名郷直樹『人間は何かの意味づけをしないではいられない』(今日の名言・その45)
2022/11/21
人間は、無意味とか、
※名郷直樹(1961年、名古屋市生まれの医師・武蔵国分寺公園クリニック院長)『治療をためらうあなたは 案外正しい』より |
世の中にあるすべてのものがただ在るように、
そのまま、事実だけを見ればいいのに、
なぜ人間は、すぐにその良し悪しを言い、
判断や解釈をしようとするのでしょうか。
つぶやき考現学 No.70は、そのような「問い」を、
素直な気持ちでつぶやいたものです。
そうした人間の、事実を事実のままにしておけなくて、
妄想を膨らませたり、
事実に対して意味づけや価値づけをしたり、
さまざまな幻想領域を生み出すはたらきのことを
吉本隆明さんは、観念の遠隔対象性と呼び
そうした性質や指向性は
人間がもともともっている自然な過程と考えました。
最初はリアルに実在しているもの自体に
意識が向いていても、
次第にその実在物から離れて観念、幻想となり、
遠くへ遠くへ向かって行ってしまうというわけです。
たとえば、昨日投稿した論語を紹介した記事の
最後のコメントで触れたように、
吉本隆明さんは、若い頃からずっと
詩を書き続けられていました。
また、地球から遠く離れた宇宙というものが
どのようになっているかに関心を持ったり、
占いのようなものや、目には見えない精神世界に
興味を抱いたりする人が少なくないのも
そうした働きのひとつと言っていいでしょう。
現在、過去、未来という時間軸の話が
テーマになっていましたが、
この時間もまた、
人間の脳内だけで〝存在〟できる概念、観念であって、
〝実在〟するものではありません。
つまり、人間が人生について、生きることについて、
生きがいを求めたり、その意味を論じたりするのは、
何ら特別なことではなく、
自然な営みの一つであるわけですが、
それだからこそ、
その想いがいつのまにか自ら望んでいる範囲や
もともと持っている能力や資質から逸脱して
心を病んでしまったりもするわけです。
人が病気になること自体は
避けることができない事実に違いありません。
でも、心身とも真に健康な人は、
健康であること自体を意識する必要がなく、
その、脳内の概念にすぎない「健康」を
外側の世界に過剰に求めるようになったとき、
人は原因と結果を取り違えて
自ら「病気」をつくりだし
「病気」を抱え込んでしまうのではないでしょうか。