寺子屋塾

5本のバナナと愛と算数プリントと

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5本のバナナと愛と算数プリントと

2022/11/12

土曜はらくだメソッドや塾生関連の記事を

投稿しています。

 

昨日は金曜だったので3時から9時まで

中村教室にいたんですが、

やってきた塾生Cさんとわたしのやりとりを

以下に記します。

 

C:最近、大和信春さんの『心の自立』を読み、

「愛」と「関係欲」の違いについて

改めて意識するようになりました。

 

この20年ほど、

わたしは「何か」をやりたいと思っていたんですが、

その「何か」とは、結局は自分の「関係欲」を

満たしたいだけではないかとはたと気が付きました。

だから「何か」が定まらず、ずっと彷徨ってたんだと。


人と関わることで、喜び合ったり感情のやりとりを

したいという気持ちが強いのですが、

結局それは自分が「何か」を成し遂げたい訳でなく、

「関係欲」を満たしたかっただけなのではないかと。

 

そうした単に「関係欲」を求めるパターンから

脱却して「愛」で人に関わりたい・・・

まとまりませんが、何か思い当たることがあれば、

フィードバック頂けると有難いです。


A:「愛」で人に関わりたいと気持ちはわかりますが、

CさんにはCさんなりに現状に至るまでの

さまざまなプロセスがあって、

それを全面否定し、自分のアタマで描いた理想を

いきなり目指そうとしても難しいでしょうね。

 

結局その理想を目指して何とかしようとするのもまた

思考のはたらきなわけで、

そこからはなかなか簡単に脱却できないんですよね。

「欲から脱却したい」という気持ち自体、

やっぱり「欲」に他ならないなわけで。


大和さんの『心の自立』は、他の本に書かれていない

人間の心や物事の本質を解き明かすような話が

たくさん書かれている点で、

とってもイイ本だとおもいます。

 

「愛」と「関係欲」とはちゃんと区別しましょう!

ナンテ書いてある本には、

なかなかお目にかかれないので。


でも、本に書かれた言葉は大和さんの「意見」で

客観的事実ではないので、

本に書かれたとおりのシチュエーションは

現実にはなかなか遭遇しないし、

そのとおり実行しようとしても難しいでしょう。


本や新聞、パソコンの画面などは奥行きがなく

平面ですよね? つまりわたしたちは

三次元の世界に生きていても、認識は二次元なんです。

 

本に書いてある言葉は、あくまで自分で考えるための

素材のひとつにすぎなくて、本で読んだことを

自分が生きている現実のなかで実践するためには、

いろんなことと関連付け、

自分の頭で考えるプロセスがどうしても必要なんです。


たとえば、「愛」というのは

人間の心のはたらきでもあるんですが、

結局それは、自分自身がこの世界をどうとらえ、

人間という存在をどうとらえているかという

世界観や人間観と大きく関わってくるんです。

 

だから、仮に人間の心の〝しくみ〟を理解し、

「愛」について自分なりに理解できていたとしても、

その愛を、その前提となる世界観、人間観に

位置づけられないと、実践できないわけです。

 

たとえば、「愛」と「欲」との違いって解りますか? 

「愛」と「欲」との違いについて話すときに

いつもおもいだすのは、精神科医・泉谷閑示さんの

『「普通がいい」という病』という本に書かれている

「5本のバナナの話」なんですが、

それはこんな話です。

 

Cさんがある暑い国を旅しているとしましょう。

 

その国は貧しい国で道端に物乞いがたくさんいます。

Cさんはとてもバナナ好きな人で、

今バナナを5本持っているんですが、

3本食べたら満足できるということにしましょうか。

 

旅行中ということで、残ったバナナは持っていても

すぐ腐ってしまうような状況のなかで、

お腹を空かせた物乞いする人が目の前に現れました。

さて、Cさんはその物乞いにバナナをあげますか?

あげるとしたら、何本あげますか?

 

C:自分は3本食べたら満足できるんですよね? 

でも、旅行中だし貧しい人たちが多い状況だったら

少し我慢して自分の分は2本にして3本あげるかな。

 

A:その物乞いが、たまたまバナナが大嫌いで、

一言もお礼を言わず目の前でもらったバナナを

地べたに捨てたとしたら、

いったいどんな気持ちになるでしょう?

 

C:強い怒りの気持ちが湧いてくるでしょうね。

 

A:では、もし自分が3本のバナナを食べて、

残りの2本はどうせ腐ってしまうのだからと

物乞いに差し出していたとしたら、

3本のときと比べてどうでしょうか。

 

C:たぶんそんなに怒りは強くなかったと思います。

 

A:つまりこの1本の違いが「愛」と「欲」を分ける

大切なポイントなんですね。

もし、自分が我慢して3本以上をあげると、

そこには「人から感謝されたい」というような

見返りを期待する心理が発生してしまうでしょう?

 

C:なるほど!

 

A:つまり、その見返りを期待する心が

「欲」の正体なんです。

「本当は3本食べたい」という自分の「欲」が、

「善い人だと思われたい」「感謝されたい」という

別の欲にすり替わっただけなんですね。


一見「愛」ある行動に見える人への施しも、

そこに無理があると、

偽装された「欲望」になってしまう・・・

だから、「愛」の実践のために

わたしたちができることの第一歩とは、

逆説的に感じるかもしれませんが、

「まず自分をきちんと満たしてやること」なんです。

 

でも、人間って自分を満たしても、

必ずいくらかは余るようにできているんですね。

 

いつも言ってることなんですが、1日24時間あって、

10分程度で終わるような算数のプリント

1枚ができないくらいに余裕がなくなってしまうのは、

自分の生活のどこかに不自然さや欲、

無理があるという徴候なんです。笑

その余ったものを使ったときに、

それが「愛」の行為になる・・・そうか!

1日1枚プリントがやれる状態をキープするのは、

「愛」の実践でもあったんですね。笑

 

C:笑

 

※大和信春『心の自立』は中村教室に在庫あります。

 Amazonで買えても一般書店には流通していません。

 

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