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「ジャッジメントを止める」とは観察し続けること

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「ジャッジメントを止める」とは観察し続けること

「ジャッジメントを止める」とは観察し続けること

2023/02/06

今日は月曜なので、

15:00〜21:00中村教室にいたんですが、

ほぼ1ヶ月ぶりに教室へやってきた

塾生Kさんとのやりとりを

書きとめておくことにしました。

 

プリントも学習記録表も持たずにやってきたので、

学習状況の詳細がわからないんですが、

以下はKさんとの対話です。

 

A:前回から今日までに間に何枚やれましたか?

 

K:ほとんどできていません。3枚ぐらいです。

 

A:1ヶ月間あったわけですから、
  ひとくちに「できなかった」と言っても、

  日によっていろいろではないですか?

 

K:そうですね。

 

A:たとえば、「できなかった」というのは、

  プリントをやろうと意識していたけれども、

  できなかったということですよね?

 

K:ええ。

 

A:でもたぶん、毎日そうだったかというと、

  実際にはそうじゃなくて、

  プリントをやること自体がまったく意識に

  上らなかった日もあったでしょうし、

  プリントをやれるタイミングがあったのに

  やりたくなかった日とか、

  別段やりたくないというわけではなかったのに、

  自分の意志でしなかった日とか、

  日によっていろいろではないですか?

 

K:はい。

 

A:「自己観察が大切」っていうのは、

  1日1日がどうだったかについて、

  「できなかった」という言葉ひとつだけで

  ひとくくりにしないで

  こんなふうに、ディテール(詳細)を大切にして

  丁寧にふりかえることなんです。

 

A:大和信春さんの『心の自立』という本に

  「内拠」って言われている概念があります。

  造語で辞書にはない言葉なんですすが、

  たぶん、心理学で言うところの「無意識」とか

  「潜在意識」に近いとおもって頂ければいいです。

 

 

  外部からの情報や状況の変化などを入力とし、

  そのときの人間の判断や反応を出力としたとき、

  その情報処理(加考)の拠り所としているものを

  「内拠」と呼んでいるわけです。

 

  でも、この人間の情報処理のしくみが、

  どのようになっていて、

  どのように行われているか(加考)は、

  目には見えませんから、

  コンピュータと同じブラックボックスというか、

  言ってみれば人間も

  情報処理マシンのひとつなんですよね。

 


  つまり、ブラックボックスであれば、

  自分の意識の届かない場所だから、

  なかなかそのしくみが見えないし、

  出力にあたる「行動」を変えようとしても、

  なかなか易しくないんです。

 

  でも、ディテールを大切にしてふりかえることで、

  系拠のひとつひとつがどうなっているのか、

  ブラックボックスのしくみが見えてくるので、

  内拠の一番のモトになってる「原拠」を

  書き換え正常化することが可能なんですね。

 

  「できないときがチャンス!」というのは、

  アタマで考えているだけでなく

  実際にやってみて、

  できない壁に突き当たらないと、

  個別に異なる内拠のしくみがどうなっているかを

  自分で知ることは難しいということを

  言っているわけで、

  そういう意味からも、結局のところ

  「観察力が大事!」ってことになるんです。

 

K:プリントができないと、どうしても

  気持ちがネガティブになってしまうんですが。。

 

A:そうなんですよね。

  でも、ポジティブとかネガティブとかいうのは、

  まさに見えないブラックボックス、

  内拠に自分が振り回されている証拠でもあって、

  事実は事実として存在しているだけなので、

  もともとポジティブもネガティブもないんです。

 

  そこには、「できることは良いことで、

  できないことは悪いこと」という刷り込み、

  ジャッジメントがあるからこそ

  そういう判断行動が出て来てしまうんですね。

 

  そんなときこそ、だれが、何のために、

  それをジャッジしているのかってことを

  問えばいいわけで。

 

  たいていは、自分じゃなくて、

  親や先生などの他者から

  刷り込まれたものなんですが、

  そのことに自分で気がつかない限り、

  逃れられないし、

  自分で自分に呪いをかけているようなものですね。

 

  つまり、よくよく観察すれば、そこからは、

  さっき話したような、一括りにできない

  さまざまな状況の違いが見えてくるはずだし、

  そこにはただ「できなかった」「しなかった」

  「やりたくなかった」

  「意識にすらのぼらなかった」という

  事実がただあるだけって見えてくるはずなので、

  事実と事実でないものをゴッチャにせず

  切り離せばいいんです。

 

  ジャッジメントというのは、

  良し悪しのレッテルを貼るということですから、

  ジャッジした時点で

  観察すること自体を止めてしまっているわけで。

 

  ジャッジしないというのは、言い換えれば、

  いかなる時も観察し続けるってことなんです。

 

  内拠、系拠、原拠について

  詳しくは『心の自立』を読んでみてください。

 

※関連記事

観察し続けようとすること(つぶやき考現学No.109)

  

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