TVドラマ『Get Ready!』から『記憶する心臓』が閃いて
2023/03/14
この1〜3月期にTBS系で放映されていた
日曜劇場『Get Ready!』が3/12は最終回でしたね。
医療現場が舞台のドラマで
「いのちとは何か?」「正義とは何か?」など
さまざまな問いかけがあるストーリーで
臓器移植の問題も絡んでいました。
ところで、今年1月末まで1年間、
カテゴリテーマを曜日で決めて
blog記事を書いていたんですが、
「生活デザイン・ヘルス」カテゴリで
記事を書いてたのが火曜だったので、
今日は、なかば条件反射のように
おもいだされて来たのかもしれません。
それで、たぶん『Get Ready!』で扱われていた
臓器移植のことも意識していたんだと
おもうんですが、
ここ数日書いてきた記事のコンテンツが
森田真生『数学する身体』より
哲学者ハイデガーの
掴みとることである」という言葉、
という流れから、
「生活デザイン・ヘルスのカテゴリで、
このテーマで書ける記事って何だろう?」
と考えてみて、ふと閃いた言葉が、
「記憶しているのは脳ではなく心臓だ」という
マユツバな話だったんです。笑
吉本隆明さんの著書の優れた解説書を書かれている
『吉本隆明「心的現象論」の読み方』第4章に、
1998年に角川書店から出版された
詳しく紹介されていたことをおもいだしたのです。
本当は宇田さんの
『吉本隆明「心的現象論」の読み方』
を手に取って頂きたいんですが、
現在では新本が品切れで入手が難しく、
古本でもビックリするプレミア価格がついているので
今日は本書のP.155〜162を
そのまま引用してご紹介することにしました。
宇田さんが『記憶する心臓』の要点を
みごとに簡潔に整理されているので、
以下を読まれれば、概要がわかるとおもいます。
(引用ここから)
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今、ここに『記憶する心臓』(角川書店)という1冊の本がある。
著者はクレア・シルヴィアという心肺移植手術を受けた米国の女性ダンサーである。彼女は原発性肺高血圧症という難病に冒され、1988年、48歳の時、生き延びるための唯一の方法である心肺同時移植手術に臨んだのである。手術は無事終了し順調に回復していったが、リハビリに取り組もうとした時、クレア・シルヴィアは自分の心身に思いもよらぬ変化が起きていることに気づく。
ここでは、クレア・シルヴィアの体験を丹念に追いかけてみたい。彼女は手記にこう書きしるしている。
わたしは生まれてこのかた人間の心臓はたんなるポンプの役割を果たしているにすぎないと教えられ、そう信じてきた。もちろん、欠くべからざる大事なポンプではあるが、いずれにせよ単純作業を黙々とこなすただの機械にすぎない。現代の西洋医学で常識とされているこの考えに従えば、心臓は感情の宿る場所ではない。そこには知恵も知識も記憶も蓄えられていない。したがって、誰か別の人間の心臓を譲りうけたからといって、なにも変わらない。何事も起こらないはずなのだ。
わたしも以前はそういった考え方の信奉者だったが、今は違う。おそらく心臓とは、たんなるポンプの役割を果たす機械ではないのだ。大昔から、 "ハート” という言葉はさまざまな比喩表現に使われてきたが、そのなかにはたんなる譬(たとえ)として片づけられないものもあるのかもしれない。
(『記憶する心臓』第1章 かくも深き吐息)
クレア・シルヴィアの手術は地元(ニューイングランド)で初めての心肺同時移植の手術であったために、手術後3日目に、彼女は地元リポーターのインタヴューを受けることに なる。 その時、リポーターの質問に対して思わず口にした自分の言葉に彼女自身が驚くことになる。
「クレア、 こうしてすばらしい奇跡を体験した今、あなたが一番したいことは?」
「そうね」わたしは言った。「たった今、すごくビールが飲みたいわ」
そう言うなり、わたしは後悔した。相手は真面目に質問しているというのに、なんという軽薄なことを口にしてしまったのだろう。わたしは思わず唇を噛んだ。だがまた同時に、自分自身驚いていた。なぜなら、わたしはビールなど好きではないからだ。好きであったためしがないと言っていいくらいだ。だが、質問されたその瞬間、強烈にビールが飲みたいと感じたのだ。まったく不可解としか言いようがないが、ビール以外のなにものもわたしの渇きを癒してはくれないと思えたのだ。
その晩、リポーターたちが帰ったあと、ふと妙な考えが頭に浮かんだ。わたしに心臓と肺を提供してくれたそのメイン州に住んでいた若者が、ビールが好きだったのかもしれないと。心臓が持ち主の嗜好をそのまま受け継いでわたしの体の中におさまったなどということがあり得るだろうか。おもしろい考えだ。わたしはしばし頭の中でその可能性を探ってみた。
だが、すぐに忘れた。手術後まだ間もないあのころは、リポーターたちの前で思わず口走った奇妙なコメントに始まり、その後も続々と現われた不可思議な現象のことを、さして深く考える余裕などなかったし、自分の好みや性格に現われた変化に、やがてわれながら首を傾げることになるなどと夢にも思っていなかった。いずれにせよ、やがてわたしは頻繁にこう自問するようになる。
こうしたい、ああしたい、あれが好き、そう思うのはわたし、それともわたしの心臓?
