闇雲に数こなせばいいってわけじゃない!(その4)
2022/10/18
昨日まで「闇雲に数こなせばいいってわけじゃない!」
ってテーマで記事を書いてきていて
今日で4回目になりました。
そもそもこのような記事を書くようになった発端は、
先週金曜10/14に読書関連カテゴリーで投稿した
篠原信さんの著書を紹介する記事
外にある「アイデア」を見つける方法』にありますし、
10/14の記事から昨日までの記事を未読の方は、
そちらを読まれてから以下の記事をご覧下さい。
さて、その10/14の記事に、
寺子屋塾でらくだメソッドで学習していて、
少ない学習枚数でスッと合格していく人と
同じプリントを何枚も繰り返してやっても
時間がなかなか短くなっていかない人がいて、
後者の人たちは、大脳思考優位というか、
アタマを使って何とかしようとする意識の力が強すぎ、
身体の無意識の動きに委ねられない人が
少なくないようにかねてから感じていた
ということを書きました。
このことが一番如実に浮き彫りになる単元が
小学4年生で習う「2けたのわり算」なので、
らくだメソッドの算数教材の中味が
具体的にどうなっているのかを
3回にわたって書いてきたわけです。
この「2けたのわり算」を初めて習う子どもの場合、
その前提としてほとんど
「やり方を知らない」状態からスタートするので、
たいていは、プリントに書かれている
指示通りにやろうとしますから、
大きな問題はほとんど生じません。
でも、小学5年生以上の学生や大人の場合は、
「2けたのわり算」をすでに学習したことがあり、
「やり方を知っている」状態から
スタートする人がほとんどですし、
また、らくだメソッドの場合は、解き方の説明が
丁寧に文章で書かれていないこともあって、
たとえば、プリントに書かれている
「7→6→5」といったインストラクションにも
気がつかず、
たとえば、仮の商を立てる → われなければ1減らす
という計算手順にしても、それを守れずに、
今まで経験してきた自分の解き方で
解こうとしてしまう傾向があるんですね。
「わかっている」ことと「できること」は
まったく次元の異なることなので、
仮にわかっていてもできるとは限らないんですが
「わかっている」「知っている」というおもいこみが
目を曇らせ、耳を塞ぎ、
却って学習の邪魔をしてしまうということです。
よくある誤解なんですが、
「計算は易しい基本問題で、文章題は難しい」という
あまり根拠のない俗説がありますから、
人によっては、それをそのまま鵜呑みにして、
「単純な計算問題なんだからチョロいチョロい」と
ナメてかかってしまう安易な姿勢もどこかにあり、
それも一因かも知れません。
昨日、一昨日に投稿した書いた記事を
きちんと読んで頂ければ、
「計算は易しい基本問題」なんて俗説が
実は全くの嘘っぱちだってことは、
すぐご理解いただけるとおもうんですが。
でも、たとえば、上の画像の43番の問題は、
まず25÷3をやって仮の商8を立て、
引けないから1減らして7、
それでも引けないからまた1減らして6、
答えは6あまり34になり、
また、44番の問題は、
まず28÷3をやって仮の商9を立て、
引けないから1減らして答は8、というのは
たしかに手順としては複雑ではあるんですが、
「仮の商を立てる→われないなら1減らす」という
ひとつのパターンを適用しているにすぎません。
つまり、「こうすれば問題は解けますよ」と
計算手順があらかじめ明確に示されていて、
それにそのまま素直に沿ってやっていくだけでよく
言ってみれば、敷かれたレールの上に乗っかって
走って進んで行くようなものなんですね。
だから、最初のうちはゆっくり考えながらやる
必要はあるかもしれませんが、
繰り返し繰り返し同じ動作をしているうちに
だんだん慣れていきますし、
「仮の商を立てる→われないなら1減らす」という
手順が次第に素早くできるようになっていって、
自分のアタマを意識的に使って考えなくても、
問題を見た瞬間に
正しい商がスッと浮かぶようになっていきます。
でも、こうした流れを一番邪魔しているのが、
意外なことにアタマの思考なんです。
こんな寓話があるのをご存知ですか?
たくさんの足を持つムカデが
とても上手に足を動かして歩くので、
アリがそのことに感心して
「どうやったらそんなに上手く歩けるんですか?」
って聞いたんですが、
「いや、それはね、こうするんだよ」って
アリに向かって説明しようとした途端に、
ムカデは足がもつれて転んでしまいましたとさ・・・
そうですよね。皆さん、道を歩くとき
「足や手をどれぐらい動かそうか」と
自分の意志を使って、自分のアタマで
意識的に考えてる人なんていないですよね? 笑
これと同じなんです。
つまり、同じプリントを何枚も繰り返してやっても
時間がなかなか短かくなっていかず
すんなりと合格できない人というのは、結局
身体の動きよりも大脳思考が優位になっているので、
アタマでコントロールしようとする思考を手放して
身体の動きに任せるということができなくて、
自分のアタマを使って
自力で何とかしようとしてしまうためではないか。
篠原さんは、
意識の力が強すぎるって書かれていましたが、
問題を自力で解こう解こうとしてしまうため、
今日の記事の冒頭にあるイラストのように
自然の流れに身を任せられないというか、
身体の無意識の動きに委ねられないわけです。
・・・で、気になるのは、どうして
そうなってしまっているのかってことですよね?
あくまで傾向なので、
決めつけているわけではありませんが、
そのような人には、成果主義というか
目標を達成することに強いこだわりがある人や、
外的な動機付け(褒める、叱る、モノでつる)で
勉強をまわりから強制的にやらされてきた人、
目の前に訪れてくるいろんな課題に対して、
人並み以上に頑張って努力して
とにかく力業で乗り越えてきたという人に
少なくないように感じています。
あくまでわたしの印象で、傾向にすぎないんですが。
さて、書き始めたときには、今日でこのシリーズも
締めくくれるかなとおもったんですが、
ここまでで力尽きてしまいました。<(_ _)>
続きはまた明日!