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五蘊観(五蘊無常無我)の原典テキスト

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五蘊観(五蘊無常無我)の原典テキスト

五蘊観(五蘊無常無我)の原典テキスト

2022/12/18

日曜は古典研究カテゴリーで

記事を投稿しているんですが、今日は仏教です。

 

これまで書いてきた仏教関連の記事で

とくに重要なものは、

四諦五蘊観に言及している次の3つです。

 

苦を終わらせる4つの真実〝四諦〟
人間の精神作用を表した〝五蘊無常無我〟
原生的疎外・・すべての生物がもつイノチの力について

 

ただし、八正道は釈迦自身のものではなく、

五蘊観を理解できなかった

釈迦の弟子たちもしくは

後世の仏教学者の創作としている

在野の仏教研究者・冨永半次郎の説を採用するなど

一般的な仏教の学説に沿ったものではありません。

 

とくに、吉本隆明さんの心的現象論と

五蘊観を関連付けて論じようとしたものは

他では見つけられていないので、

わたしの妄想とおもって受け流してください。

 

さてそれで、五蘊無常無我(五蘊観)とは、

五蘊(色受想行識)のどこにも

それをコントロールする司令塔のような存在は

見つけられないということで、

つまり「自我は存在しない」ということです。

 

8回にわたって書いた

「情報洪水の時代をどう生きるか」のなかでも、

一次情報にあたることの大切さに触れたんですが、

今日は釈迦が35歳で悟りを開き、

その悟った内容を5人の比丘たちに説いている

いわゆる「初転法輪」とよばれるできごとについて

中村元さんがパーリー語から翻訳された

原典テキストの五蘊観にあたる部分を引用して

ご紹介することにしました。

 

論語でも、原典に対する解釈はさまざまあっても

いかに孔子その人に近づいて行けるかが

大きな課題だったわけですが、

それは仏教についても

まったく同じことが言えるようにおもうためです。

 

(ここから引用)

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そこで世尊は五人の修行僧の集いに説かれた。
「修行僧らよ。〈物質的なかたち〉(色)は我(アートマン)ならざるものである。もしもこの物質的なかたちが我であるならば、この物質的なかたちは病いに罹ることはないであろう。また物質的なかたちについて 『わが物質的なかたちはこのようであれ』『わが物質的なかたちはこうあることがないように』となし得るであろう。しかるに物質的なかたちは我ならざるものであるが故に、物質的なかたちは病いに罹り、また物質的なかたちについて『わが物質的なかたちはこのようであれ。わが物質的なかたちはこうであることがないように』となすことができないのである。

〈感受作用〉(受)は我(アートマン)ならざるものである。もしもこの感受作用が我であるならば、この感受作用は病いに罹ることはないであろう。 また感受作用について 『わが感受作用はこのようであれ』『わが感受作用はこうあることがないように』となし得るであろう。しかるに感受作用は我ならざるものであるが故に、感受作用は病いに罹り、また感受作用について 『わが感受作用はこのようであれ。わが感受作用はこうであることがないように』となすことができないのである。

〈表象作用〉(想)は我ならざるものである。……ないし……〈形成作用〉(行)は我ならざるものである。……ないし……〈識別作用〉(識)は我ならざるものである。修行僧らよ。もしもこの識別作用が我である仏ならば、この識別作用は病に罹ることはないであろう。また識別作用について『わが識別作用はこのようであれ』『わが識別作用はこうあることがないように』となし得るであろう。しかるに識別作用は我ならざるものであるが故に、識別作用は病いに罹り、また識別作用について 『わが識別作用はこのようであれ。わが識別作用はこうであることがないように』となすことができないのである。

修行僧らよ。汝らはどのように考えるか。物質的なかたちは常住であるか、あるいは無常であるか。」
「物質的なかたちは無常であります。尊き方よ。」
「では無常なるものは苦しいか、あるいは楽しいか。」
「苦しいのであります。尊き方よ。」
「では無常であり苦しみであって壊滅する本性のあるものをどうして『これはわがものである』『これはわれである』『これはわが我(アートマン)である』と見なしてよいだろうか。」
「よくはありません。尊き方よ。」
「感受作用は……表象作用は……形成作用は…………識別作用は常住であるか、あるいは無常であるか。」
「識別作用は無常であります。尊き方よ。」
「では無常なるものは苦しいか、あるいは楽しいか。」
「苦しいのであります。尊き方よ。」
「では無常であり苦しみであって壊滅する本性のあるものをどうして『これはわがものである』『これはわれである』『これはわが我(アートマン)である』と見なしてよいだろうか。」
「よくはありません。尊き方よ。」
「それゆえに、修行僧らよ、ありとあらゆる物質的なかたち、すなわち過去・現在・未来の内であろうと外であろうと、粗大であろうと微細であろうと、下劣であろうと美妙であろうと、遠くにあろうと近くにあろうと、すべての物質的なかたちは 『これはわがものではない。これはわれではない。これはわれの我(アートマン)ではない』と、このようにこれを如実に正しい叡知によって観察すべきである。


ありとあらゆる感受作用は……ありとあらゆる表象作用は……ありとあらゆる形成作用は……ありとあらゆる識別作用、すなわち過去・現在・未来の内であろうと外であろうと、粗大であろうと微細であろうと、下劣であろうと美妙であろうと、遠くにあろうと近くにあろうと、すべての識別作用は 『これはわがものではない。これはわれではない。これはわれの我(アートマン)ではない』と、このようにこれを如実に正しい叡知によって観察すべきである。
修行僧らよ、このように見なして、教えを聞いたすぐれた弟子は、物質的なかたちを厭うて離れ、感受作用を厭うて離れ、表象作用、もろもその形成作用、識別作用を厭うて離れる。厭うて離れるから、貪りから離れる。貪りから離れるから、解脱する。解脱したときに、わたしはすでに解脱した〉と知るに至る。『生存はすでに尽きた。清らかな行ないは修せられた。なすべきことはなされた。もはやこの世の生存を受けることはない』と確かに知るのである。」

世尊はこのように説かれた。五人の修行僧の集いはこころ喜び、世尊の所説を喜んで受けた。そしてこの〈決まりのことば〉が述べられたときに、集うた五人の修行僧は執着なく、もろもろの煩悩から心が解脱した。そこでその時、世に六人の尊敬さるべき人〉がいることとなった。

(Vinaya, Mahāvagga, I, 1,6,16f. 中村元・訳)

筑摩書房刊『世界古典文学全集』第6巻 仏典 Ⅰより

 


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