子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣(「論語499章1日1章読解」より)
2023/09/06
昨日に続いて、今日も論語499章読解からで、
今月はこれで4回目になりましたね。
今日は、子張と孔子の問答を記した
衛霊公第十五の5番(通し番号384)をご紹介します。
後のコメントに記しましたが、子張は
有名なことわざ「過ぎたるは及ばざるが如し」の
出典として知られる
先進第十一の15番(通し番号268)に登場していて、
ちょっとやり過ぎる人物のようです。
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【衛霊公・第十五】384-15-5
[要旨(大意)]
孔子と子張の問答録で、どんなに主張が正しくとも、信頼関係がなければ言うことが通らないことを述べている章。
[白文]
子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣、言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉、立則見其參於前也、在輿則見其倚於衡也、夫然後行也、子張書諸紳。
[訓読文]
子張、行ハレンコトヲ問フ、子曰ク、言、忠信、行、篤敬ナラバ、蠻貊ノ邦ト雖モ行ハル、言、忠信ナラズ、行、篤敬ナラズンバ、州里ト雖モ行ハレンヤ、立テバ則チ其ノ前ニ參ハルヲ見ルナリ、輿ニ在レバ則チ其ノ衡ニ倚ルヲ見ルナリ、夫レ然ル後ニ行ハレン、子張、諸ヲ紳ニ書ス。
[カナ付き訓読文]
子張(しちょう)、行(おこな)ハレンコトヲ問(と)フ、子(し)曰(いわ)ク、言(げん)、忠信(ちゅうしん)、行(おこない)、篤敬(とくけい)ナラバ、蛮貊(ばんぱく)ノ邦(くに)ト雖(いへど)モ行(おこな)ハル、言(げん)、忠信(ちゅうしん)ナラズ、行(おこない)、篤敬(とくけい)ナラズンバ、州里(しゅうり)ト雖(いへど)モ行(おこな)ハレンヤ、立(た)テバ則(すなは)チ其(そ)ノ前(まえ)ニ參(まじ)ハルヲ見(み)ルナリ、輿(よ)ニ在(あ)レバ則(すなは)チ其(そ)ノ衡(こう)ニ倚(よ)ルヲ見(み)ルナリ、夫(そ)レ然(しか)ル後(のち)ニ行(おこな)ハレン、子張(しちょう)、諸(これ)ヲ紳(しん)ニ書(しょ)ス。
[ひらがな素読文]
しちょう、おこなわれんことをとう、しいわく、げんちゅうしん、おこない、とくけいならば、ばんぱくのくにといえどもおこなわる、げん、ちゅうしんならず、おこない、とくけいならずんば、しゅうりといえどもおこなわれんや、たてばすなわちそのまえにまじわるをみるなり、よにあればすなわちそのこうによるをみるなり、それしかるのちにおこなわれん、しちょう、これをしんにしょす。
[口語訳文1(逐語訳)]
門人の子張が、自分の言い分を通す方法を尋ねた。先生(孔子)が言われた。「言葉に嘘がなく、行いが丁寧で慎み深ければ、蛮族の地でも言い分が通る。言葉に嘘があり、行いが丁寧でなく慎み深くもなければ、国の中だろうと言い分が通るものか。立てば目の前に正直と慎みがちらつき、乗り物の上でも正直と慎みが手すりに寄りかかっているように見えたなら、やっと言い分が通る。」子張はこの教えを帯の垂れに書き記した。
[口語訳文2(従来訳)]
子張が、どうしたら自分の意志が社会に受けいれられ、実現されるか、ということについてたずねた。先師がこたえられた。――
「言葉が忠信であり、行いが篤敬であるならば、野蛮国においても思い通りのことが行なわれるであろうし、もしそうでなければ、自分の郷里においても何ひとつ行なわれるものではない。忠信篤敬の四字が、立っている時には眼のまえにちらつき、車に腰をおろしている時には、ながえの先の横木に、ぶらさがって見えるというぐらいに、片時もそれを忘れないようになって、はじめて自分の意志を社会に実現することができるのだ」
子張はこの四字を紳に書きつけて守りとした。(下村湖人『現代訳論語』)
[口語訳文3(井上の意訳)]
子張「どうやったら自分の言ったことを人々が実行するようになるでしょうか。」
孔子「そうだね。心にもないことを人に言わず、人をだまさず、振る舞いが丁寧で腰が低ければ、蛮族の国の人々であっても、言ったことに従うようになるだろうよ。もし、言葉に真心がなく、嘘があり、行動に誠実さがなければ、小さな郷里の中でさえ従うものか。歩く時にも馬車に乗る時にも油断せず、どんなときでも自然に振舞うことができるようになったら、人々は指示に従うようになるだろうよ。」
子張はこの教えを忘れまいと早速自分の帯の垂れに書き留めた。