(『記憶する心臓』 第8章 ハンプティダンプティ)
クレア・シルヴィアが自分の嗜好の変化に気づいたのは、ビールだけではなかった。彼女は手術前までは、サラダに入っていればわきにのけるほど嫌いだったピーマンに不思議な魅力を感じるようになっていた。手術後、クレア・シル ヴィアはありとあらゆる料理にピーマンを使うようになったと記している。 また、車を運転する許可がおりた時、気がつくと手術前には一度も行ったことのなかった〈ケンタッキー・フライドチキン〉に車を乗り入れていたのだ。 彼女は、やがて嗜好だけでなく、感情や性格も変化していることに気づくことになる。
新しい心臓がわたしのパーソナリティに影響を及ぼしていることは間違いなかった。まずだいいちに、ひとりきりでいるときでも、孤独感を感じることがなくなった。終日、アマーラや友人たちと離れて過ごしていても、特に淋しいとは思わなかった。ときには、自分の中にもうひとりの人間がいると感じることもあった。 そのため、ふと気づくと“わたし” と考えるべきときに、“わたしたち” と考えていたりもした。自分の中のもうひとりの存在を常に意識していたわけではなかったが、ときにははっきりと別の魂がわたしの肉体を共有していると感じられることもあった。いったいこの感覚はなんだろうと、首を傾げもしたが、最初のうちはまだそう深刻にとらえてはいなかった。というよりは、どう考えても説明がつかないので無視したといったほうがいいだろう。
性格にも変化が現われた。より男性的になったのだ。以前のわたしより闘争的、独断的になり、自信がもてるようになった。女性は知らないが男性なら知っているという類いの知識を、いつの間にか身につけてもいた。自分では完全に理解できないものの、秘密の知恵を授けられたという感じだった。
歩き方まで男っぽくなった。「ママ」アマーラが言った。「その歩き方、いったいなんなの。のっしのっし、まるでフットボールの選手みたい」言われてみれば、たしかに今が盛りの若い男性のような歩き方だった。
(『記憶する心臓』 第9章 ステイン・アライヴ)
このあと、クレア・シルヴィアは、しばしば夢を見る。そして、夢の中に出てくる“ティム”という名の若者が自分のドナー(心肺提供者)にちがいない、と確信を抱くようになる。“ティム”の夢について彼女は次のように記している。
夢の中の〝わたし〟は必ずしも自分ではないらしいと気づくまで、わたしにはこの夢の意味がよく理解できなかった。息を吸いこむ夢とは違って、この夢はわたしではなくティムの視点に立って見ているように思えた。〝わたし〟が男でもあり女でもあるということが、これを裏づけている。記憶にあるかぎり、移植手術を受ける以前には、性別不明の自分が出てくる夢など見たことはない。わたしはいつでも女だった。
(『記憶する心臓』第10章 ロボ・クレア)
クレア・シルヴィアは、いつしか、夢に出てくる “ティム” が本当に自分のドナー(心肺提供者)であったのかどうかを確かめずにはいられなくなる。しかし、ドナーの情報は守秘義務があるため、確かめることはできない。 彼女がつかんでいる情報は、手術直後に看護師がふともらした 「ドナーはメイン州に住んでいた18歳の少年で、バイク事故で亡くなった」という言葉だけだった。
クレア・シルヴィアは看護師のふともらしたこの言葉をたよりに図書館でメイン州の新聞を調べはじめる。そして、手術当日にバイク事故で亡くなった18歳の青年の記事をみつけることになる。死亡記事には、5人の姉妹と2人の兄弟がいると書かれていた。その時のことをクレア・シルヴィアは、次のように述べている。
これがわたしの心臓の家族なのだ。どうしよう。どうしたらいい?
