生命進化と易経の偶発性
2023/04/17
昨日投稿した記事は易経の話題を書いたんですが、
2018年12月に亡くなられるまで
主治医として10年以上にわたりお世話になった
豊岡憲治先生との想い出話だったので、
生活デザイン・ヘルス関連のテーマにも
つながりました。
さて、「日筮」と言っているんですが、
2016年の元旦から毎日サイコロを振って
易を立てることを日課としています。
たとえば、昨日4/16は、
連続2663日めだったんですが、
天火同人の六二(てんかどうじんのりくに)でした。
らくだメソッドのプリント学習は、
毎日欠かさずやると決めているのに
ついうっかりし忘れてしまうことがあっても、
この易のサイコロはこの7年余にわたり
1日も振り忘れたことがなく、
連続記録をいまなお更新中です。
それで、今日はなぜ自分が
こんなふうに毎日サイコロを振り続けているのか、
その理由について
わたし自身も「なるほど!」と
おもうことがあったので、その話題を、
読書の話も絡めて書いてみようとおもいます。
昨年の12月に、寺子屋塾は、
集団授業は行っておらず、個別対応が基本なので、
ゲームセンター型コミュニティと称し、
フラットな関係性やゆるやかなつながり、
この先に何が起きるかを予測しにくい
計画的な偶発性を大事にしている場という
記事を書いたことがありました。
それで、この偶発性というキーワードから、
NHK-Eテレ「スイッチインタビュー」で
養老孟司さんと太刀川英輔さんの対話を
観る機会があって、『進化思考』の話に
つながっていったのです。
それで、太刀川さんの著書『進化思考』(写真左)を
先週ようやく手に入れて、少しずつ
読み始めたところなんですが、
たまたま見つけた太刀川さんのYouTube動画が
とても面白かったんです。
『遅いインターネット』(写真右)の著者
宇野常寛さんの番組に
ゲストで出演されていたんですが、
話の途中で易経の話題が出て来るのでビックリ!
16:56辺りから25:50まで10分弱の部分を
以下、文字起こししてみました。
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宇野 ……でね、今太刀川さんがおっしゃったことを、見ている人にわかりやすく、超・乱暴に要約すると、要は進化っていうのは、必然と偶然なんだと。要は自己決定と運命なんだと。なので、それの繰り返しによって、生き延びていって遺伝子が残っていく。そして、今の多様な生命というものが存在すると。それを、人間の意志でエミュレーションしろっていう本なんですよ。僕が僕なりに要約すると。
太刀川 そうそう!
宇野 人間っていうのは、何かデザインするっていうのは、意志だと思ってしまうと。自己決定の領域だと思っていると。でも、実はそうじゃないんだと。敢えて自分を偶然性に晒して、ランダムで襲ってくるものと対峙して、そこに自分の知性と理性というものをぶつけることによって、そしてそこから起きた化学反応ていうものが、クリエーションの源なんだと。
つまり、この人間は自分の意志で進化というものをエミュレーションできるんだと。そう!これは方法論なんで、別に天賦の才能とか関係ないんだということが、超要約するとこの本には書いてあるんですよ。
太刀川 その通り!実際にもっと乱暴に言えば、今までのあらゆるデザインとか、科学的発見とか発明とかも、そうだったんじゃないのか、ということを書いてある本です。例えば、ノーベル賞科学者がどのようにその技術とか新しい視点を発見したのかというと、かなりの確率で偶然であることが多いんですよ。
例えば、触媒を1000倍助手が入れてしまったとか、部屋が汚すぎでカビたとか、シャーレが。それってペニシリンの発見なんですけど。なんかそれって完全に偶然なんだけど、でも、それを観察できる状況にある人に訪れた偶然なんですよね。乃至、そういう偶発が起こるようにさまざまな実験をしていた。例えば、エジソンで言ったら、フィラメントで適切なものを選ぶために6000種類の素材を試しているんですけど、それは明らかに偶発を手に入れようとしていて、どれかはハマるハズであるっていう前提があるわけなんですよね。
でも、僕らは結構何か一発で綺麗にアイディアとか創造性を実現できないと、なんかカッコ悪いみたいに思ったり、失敗はそもそも恥ずかしい、みたいに思ったり、そもそも変異ってエラーだから、失敗を許容するっていうことと裏返しではあるんですよね。沢山のガチャをまわしたら確率が上がりますよっていう話なんだけれども、現代の教育って基本的に失敗させないということに立脚しちゃってるので、そうすると、偶発性を僕らは教育によって失ってしまっている可能性がある。
しかも、それがどういう適応だったら今までにない視点なのかというふうに、ルールを疑ったり、ルールがなぜ必要なのかを確認したりする知みたいなものも、あまり教育の中から、校則を与えることはしても、なぜこの校則が必要なのかを考えなさいって授業ってあんまりない、みたいなことが起こってしまっているとすると、さっきの話で行くと、変異も起こせないし、適応も観察してないみたいな、その両方がロックされてしまうと、さっきのエミュレーションができなくなっちゃうんですよね。
創造的な人ってここの「バカみたいなことをいっぱい考えてみよう」のバイアスを壊してるかもしれないし、その適応も、こういう観察の手法だったら結構わかるんじゃないかって、それぞれどっかから教わったというよりは、たぶん体験的にそういう適応を観察する手法を、それぞれの人が得てきたんだと思うんですけど、それってちゃんと僕は、なんかそういうふうに体系化されていないから、センスの問題になっちゃうんじゃないかと思ってるんですよね、ある種。
