情報リテラシーの基本について(読み書きのツボ)
2022/07/21
木曜はマネジメント関連の話題を投稿しています。
いきなりとても大きな〝問い〟ではあるんですが、
「結局のところ、マネジメントを考える上で
もっとも重要なことは何か?」
という問いに対しての答は、
このblogで何度も繰り返して書いているとおり、
ひとことで言うならそれは、
現状把握(問題分析)に尽きると言ってよいでしょう。
でも、現状というのは自分自身も含め、
まわりにある物事すべてになってしまいますし、
そのすべてについて正確に把握しようとすれば、
厖大なデータ量がありますから、
あまり現実的ではありません。
それで、何についての、どういう「現状」を
把握すればいいのか、その範囲を絞り込むために
たとえば、未来デザイン考程では、
第2局面「現状把握」に先立って、
第1局面「理念設定」にて、
結局のところ自分はどうしたいのかという
大きな方向性を確認しているわけです。
そして、この現状把握で一番難しいのは、
だれもが同じように受け止められるような
客観的な事実に基づいて
素材データを書き出すということなんですが、
初めての方は、ほとんどこれができません。
なぜ難しいかというと、ひとことで言うと、
目の前の事実と、その事実をどのように見て、
どう解釈しているかという自分の意見を混同し
意見を事実だと錯覚してしまうからなんですが、
お釈迦さまは、この錯覚から覚め、
生老病死という誰にも避けられない事実と
人間の精神活動によってつくりだしている観念を
正しく区別して見ることができたから、
仏陀(ブッダ=目覚めた人)と呼ばれたわけです。
その話は以前にも古典研究カテゴリーで、
に詳しく書きましたし、
次のつぶやき考現学に書いたコップの水の話なども、
参考にしてください。
たとえば、今日7/21朝日新聞の第1面トップに
こんな記事が載っています。
でも、何が事実で何が意見かが正しく区別し、
事実データに基づいて判断ができれば、
こうした情報に振り回されて不安になったり、
困ったりすることはほとんど起きません。
新聞やテレビなどのマスコミはもとより、
閣僚と呼ばれる政治家の皆さんや、
医療の専門家といわれる方々の中にも、
この「事実と意見」の区別ができない人が
少なくないことに驚かされるんですが、
日本では、情報リテラシーについての教育や
訓練を受ける機会が皆無に等しいので、
当然の帰結と言ってもいいでしょう。
でも、できないことをどんなに嘆いたところで
何も始まらないですし、
じゃあ、具体的にどうすればよいかということで、
1ヶ月ほど前からこのblogでは
「観察力」というテーマを意識しながら
いろいろ記事を書いているわけです。
「情報リテラシー」なんて言葉を使うと、
何やら難しく聞こえるかもしれないのですが、
結局その土台は「読み書き」の国語力にあるんですね。
江戸時代以前にあった寺子屋のキャッチフレーズも、
「よみ・かき・そろばん」でしたから、
寺子屋塾でこういうことをテーマにすることは、
当然といえば当然なんですが。
ということで、NHK for school のページにある
「読み書きのツボ」という番組に
この「事実と意見を区別する」をテーマにした回が
あったのでご紹介。
小学校5〜6年向け国語学習のためのページですが、
前記したように、大人であってもこれがまちがいなく
正しくできる人は本当に少数だとおもいますし、
動画で15分ほどのものですので、
ぜひご覧になってみてください。
らくだメソッドの学習においても、
算数や国語の学力を云々する以前の問題として、
結局は「事実と意見を区別する」力がつくかどうかが
キモではないかとおもっていますので。