自分と異質な人と出会うことの価値(つぶやき考現学 No.53)
2022/09/07
ルイトモという言葉があるように、
人間には似たもの同士が集まって
集団を形成していく傾向があるし、
また、同じ考えの人間同士が
共感し合うことも勿論大事だ。
しかし一方で、
似た者同士ばかりが集まった場は
違いを認めない閉鎖的な場となりやすく。
異質な者を集団から排除しようとする
傾向があることも事実だ。
だから、自分に似た人とは
自然に出会うことはあっても、
自分から遠い人や、
自分と異質な人と出会うことは、
常に意識的でないとできないし、
そのこと自体に大きな価値がある。
そうした場においては、
違いの落差がエネルギーを生み出し、
新しい価値が生まれる豊かさとなって、
人と人とのつながりが
自ずと広がっていくだろうから。
西洋医学はダメだから東洋医学を、
ジャンクフードはダメだから
オーガニックフードを、
学校はダメだからフリースクールを、
つまり、「あれはダメだからこれがいい」という
二者択一的発想からではなく、
いまの自分にとって何が必要で
何が大切であるかを自分で感じる力が
問われているのだろうから。
誰にとっても正しいような答があるわけでなく、
あれかこれかというよりは、
あれでもいいしこれでもいいと、
単なる選択の違いにすぎないと
おもえるような人が増えていけば、
違いと出会いながら
お互いがそのままで認め合える豊かな場が
ここかしこに生まれていくことだろう。(1997.1.13)
※今日のつぶやき考現学 No.53
COMMENT:
8月は〝教えない教育〟をテーマに
記事を書くことが少なくなかったんですが、
そうしたところから、
見えない〝場〟の力に着目する大事さという
テーマが浮上してきていることから
25年前に書いたこの詞を選んでみました。
イノチがイキイキと輝けるのは
互いの違いを多様性として認め合えるような、
ジャッジメントを必要としない
インフォーマルかつパブリックな場
ということになるでしょうか。
この詞を読まれてもあまりピンと来ない方は
次の記事も併せてご覧になってみて下さい。
・向谷地生良『どんな種が蒔かれても実る黒土のような場』(今日の名言・その34)