なんかそうやってエラーをいっぱいを起こせばいいと思っている人の方がセンスがあると思われてたり、あるいは、普通に観察する手法があるのに、その観察の手法に気付いちゃった人がセンスがあると思われたりするのが創造性なんじゃないかなと思って、それってすごい勿体ない事っていうか、みんなが創造的になれるかもしれないのに。
僕としては、皆さんにも創造的になって欲しくて、で、今たくさんの社会課題めちゃくちゃいっぱいあるじゃないですか。それに対してタックルして面白いことどんどんやるとか、自分の企業で起こって欲しい変化をどんどん起こせる人が増えた方が、多分社会って面白いんですよ。で、それってでもさっきの話で言うと、なんかすごいそのコアに当たるところの、自分でそういうことができるって思っている人が少なかったら、たぶんそういう面白いことって起こってこないわけで、そのために書いたのですよっていうことなんですね。
宇野 実は、僕は色んなジャンルでもうこの進化思考と同じようなことを考えてる人が生まれ始めているんだと思うんですよ。ほぼ同時期に出版された本に——ちょっと後かな?――日立の矢野和男さん。『データが見えざる手』の人ですね。最近、ハピネスプラネットっていう新しい会社を起業した人で、要は、ウェアラブルセンサーを付けることによって、人間の幸福感を測定してるっていう、そのことによって何か組織の創造性を高めていくって研究をしてる人で、実は来月、このシリーズにゲストでいらっしゃるんですけれど、彼が『予測不能の時代』という本を出したんですよね。
あれが後半に、ここから先っていうのは、特にソーシャルな領域においては、変化が激しすぎて、統計で得られるピッグデータによる未来予測は、ほぼ意味がなくなってくる。それでそこに対しては、そういった時代にうまく対応できるのは、創造性の高い人間であると。で、その創造性の高い人間のキーワードってやっぱり〝偶然性〟なんですよね。つまり、こうランダムに起こってくることに対して、いかにポジティブに、そのことに立ち向かえるかっていう……。
太刀川 ほんとにほんとに。
宇野 そのマインドセットが重要であると。そのために彼が提案しているのが、いわゆる中国の易、占い、これを導入することなんですよ。
太刀川 へへへへ〜 面白い〜
宇野 易って、16パターン(井上の註※易には16を単位とする見方はないので、爻辞の6パターンまたは八卦の8パターンの言い間違い?)とか、64パターンの、偶然性に対しての対処法みたいなものが書いてあって、それをランダムに1日1回引くことによって、今日はこのパターン、明日はこのパターン、またその次はこのパターン……みたいな感じで、意図的に自分の日常の中に、自分を意図的に偶然性にさらす回路を埋め込むっていうのが易なんですよ。
太刀川 面白い〜 なるほど!
宇野 だから実は、この進化志向の発想とすごく似てるんです。
太刀川 似てる似てる、そっくりですね!
宇野 これってたぶん、1990年代、2000年代初頭の情報技術っていうのは,非常に設計主義的だったんだと思うんですよね。
太刀川 なるほど!その通りですね〜。
宇野 情報技術の発達で、モノではなくてコトだと。具体的に言うと、人間のソーシャルな行動がデザインできるようになったんだと。そのことによって非常に設計主義が幅をきかせていた20年くらいがあったと思うんですけど、たぶん今、その反省から、やはり、どうやって我々が、人間として我々は、我々人間の創造性の源である〝偶然性〟というものを、意図してインストールするかっていう、そういう志向に傾いている人が、今増えていってるんだと思うんですよ。というか、ジャンルを超えて同時多発的に、こういった議論が生まれてくる予感がしてるんですね。
太刀川 確かに。この本の中に弘法大師空海の話が少しだけ出てくるんですけど。真言密教って、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅って二つの曼荼羅の往復を考えるんですけど、これある意味、偶然性の話と、それの観察の仕方の話に噛み砕けるかもしれないっていう、ある種の理論なんですよね。昔の人も、ひょっとしたら、その創造的であるためのロジックって、たぶん数千年間の興味であり続けたはずだから、そういう風にある種「変異と適応」的に整理した人が、かつてもいただろうし、それを(スティーブ)ジョブズは「ステイ ハングリー、ステイ フーリッシュ」っていう風に言った。フーリッシュはエラーだし、ハングリーは適応ハングリーなプロセスなので、それに分けて言ったかもしれないし。レイモンド・キャッテルっていう心理学者の話も出てくるんですけど、「結晶性知能と流動性知能」って言った人もいれば、デボノかな?「水平思考と垂直思考」って分けた人もいれば、いろんな人たちがそういう2つの知がどうやらあるらしいという、その二つの知をどういうふうに往復していくのかが大事らしいということを指し示しているんですけど、この本が、そういう前例に比べて何かが新しいところがあるとすれば、それは生物の進化と全く一緒のことであるっていう風に言って、生物の進化でみたら、両方とも同じというか、ほぼ相似形のことが起こっているじゃないかという指摘に立脚しているので、この本を読むと「うん、38億年間こうだったのかもしれない」って気分になれるかもしれないっていう(笑)。……
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(引用ここまで)
以上を読まれて興味を持たれた方は、
途中までしか公開されていませんが、
太刀川さんの著書の骨子については
十分掴めるとおもいますので、
ぜひ動画をご覧になってみて下さい。
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