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講演録『教えない教育、治さない医療』(その4)

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講演録『教えない教育、治さない医療』(その4)

講演録『教えない教育、治さない医療』(その4)

2023/04/24

講演録『教えない教育、治さない医療』(その3)からの続き

 

司会:山下さん、どうもありがとうございました。では、続きまして、平井雷太さんにお願いしたいと思います。平井さんは、今日は東京からお越しいただいたんですけれども……。

 

平井:いえ、大阪からです(笑)。

 

司会:お住まいは東京なんですが、全国を飛び回っていらっしゃいまして、今日は大阪から四日市へおいでいただいたんですけれども。東京都文京区駒込の方で、「すくーるらくだ」という塾を主宰なさっていらっしゃいます。ご自身で開発された「らくだメソッド」を使って10年間「教えない」教育を実践されていらっしゃいます。どうぞよろしくお願い致します。

 

井上:よろしくお願いします。「すくーるらくだ」という塾はよく「教えない」塾と言われるんですけれども、どのような塾なのでしょうか。

 

平井:今、山下さんのお話をずっと伺っていて、おもしろいなと思って聞いていたのですけれど、医療現場でなさっていることを、ぼくがやっていることと置き換えて考えるとどういう風になるかというと、さっき「病気はない」っておっしゃって、「あるのは病苦だ」と。ぼくも子どもと関わっていて「勉強のできない子はいない」と思いますね。病気はないというのと全く同じで、勉強のできない子どもはいないと思うんです。それはどういうことかというと、いま井上さんから、ご質問があった、教えないっていうこととつながっていると思うんですけれども、教えると勉強のできない子どもができるんですね、教えると。でも、教えないと勉強のできない子どもはいないんです。これは、例えば、今までぼくのところへ2千人ぐらいのいろんな生徒が入ってやめて通過して行ったんですが、勉強のできない子どもというのは見たことがないんです。

 

どうしてかというと、例えば、掛け算の九九ができるというのはどういうことかというと、120題の九九、つまり掛け算120問が3分台でできる、ということですね、ぼくのところへきてきちんとやっていればね。だから、掛け算の意味がわかっていて、2×3というのは(黒板にタイルの図を書きながら)こういう縦に2枚、横に3枚のタイルがならんだ図が書けるのであれば、九九がすらすら言えなくても、6×6だったら、このようにタイルの図を書いてやれば、九九を暗記していなくても「ろくろく(6×6)」がいくつかわかるでしょう。

 

つまり、「わかる」ということはそんなに難しいことではないんですね。だけど、たとえば329×48という掛け算ができるかどうかは、「はっく(8×9)」がすぐに出てこないとできないでしょう。例えば掛け算九九の120題が3分台でできるというのを、ぼくのところでは目安としているんですが、これは繰り返してやれば、だれでもできるようになるんです。できない人は今まで一人も見たことがない。皆さんだったら「しちは(7×8)」と言ったときに、すぐに56って出るでしょう。でも、普通は「しちは」って言ったときに、「えーっと、しちは、しちは」ってこの3倍かかってできる子とか、5倍かかってできる子とか、いろいろいるわけです。「しちは」っていうとすぐ条件反射的に───日本語しゃべっているのと同じですね、あの、算数っていうのは言葉だと思っていますから、ある程度のスピード感をもって考えずに出る、ということは非常に大事なことだと思っているんですね。特別に早い時間でなくていいから、すっと出る、と。

 

それが、例えばこの329×48という掛け算筆算だと、九九を6回使うので、九九120題のプリントを3分台でできる子どもだと、だいたい15秒くらいで解けるんですね。ところが、九九120題が12分かかる子どもだと4倍かかるので、この問題をやると、単純計算して15秒×4=60秒ぐらいかかってしまう。教科書に載っている問題は、5問とか10問とかそもそも問題数が少ないので、それを解くだけでしたら1問につき仮に60秒かかったとしても、問題が全部で10問あったとしてもせいぜい10分前後で全部できるので、学校の授業中には、その能力差はあまり表面化しません。しかし、例えばこの329×48というような掛け算を50問解くというようなときですね・・・もちろん、授業中に計算問題を50問解くようなことはほとんどないんですが、120題の九九が3分台でできる子は50問あっても15分ぐらいで全部できてしまうんです。でも、定期テストや入学試験のときには、時間まるごと問題を解くことになるので、120題の九九が12分かかる子は、たとえ間違えずに正確に解ける能力があっても、時間内にはできなくて、その違いが歴然と出てしまう。


つまり、「できる」「できない」ということのからくりというのはこういうことなんですが、じゃあ120問の九九プリントが3分台でできるかどうか、といえば、これは繰り返せば本当にだれでもできるようになるんです。だけど、学校はどうしているかというと、たいてい3分台でできるようになるまでやらないんですね。6分でも12分でも20分ぐらいでも、九九が一通り言えたらよしとしてしまうんです。途中でストップかけて先に進めてしまうから、その子どもはその子の固定能力観を作るわけです。そこで「ぼくはできないんだ」という意識をその子に植えつけてしまう。だけど、そのときにぼくが教えてその子にできるようにすることは不可能なんです。

