「対幻想的やりとり」ってどんなコミュニケーション?
2023/05/19
いまわたしが教室で塾生たちと
具体的にどんな対話をしているかという話は、
対幻想的なかかわりの実践を示すことにも
つながるように感じているので、
対話やその周辺にあるテーマに関わる記事を
書いていく予定 と書きました。
その日の記事には、塾生からの質問
「家族とのコミュニケーションについて
留意することって何かありますか?」
を入口に、わたしが26年前に書いた、
家族についての記事を引っ張り出しながら、
「対幻想的なやりとり」というのが、
具体的にどういうコミュニケーションを
言っているのかを書いたつもりでした。
でも、そもそもこの「対幻想」という言葉は
吉本隆明さんが『共同幻想論』で
展開されたものではあっても、
世間一般でだれにでも通じるような
言い回しではありません。
『共同幻想論』は戦後で出版された書物のなかで
最も難解なものという人もいて、
たとえば、これまでに書いたわたしのblog記事を
すべて丁寧に読まれている方であっても
「対幻想」についての理解度には、
おそらくかなりバラツキがあるでしょう。
それで、この「対幻想」という言葉について
もっと理解が深まるような記事を
書いておく必要性を感じた次第なんですが、
これがまたタイヘンな課題なんですね。
どうしたものか、アレコレ考えたものの
音楽評論家で編集者、
ロッキングオンの社長・渋谷陽一さんによる
『吉本隆明 自著を語る』という本に、
吉本さん自身が『共同幻想論』について
註釈している章のことがフッと浮かんできました。
わたし自身、この本を読めたことで
難解な『共同幻想論』という書物に対して、
ずいぶん理解が進んだばかりか、
吉本思想の全体像というものが
多少は見通せるようになったように感じたからです。
まずは『共同幻想論』について語られている章全体の
1/4ほどの分量にあたるんですが、
「対幻想の独創性」という
中見出しのついた部分を以下にご紹介しようかと。
ちなみにこの原稿は、
2006年4月に出された雑誌『SIGHT』27号に
掲載されたものなので、
インタビューが行われた正確な時期は
記されていないものの、
このときの吉本さんが80歳を超えていることは
間違いないとおもいます。
(引用ここから)
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対幻想の独創性
渋谷 そして、この『共同幻想論』のもうひとつの大きな問題設定が〝対幻想〟という概念ですよね。これは『共同幻想論』を非常に素晴らしいものにしているんですが、逆に非常に難しい概念でもあるというか。たとえば自己幻想と共同幻想というのはすんなりお腹の中に収まるんですけれども、この対幻想という概念は対幻想ひとつならまだしも、共同幻想、自己幻想という三つの中の因数のひとつとして登場して、その相関関係の中でどう位置づけていくかっていうのが問題とされていて。これは理解するのがなかなか難しいですよね。
吉本 そうでしょうね。飲み込みがたいと思います。ただ、要するに対幻想というのは一対一の幻想で、一人の人間と他の一人の人間の関係だということなんですね。そして家族とはまさに対幻想を根幹としてできてるものなんだということなんです。家族っていうのは一人の人間と他の一人が性を介在として存在している。僕の考えでは、その家族という対幻想の役割は共同幻想と自己幻想と同等の重さを持ってる。たとえば現在で言えば一番わかりやすいのは、こないだ新聞にも出てましたけど、化学的知識のある女の子がタリウムを母親に少しずつ飲ませて衰弱死をさせようとした。これはつまり対幻想の共同性が崩壊する兆候だと見てもいい。ただ僕なんかも若い時は家族なんかどうでもいいって思ってましたけどね。太宰治が好きで、戦後彼は崩壊感覚で生きてた人だから「家庭の幸福は諸悪のもと」ってよく言ってましたから。 僕らも若くて戦争が終わった数年っていうのはごもっともだと思ってました。だけど自分が年くってみると、よせやいっていう問題が一方で出てくるわけで。それを解決しないといけない。「家庭の幸福は諸悪のもと」っていうのはほんとの意味の真実じゃなくて、反語的な真実だというのを解明しないといけない。家族の問題っていうのは国家の問題とか個人がどう生きるかっていう問題と同等の重さがあると思ってますね。
渋谷 この対幻想という概念は非常に独創的で素晴らしいんですけど、吉本さんご自身がなぜこの概念を導入したかというのを文芸批評的な文脈から語っていらしたことがあって。この点について詳しく伺いたいのですが。
吉本 ええ。それはつまり、人の言葉というのは共同体におけるパブリックな言語と個的なイマジネーションに属する言語というのがある。ただそのふたつだけではどうしても解けない問題があるんですね。それは要するに戦中や戦後の文芸批評論争において見られてきたものがそのどちらかでしかなかったわけで、そしてそのどちらにも僕は納得できなかった。ただ人間はそれ以外の言語を確かに持っているはずだという問題意識が僕の中にあったわけなんです。つまり、共同幻想的な言語と自己幻想的な言語を繋げるものが何にもないじゃないかと。だから共同幻想は共同幻想でしかないし、自己幻想は自己幻想でしかなくて、結局世界は何も解けないんじゃないかって。だからこの対幻想っていう言語がきっちり設定されるならば、共同幻想と自己幻想との差をきっちり埋めることができるし、逆に言えばこの対幻想という言語が存在しないがために自分自身は戦後、宙を舞っていたところがあったとも言えるんですね。で、そもそもなぜそんなことを問題にしたのかっていえば小林多喜二の小説ですよ。