていることが、

相手に「押しつけ、強制、命令」として

受け取られてしまい、

伝わらないことが問題だとおもっているんですね。

 

結局、自分は教えているつもりなのに、

相手に何も伝わっておらず、

教えたことには全然なっていないことが

問題だと感じていることが言いたくて

使っているわけなんですが。

 

「教えない教育」というフレーズも同じです。

 

「教えたいことがない人には、

〝教えない教育〟はできません」などという言い回しで

話すこともあるんですが、

「教えない教育」とは、

「教えない」というやり方の「教育」であって、

学校などで行われている「教える教育」と

対比する目的で使っている言葉ですから、

教育そのものを否定したいわけでも、

まったく何も教えていないわけでもありません。

 

多くの人が、教えることが教育だとおもっていますし

世の中的には「教える教育」が主流ではあるけれど、

「教えない教育」というのも

あっていいんじゃないかと。

 

したがって、「教えない教育」における

「押しつけない、強制しない、命令しない」指導とは、

あくまで、教える相手の自由意志を尊重し、

対等な関わりを大切に考え、

自分が相手に教えたいことについて、

相手から押しつけられたと感じられないように、

伝え方を工夫するやり方もありますよという

一つの提案であって、

「教える教育」を否定しているわけでも

「教えない教育」だけが

正しいと言いたいわけでもありません。

 

「押しつけない」指導といっても、

相手に某かを教えているという点では

「教える教育」と何ら変わりがありませんし、

相手に対し「教えたいこと」が

自分の中で明確になっていないと

できない指導ということになるんですが。

 

長くなってしまったので整理します。

 

自分の言いたいコトをちゃんと言った上で

その結果、どう行動するかについて

相手の自由意志を尊重するということは、

対話的コミュニケーション、

つまり、相手と対等に関わろうとする姿勢に

つながると言ってよいでしょう。

 

そしてこの姿勢は、

指導する側が「伝えたい」ことを、

学習者に「押しつけられた」とおもわれないように

ちゃんと伝わるよう伝え方を工夫するとともに、

最終的にどうするかについては、

学習者自身が自分の意志で決められるようにしている

当塾の関わり方にも、そのままつながっていることが

おわかり頂けたでしょうか。

 

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