寺子屋塾

清水博『場に〈いのち〉がある』(今日の名言・その33)

お問い合わせはこちら

清水博『場に〈いのち〉がある』(今日の名言・その33)

清水博『場に〈いのち〉がある』(今日の名言・その33)

2022/08/29

 役者は舞台に<いのち>を吹き込み、

 その舞台の<いのち>によって、

 役者はまた活かされる。

 

清水博(1932〜 :薬学博士、東京大学名誉教授、場の研究所主宰)のことば

 

朝晩だいぶ涼しく感じられるようになってきて、

暑い日が多かった8月もそろそろ終わりですね。

 

この8月をふりかえってみると、このblogでは、

こちらの記事などを筆頭として、

〝教えない教育〟をテーマにした投稿が

少なくなかったようにおもいます。

 

今日の名言シリーズでも、ガリレオ・ガリレイの

教えないのではなく教えられないという名言

ご紹介しました。

 

教えない教育のポイント12の中にも

場づくりという言葉がいくつか散見されますし、

ゆるい学びの〝場づくり〟ということ では、

立教大学教授・中原淳さんの記事も紹介したんですが、

結局、教えない教育の指導者とは、

いったい何をしているのかと言えば、そのひとつは

「〝場〟をつくっている」ということになります。

 

今日の名言の主・清水博さんは、

そもそもその〝場〟というものは何なのかを

主テーマとして研究されている科学者で、

冒頭に挙げた言葉では、

〝場〟を役者が演じる「舞台」になぞらえ、

「〈いのち〉を吹き込む」というたとえで

説明されているわけですね。

 

この清水さんの言い回しを拝借するなら、

教えない教育の指導者は

教室という〝場〟に〈いのち〉を吹き込む存在と

言ってよいでしょう。

 

ただ、役者にとっての「舞台」や

指導者にとっての「教室」という〝場〟は、

目に見える、物理的に存在している物体だけを

指すわけではないために、

「舞台」「役者」に関わる演出家や

教室に関わる指導者のはたらきについては、

自ずとわかりにくいものに成らざるを得ません。

 

たとえば、ファシリテーターという存在もまた、

そうした見えない〝場〟に着目、配慮し、

イノチを吹き込むことができる人と言えるんですが、

何をしているのかよくわからない人って

しばしば言われるんですね。

 

 

また、生活デザイン・ヘルス関連では

尿酸は果たして痛風の原因か? という記事も
書きましたが、

このように、原因と結果を取り違えてしまうのは、

結局のところ、人間の身体というものに対して、

目には見えない〝生命場〟という場の存在に

多くの医師、科学者が気づいていないためなのです。

 

「善玉菌」「悪玉菌」という言葉も聞くんですが、

細菌に絶対的な善悪が存在するのではなく、

同じ細菌が、場によって善にも悪にもなるわけです。

 

つまり、健康な身体にがん細胞を注入しても、

がんはできず、

病的な身体に正常な細胞を注入すると、

その細胞ががん化していくので、

がん細胞によってがんができるのではありません。

 

同じように、細菌やウィルスだけが原因で

感染症が引き起こされるわけではなく、

宿主の身体という〝場〟が健康的か病的かで

感染するかしないかが決まるというところが、

まだ、現代の西洋医学では解明されていない

死角、盲点になっていると言えるでしょう。

 

 

さてそれで、冒頭にあるイラストが

「なぜおでん鍋なんだろう?」って

不思議におもわれていた方、いらっしゃいますよね?

 

お待たせしました!

 

清水博さんのこの〝場〟の思想は、

別名「おでん理論」とも呼ばれているためで、

その骨子を、場の研究所メールニュースから

以下にご紹介させて頂くことで、

この名言へのわたしのコメントを結ぶことにします。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

場の理論は即興的な〈いのち〉のドラマの

形をしていますので、

やや抽象的で理解しにくい面がないとも言えません。

 

そこで、具体的な形をしたモデルとして

「おでんモデル」を入口において、

〈いのち〉のドラマを理解することを考えて、

哲学カフェでそれを話してみる準備をしてきたので、

清水所長がそれを少し紹介しました。

果たして、それを聴いた人々の反応は

とても分かり易いということでした。

 

この「おでんモデル」では、

おでんの鍋が居場所(劇場)、

おでんの汁が場(舞台)、

おでんの多様な種が人々(役者)に、

味が〈いのち〉に相当します。

 

種から汁に味が出ることが〈いのち〉の与贈に、

また汁の方から種に味が与えられるのが

居場所の〈いのち〉の与贈です。

したがって種と汁の間の味の循環が

〈いのち〉の与贈循環に相当します。

 

なお、様々な種から出た味が汁の中で混じり合って

一様になることが、

与贈された〈いのち〉の自己組織に相当します。

 

おでんが煮えているときには、

種の方からも味が出て汁に与えられ(与贈され)、

そして汁→種→汁→種→・・・・という汁と種との

循環的な味の与え合い(与贈循環)がおきて、

多様な種の味は汁の味を媒介にして、

互いに(非分離的に)つながって深まっていきますが、

これが〈いのち〉のドラマに相当します。

 

このモデルでも、一種類の種だけでは、おでん料理が

作れないこと(〈いのち〉のドラマが生まれない

こと)が分かります。

 

またおでんには多様な味の種が

それぞれおでんに存在している意義(根拠)が

あることも分かります。

 

鍋料理のうまさの秘密は汁にあります。

その汁に相当するのが、先ほど触れたように、

場です。

 

場としての汁は、好き嫌いを言わずに、

多種多様な種をすべて包んで、

その種に味を与えます(与贈します)。

その味の包容力に相当するのが場がもっている

〈いのち〉の自己組織力です。

 

日本の場の文化は、

このような場の活きを活用して生まれた文化です。

 

日本では、場の活きによって、人間の間ばかりでなく、

人間と自然(環境)とが

〈いのち〉の与贈循環によってつながって生きていく

独特な生き方を生み出してきたのです。

 

このような生き方こそが、

今や人間が地球という居場所に住み続けるために

必要になっています。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
月曜:今日の名言
火曜:生活デザイン、ヘルス関連
水曜:つぶやき考現学
木曜:未来デザイン、経営ゲーム、
   ファシリテーション関連
金曜:読書関連、本の紹介
土曜:教室1週間をふりかえって、らくだメソッド
   塾生のblog紹介など
日曜:古典研究(易経・仏典・論語など)

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。