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目的を持たずに書けば無限大(つぶやき考現学 No.16)

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目的を持たずに書けば無限大(つぶやき考現学 No.16)

目的を持たずに書けば無限大(つぶやき考現学 No.16)

2023/05/18

何も見えていなくても 
とにかく書いてみることだ。
 
何かを見ようとしていると
見ようとしたことしか見えてこない。
 
何も見えていないからこそ 
何かを書いてみることだ。
 
何を書くかを決めずに書くことで 
見えてくることがあるからだ。
 
目的を持って書くことには
見えてくることには限りがある。
 
でも、ひとつの目的にとらわれずに、

ただ書くことができれば、
そこから見えてくることは無限大。(1996.1.6)

 

※井上淳之典のつぶやき考現学 No.16

 


COMMENT:昨日投稿した記事に、

いまわたしが教室で塾生たちと

具体的にどんな対話をしているかという話は、

対幻想的なかかわりの実践を示すことにも

つながるように感じているので、

対話やその周辺にあるテーマに関わる記事を

書いていく予定 と書きました。

 

ということで真っ先に浮かんだ詞が

このNo.16なんですが、

なぜこの詞だったのか、今日はその理由を発端に

ちょっと長めのコメントを書いてみましょう。

 

まず、対話的関わりを時間軸で捉えたときには、

対話的なやりとりをしている当事者たちが

「いま」を生きているかどうか

決定的に重要だからです。

 

「目的をもつ」という行為は

ともすると、そのひとつの目的ばかりにとらわれ、

意識を未来に追いやってしまいかねません。

 

そして、その目的を指向する思考の源泉が

どこにあるのかを辿っていくと、

ほとんど過去の体験に基づくものです。

 

つまり、3月の半ばにこちらの記事で、

崎谷博征さんの

『グズな大脳思考、デキる内臓思考』という

本を紹介したことがあるんですが、

アタマで考えることは

たいてい過去や未来のことであるのに対し、

内臓、つまり身体は「いま、ここ」にしか

存在できないのですから、

大脳思考には、時間軸が「過去や未来」に、

内臓思考(感覚)には、

時間軸が「いま」しかないと言ってよいでしょう。

 

このblogについて、読まれたまわりの人から

「井上さん、よくそんなに書く素材がありますね」

と時折言われることがあるんですが、

時間軸を「いま」に置くことを意識して、

対話的関わりというのを応用して、

自己対話というか、セルフインタビューというか、

わたしという人間が、

わたし自身と対話しながら

そのプロセスを書いているので、

書ける記事のテーマや素材は、それこそ

ほぼ無限にあるといってよいでしょう。

 

もちろん、「こういうことを書こう」という

明確な目的を持った上で

blogを書き始める日が

まったくないわけではありませんが、

記事の多くは、書き出しだけは決めていても、

どんな結語が待っているのか、

じつは、わたし自身もわからないまま

書いているという日が少なくないんです。笑

 

でも、わからないからこそ、

書いているわたし自身も楽しめるし、

こうして毎日、記事を書き続けられるんですね〜

 

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