今の今まで、移植手術が行なわれたということすら、百パーセント確信していたわけではなかった。なにもかもがあまりに現実離れした信じがたい出来事だったので、たんに奇跡が起こったのだと考えるほうが、まだしも納得がいった。ドナーの名前も住所もわからないということが、いっそう現実味を乏しくさせていた。これまでドナーに関してわかったことといえば、主としてわたしの夢やイメージから得た情報であったため、裏づけをとることもできなかった。
だが、ここにきてふいに、ドナーが現実に存在していること、そして彼には家族がいるということがわかったのだ。しかも今度は証拠がある。名前、それに住所。
(『記憶する心臓』 第13章 ミステリー・ディナー)
クレア・シルヴィアは、新聞で確認した名前が夢でみた “ティム”であったことに驚く。しかし、そのあと、彼女は落胆することになる。なぜなら、ドナーの18歳の若者がスピード狂でドラッグやアルコールの問題をかかえていた不良少年であることがわかったからだ。クレア・シルヴィアはドナーである“ティム” について不安と恐怖を覚えることになる。しかし、それでも彼女は最終的には “ティム” の家族に会うことを決意し、ついに “ティム” の家を訪問する。“ティム"の家族との会話は、最初ぎごちなく始まるが、やがて“ティム”の話が始まり、“ティム”の母親が「ティムの写真を見るかどうか」を彼女に尋ねてきた。
「ティムの写真をご覧になる?」ミセス・ラサールが訊いた。初めてティムの名前を口にした。わたしにとっては感動的な一瞬だった。
「ええ」わたしは答えた。ぜひとも。
ミセス・ラサールは別の部屋から額に入った写真をもってきた。寝椅子の背に寄りかかり、わたしに見えるよう写真をこちらに向けてくれた。わたしは身を乗りだした。
ティムはメガネをかけていた。夢の中ではメガネをかけたティムなど見たことがなかった。その写真のティムは14歳くらいだろうか。正装して、神父と並んで立っている。だが、メガネをかけていても、彼の瞳の輝きが見てとれた。
ミセス・ラサールはティムのことでなにか言おうとして、喉を詰まらせた。続いて涙が頬をつたった。身を寄せて彼女を抱きしめると、わたしの腕の中のほっそりした、だが力強さを感じさせる彼女の全身から深い悲しみが伝わってきて、わたしたちは抱き合って2人して泣いた。そのときわたしは自分たちが固い絆で結ばれているのを感じた。それまで誰からも、誰にたいしても感じたことのないような絆で。
(『記憶する心臓』 第14章 ファミリー・オヴ・マイ・ハート)
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(引用ここまで)
さて、いかがでしたか?
内容が内容だけに、トンデモ本と
おもわれることもあるようですが、
amazonのレビューを読んでみると、
けっこう高い評価のものがすくなくありません。
こうした体験は、この本の著者に限ったことでなく、
心臓や肺などの臓器移植手術をうけた
レシピアントのなかには、
実際クレアと同じように、
嗜好や性格などに変化をきたした人たちが
少なからず存在し、
なかにはドナーの記憶すら
受け継いだとおもわれるケースもあるとのこと。
人間の記憶領域は大脳にあるというのが
生物学での一般常識なんですが、
もし『記憶する心臓』に書かれた話が
事実であるなら、その常識は、本当に真実なのか、
再考する余地ありではないかと。
ちなみに、この
『吉本隆明「心的現象論」の読み方』をテキストに
そのうち読書会をしたいとおもっているんですが、
関心のある方は井上までご連絡ください。
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