たとえば『党生活者』っていう小説がありますけど、これは主人公のある男が女の人と共同生活してるわけですけど「俺は革命運動をやっているんだから、お前は夜の商売かなんかでもってお金を工面して俺の生活も支えてくれるのは当然じゃないか」って公然と言うわけですよ。そして女の人は足がむくんじゃうぐらい苦労しながら、レストランとか飲み屋で亭主のために働いてるわけですよ。それで夫婦ゲンカが起こるわけ。男のほうは「俺は革命運動をやっているんだから、お前がそのくらいして俺の生活を支えるのは当然じゃないか」と言う。これはおかしいじゃねえかというのがひとつの動機でしたね。この問題は大論争にもなって『近代文学』の同人、埴谷雄高や平野謙と中野重治みたいな正規の共産党員との間の論争の的でしたね。「これはヒューマニズムに欠けてるじゃないか」って平野さんたちは言うわけ。中野重治は「革命運動はそんな簡単なもんじゃないんだ。それは当然だ」とまでは言わないけど、「ちゃんと小説を読むと、足がむくんじゃったってその人の足を主人公は揉んでやったりしてるじゃねえか、別にないがしろにしたわけじゃないんだ」って言うわけです。僕は読者としてこの小説を読むとどこかおかしい、何かが欠けてる、何かを入れないとこれはダメだって思いましたね。
渋谷 そこで対幻想という概念を取り入れたのは、吉本さんの中で人間の言語として、自己幻想の言語と共同幻想の言語以外にちゃんとそういう対幻想の言語があるはずだという思いがあったんですよね。そこがきっちり対象化されなければ納得できないし、社会の構造を読み解く上でこの対幻想という言語の要素がない限り、共同体や社会との関わり方、あるいは人と人との関わり方を解いてもそれは全部机上の空論であり、形式論的なものになってしまうという強い思いがあったんですよね。こういう問題意識が『共同幻想論』をすごく立体的な著作にしたんだと僕は思うんですけど。
吉本 それはおっしゃるとおりですね。
この中見出しの項は以上なんですが、
併せて、本書に付されたお二人のあとがきも、
全体像を知る助けになるようにおもうので、
以下に紹介しておきます。
●渋谷さんとのこの対話の本は、わたしにとっては、文学と思想のあいだについて、戦後の可成り初期から近年にいたるまでのわたしの考えたこと・書いたことの主脈の変遷を一目でたどれるように択ばれている。渋谷さんのロック音楽家とのインタビューや論議の色合いの面白さは雑誌『ロッキング・オン』時代から読んでいて(よく)知っていた。関連して言えばこの本の対話でもわたしの本をていねいに読み直して要点をおさえていることが直ぐに分かるほど、無駄のないさばき方で、わたしは安心してそれに乗っかればよかった。訂正も(一個処だけで)必要なかったことを告白しておきたい。わたしに対してへり下っておられるところが気にかかった唯一の点であった。
定かではないが、わたしが渋谷さんにはじめてお目にかかったのは、通信社の記者につれられて、「ゼルダ」という女性だけのロック・グループのライブの会場だったと記憶している。それかあらぬか歌も身のこなしも見事だった忌野清志郎たち、ビートたけしたちのライヴにも何回か出かけた。わたしは音痴のせいで音のほうは駄目なのだが、雰囲気に惹かれて、学校筋では後輩ともいえる遠藤ミチロウさんたちのグループ「スターリン」のパフォーマンスにも度々出かけた。聴衆の中に頭から先にダイビングする姿は忘れ難い。この本もまた渋谷さんが頭から先にダイビングしていただいた賜物だと言っていい。感謝はつきない。(吉本隆明さんによるあとがき)
●すでに優れたインタヴュー集がいくつも出版されている状況で、あえて文芸や思想と無縁の僕がこうした本を編んだのは、まさに文芸や思想と無縁であるが故に可能なアプローチがあるのではと考えたからだ。読者として吉本隆明の著作と向きあって30年以上になるが未だに多くの本は難解であり、吉本思想の十分の一も理解できていない自覚がある。しかし、僕にとって吉本隆明の影響は巨大であり、吉本隆明が居なければ自分で雑誌を創刊しなかっただろうし、今のように出版社を経営することもなかっただろう。きっと僕のような読者は多いのではないだろうか。というより、乱暴な言い方をするなら、そうした読者がほとんどではないのか。僕らは、その難解な論理を理解できなくても、吉本隆明を感じることができ、その感じたことにより人生を決定されるような影響を受けてきたのだ。その一般的な読者の視点からインタヴューし、著作を振り返ることによって、読者にとっての吉本隆明を浮かびあがらすことが出来るのではと考えたのである。無知であることを恥じない開き直った姿勢が、何か有効であるような勝手な確信があった。吉本さんは、そうした僕のアプローチに辛抱強くつき合い、丁寧に分かり易い言葉で自らの思想を語って下さった。正直に言うなら、取材の度に吉本さんの貴重な時間を無駄にしているのでは、という後ろめたさを感じていた。それでも、自分の後には多くの同じような読者が居るはずだという思いのみで何年も続けてきた。言うまでもないが、この本で取り上げたのは初期の著作である。このシリーズは、雑誌「SIGHT」で連載が続いている。興味のある方はそちらも読んでいただきたい。(インタヴュアー 渋谷陽一さんによるあとがき)
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(引用ここまで)
旧ブログ〝往来物手習い〟にも
吉本さんが2008年に行われた最後の講演会から、
関連する記事を紹介していますので、
併せてご覧ください。
とくに、3つめの記事の最後に出てくる
森鷗外の『半日』という小説についての話は、
「対幻想」を考える上で参考になるとおもいます。
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