 

では「教えない」ってことは何をしているかというと、どのように学習するかを本人が全部決めているだけですね。だから、プリントをやって、ストップウォッチで計って、自分で採点しますから、ぼくが宿題を出さないんですね。原則としてどのプリントをやったらいいかというようなこともぼくからは言わないし、聞かれない限り提案しないんですね。すると、子どもが自分でやろうとする。やれば結果が出るでしょう? そうしたら一枚一枚のプリントに時間が書いてありますから、そうしたときに3分台にならないで5分台のまま、先に進みたいっていう子どもをぼくは見たことがない。本人に選ばせたら、本人はできるようになるまでやります。

 

そのときに一番ブロックになるのはだれかというと、お母さんって場合が少なくないです。3分まで行かない状態で、その子が15分ぐらいでもいやな顔をしていたら、「あんた、辛いんでしょう?」「無理しなくていいから」「もうやめなさい!」「もっと難しい問題をやりましょう」って言っちゃう。そういう信じられないようなことをするわけです。その子が自分で決めたにもかかわらず、親が邪魔をしてしまうんですね。夜11時過ぎてプリントをやっていると、「あんた、早く寝なさい!勉強なんかより今すぐ寝た方がいいんだから、身体のことを考えて!」って。これって全部善意でしょう?その子にとって早く寝ることがいいことだから、「この子は勉強したってしょうがない」って言って邪魔をするわけです。結果的にその子がしたい意欲まで奪ってしまう。

 

でも、本人が決めるとね、同じプリントを60回でも70回でも80回でも繰り返すんです。それはどうしてかって言うとね、ぼくがやらせようとしないからです。本人にとって何が必要かは、本人にしかわからない。最初は例えば120問の問題をやっても15分かかってプリント1枚やるのがやっとだというような子どもが、繰り返してやっているうちに5分台ぐらいになるんですが、それから先はなかなか短くならないんですね。それで、その子はどうするかって言うと、同じプリントを2枚やる、3枚やるって自分で言い出すんです。一所懸命やっているわけです。

 

まあ、120問の九九プリントを5分台でやっていて、1カ月続けているのに短くならなかったら、たいてい親御さんが電話をかけてきますね。「月謝を1万円払っているのに、うちの子は同じプリントを1カ月やっても1枚も先に進まないんです」「もったいない!」「こんなことをやっていていいんだろうか?」ってね。その気持ちはわかるんですが、「うちの子にはこのやり方は合わない」「家庭教師をつけてていねいに教えてくれる人に高い月謝を払った方がこの子はできるようになります」って言ってやめさせる人がいるんです。

 

だけど、一番大事なのは120問の問題を5分で合格しない状態が一番いいわけです。いくらやったって合格しない。だけど、その子は自分でそれを選んでやっているわけです。イノチがそういう方向に向かっているんです。意欲があるんです。そうすると、どういうことが起きるかというとですね、そりゃあぼくだって見てて、何でこんなにやるんかなって思うくらいやるんですね。だけどある日、突然3分台でできるようになる。能力っていうのは段階的に上がって行かないんです。ある所まで短くなっても、ずーっとそのままでなかなか短くならないんですが、あるとき一気に短くなる。夜明けの前の朝は一番暗いんです。行き詰まってお先真っ暗でどうしようっていうとき、ある日突然光明が差してきて、フッと変わるんですね。なのに、「そんなんじゃだめだ」って言って途中でやめさせるっていうのは、「あなたはこんなにやってもできないの!」って決めつけてしまうようなもんです。結局、まわりの人間がその子の成長の芽を摘み取ることになってしまう。

 

だから、ぼくがやっていることは邪魔をしないことです。本人の意志に任せている。本人がどうしたいか、と。こういうふうに学習して行けば、できない子はいないんです。掛け算九九120問が3分台でできるようにならなかった子は、今まで見たことがない。ということは、小中学校でやっている程度の算数、数学は、だれでもできるということです。いま義務教育でやっている程度のことは、できないことがありえないし、できないと思わされているだけなんです。「文章が書けない」「わたしは~が苦手だ」っていうのは、そのほとんどがそれまでの教育環境下で作られた固定能力観です。

 

今、大人になって、いろんな人達と文章を書くようなことをやっているんですけれど、文章が書けない人はいないんです。日本語がしゃべれるように、だれでも文章は書けるんです。信じられないぐらい。だから、みんな自分は文章が書けないと思っている、多いですよ、すごく。どうしてかっていうと、植えつけられている───ちょっとしゃべり過ぎましたね、ゴメンナサイ(笑)。

 

講演録『教えない教育、治さない医療』(その5)に続く

 

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