[語釈]
子張:孔子の弟子。姓は顓孫、名は師、字は子張。孔子より48歳年少。
行:ここでは「自分の行い」と「言い分が通る」の両方の意味を含ませて解釈するのが適切か。
忠信:自他に対していずれも正直であること(「忠」は自分に対して、「信」は他人に対して正直であるの意)
篤敬:丁寧で慎み深いこと。
蛮貊:「蠻」は南方の蛮族、「貊」は北方の蛮族のことを指す。
州里:ここでは「自分の郷里」の意。州は二千五百戸、里は二十五戸の村を言う。
乎哉:乎も哉も詠嘆の助辞で、二文字合わせて強い詠嘆を表す。
参:ここでは「交わる」の意。
輿:乗り物、動物が引く車、人が担ぐかごなどの意味。
倚:椅子の「椅」の類語で「よりかかる」という意味。
衡:ここでは横に掛け渡された「手すり」の意。車を牽く役畜のくびきをも意味するので、その場合は”くびき”で、「輿」も乗り物一般ではなく車に限定される。
紳:儒者が締めた長い帯を「紳」と言い、もともと大帯を意味する言葉。ここでは大帯を結んだ端を前に垂らしている部分を言い、とっさの場合に限ってメモ代わりに書き込むこともあった。この言葉がのちに転じて、紳を締めた儒者=学者・官僚・政治家を「紳士」と言うようになった。
[井上のコメント]
子張は、「孔門十哲」には入っていませんが、『論語』には子路、子貢についで登場する回数が多い若い門人で、本章は、子張の「どうすれば、自分の言ったことを人々が実行するようになるのか(→自分の思想や主張を実際の政治に活かせるか)」という問いに孔子が答えています。既出の章では、格言としても有名な「過ぎたるはなお及ばざるが如し」の出典でもある先進第十一の15番(通し番号268)に登場していることからもわかるように、子張は孔子から「おまえは才能はあるが、すぐやり過ぎる」と評されていました。
この「もし、自分の主張を通したいなら、まず自分の礼節、言葉遣いを正すことが必要だよ」という孔子の教えにはある種の普遍性があり、万人向けは言えないものの、多くの人に向けて語られたものとして受けとめてよいようにおもいます。ただ、その一方で拡大解釈に陥るリスクもあるので、こうした言葉は、基本的には子張その人に向けて語られたものと受けとめた方が無難といえるでしょう。孔子と門人達の問答録をこれまで読んで来ておもうことのひとつに、孔子という人は、門人達一人ひとりの特性を正確に見抜いて指導できていたということがあるんですが、そうした個別に語られた孔子の言葉に対して、拡大解釈しないためにはひと工夫が必要で、今日はそれについてすこし掘り下げて書いてみようとおもいます。
たとえば、クレッチマーの性格類型論とか、人間をタイプに分けるやり方は世にいろいろあります。でも、分け方があまり複雑だと結局うまく活用できないので、ここではすごくおおざっぱに、自分の内面か外界か、そのどちらにエネルギーが向かいやすいのか、受動性と能動性とのどちらが強いのか、タイプによって人間を類別して、「アワ性が強いタイプ」と「サヌキ性が強いタイプ」というように、2つに分けてみました(次の図版参照)。
これで見ていくと、子張のようにやり過ぎてしまうタイプを〝サヌキ性過剰〟で、そういう人は内省力を培うように心がければいいでしょうし、逆に一つひとつ行動することに対してすぐあれこれ考えてしまってなかなか行動できないようなタイプは、〝アワ性過剰〟で、自分を外に向けて表現したり、一歩前に出ようとすることを心がけることでバランスが取れるわけです。ちなみに、男性性を〝サヌキ性〟、女性性を〝アワ性〟という風に、敢えて聞き慣れない言葉に言い換えている理由は、男性だからといって必ず男性性が優位であるとは限らず、また女性が必ず女性性優位とは言えず、単純に生物としての雌雄に置き換えてしまわないように、その組み合わせに無限のグラデーションが存在することを示したいためです。
孔子自身はこのような、人によって、また人が同じであっても、時と場合によっても変化し得る各々のサヌキ性とアワ性を瞬時に感じ取って、両者のバランスを踏まえて指導できていた(→アワ性が高い人物)ようにおもうのですが、そうした能力をどうして自分が身につけられたのかについては無自覚だったためか、それを抽象化して言語化したり、人に伝えたりすることはできなかったようです。ただ、結果的に孔子が自分よりも先に顔回を失い、門人の中から自分と同じ指導ができるような後継者を育てることができなかった理由については、論語をすべて読み終えていない今の段階で結論づけられないテーマであり、人を指導する立場にある自分自身の課題としても継続して考えていくつもりです。
[参考]