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最終章「堯曰第二十」3番(「論語499章1日1章読解」より)

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最終章「堯曰第二十」3番(「論語499章1日1章読解」より)

最終章「堯曰第二十」3番(「論語499章1日1章読解」より)

2022/05/15

日曜は易経、論語、仏典など

古典研究カテゴリーの記事を投稿しています。

 

論語は全部で499章あるんですが、

2019年の元旦から1年半弱のあいだ、

1日1章ずつ読んでFacebookに投稿することを

日課としていました。

 

昨年11月の半ば頃

論語1日1章読解全体のふりかえり文を

11/17に投稿したこのblog記事から

3回にわたってご紹介したことがありますので、

未読の方はそちらをまずご覧ください。

 

最終章の499番を読み終えたのが

ちょうど5月半ばという今の時期で、

つまり、一昨年の一昨日だったことを

おもいだしたので、

今日は2020年5月13日に投稿した

最終章「堯曰第二十」3番の読解記事を

ご紹介しようかと。

 

論語は孔子が亡くなってから400年ほどの間に

編纂されたものというのが定説とされています。

 

さまざまな注解書がありますが、

何よりも孔子は2500年以上も前の人物ですから、

今日までの間に多くの手が加えられ、

編集されているのが

今日ある論語の姿だと考えること自体には

無理はないと言ってよいでしょう。

 

1章ずつ読んでいて面白かったのは、

それまで論語はほとんど読んだことがなく、

漢文が苦手だったわたしですら

章が進めば進むほど、

孔子自身の言葉を書きとめたものか

そうでないかが感覚的に

判断できるようになってきたことでした。
 

自分にできることから、毎日少しずつ、

淡々とやり続ける寺子屋流の学習法は、

論語の読解においてもかなり効果的であることが

実感として確認できたばかりか、

わたし自身の情報リテラシー力を磨くのに

どれだけ役立ったかわかりません。

 

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【今日の論語:No.499「堯曰第二十」3番】
※連続投稿499日め、本日にて全499章完了!
 
[要旨(大意)]
論語の最終章として君子の心構えについて孔子が語っているが、孔子自身の肉声を書きとめたものではなく後世の儒学者による創作の可能性が高い。
 
[白文]
孔子曰、不知命、無以爲君子也、不知禮、無以立也、不知言、無以知人也。
 
[訓読文]
孔子曰ク、命ヲ知ラザレバ、以テ君子爲ルコト無キナリ、禮ヲ知ラザレバ、以テ立ツコト無キナリ、言ヲ知ラザレバ、以テ人ヲ知ルコト無キナリ。
 
[カナ付き訓読文]
孔子(こうし)曰(いわ)ク、命(めい)ヲ知(し)ラザレバ、以(もっ)テ君子(くんし)為(た)ルコト無(な)キナリ、礼(れい)ヲ知(し)ラザレバ、以(もっ)テ立(た)ツコト無(な)キナリ、言(げん)ヲ知(し)ラザレバ、以(もっ)テ人(ひと)ヲ知(し)ルコト無(な)キナリ。
 
[ひらがな素読文]
こうしいわく、めいをしらざれば、もってくんしたることなきなり、れいをしらざれば、もってたつことなきなり、げんをしらざれば、もってひとをしるなきなり。
 
[口語訳文1(逐語訳)]
先生(孔子)が言われた。「天命を知らなければ、君子であることはできない。礼を知らなければ、人として立つことはできない。言葉を知らなければ、人を知ることができない。」
 
[口語訳文2(意訳)]
孔子「天の定めを知らないようでは、君子ではないだろう。礼を知らないようでは、人間として自立できないだろう。言葉というものを知らなければ、人間を真に理解することはできないだろう。」
 
[口語訳文3(従来訳)]
先師がいわれた。――
「天命を知らないでは君子たる資格がない。礼を知らないでは世に立つことができない。言葉を知らないでは人を知ることができない」(下村湖人『現代訳論語』)
 
[語釈]
命:天命。
知言:他人の言葉の真意を理解する。
 
[井上のコメント]
本章は「天命」「礼」「言」という3つのテーマを取り上げ、論語に繰り返し登場する「知」というキーワードで整理し、論語の締めくくりの文に相応しい内容をもっていると見ることは可能であるため、既存の論語本などもそのようなテイストの注解も少なくないのですが、漢の時代に成立したとされる「魯論語」には本章が存在せず、本章を孔子の肉声を書きとめたものと見做すことについては疑念を挿まざるを得ません。
たとえば、「天命」については、有名な為政第二の4番(通し番号020)「子曰ク、吾十有五ニシテ學ニ志ス、三十ニシテ立ツ、四十ニシテ惑ハズ、五十ニシテ天命ヲ知ル、六十ニシテ耳順フ、七十ニシテ心ノ欲スル所ニ從ッテ矩ヲ踰エズ。(わたしは十五歳で学問に志し、三十歳で一人前に仕事ができるようになり、四十歳になってもひとつの枠に納まることなくはみ出していたけれど、五十歳でようやく天から与えられた使命を知るに至った。六十歳になって人の意見を素直に聞けるようになり、七十歳で自分の芯と呼べるものができ、身体が求めるものと頭が求めるものとが過たず一致するようになってきた。)」の他、既読の章には何度か登場していましたが、孔子自身でさえ50年かかっていることを、君子たる者の条件として挙げるというのはどうしてなんだろうという問いが浮かびます。また、子罕第九の1番(通し番号206)には、「子、罕ニ利ヲ言フ、命ト與ニシ仁ト與ニス。(先生はほとんど利益について語られなかった。たまに触れられると、天命やと仁と結びつけて話された。)」とあり、もちろんこの記述が真実であると仮定すればという条件付きではありますが、孔子という人は天命についてはほとんど語られなかったという話との整合性がとれないわけです。
あと、礼について触れている泰伯第八の8番(通し番号192)「子曰ク、詩ニ興リ、禮ニ立チ、樂ニ成ル。(詩を読んで道を志し、礼を習って社会的に自立し、音楽を聴いて完成させる。)」などの表現と比較すると、本章は合目的的すぎるというか、詩や音楽のようなアワ的要素に乏しく、功利的なサヌキ性ばかりが前面にでているように感じられ、漢の時代の儒者による創作と見るのが妥当だとおもいました。

・・・ということで、まさに「論語知らずの論語読み」というか、わたしのような素人が無謀にも孔子自身の精神波動に迫ることを主目的に置いて始めた論語1日1章読解でしたが、最終章を無事に終えることができました。始める前には想像すらできなかったおもわぬ副産物もたくさん得られましたし、こうして499日間1日も休むことなく続けられたのは、たくさんの論語本やネット上にある論語のガイド情報、そして何よりも熱心に読んで下さる方々があればこそと深くお礼申し上げます。<(_ _)>
 

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