ハンナ・アーレント「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です」(今日の名言・その66)
2023/10/26
世界最大の悪は、 ごく平凡な人間が行う悪です。 そんな人には動機もなく、 信念も邪心も悪魔的な意図もない。 人間であることを拒絶した者なのです。 そして、この現象を、 私は”悪の凡庸さ”と名付けました。
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前回の「今日の名言シリーズ」は
とりあげたのですが、
紹介した台詞のちょっと前の場面で、
鈴木先生が、
「一つの価値観がつぶされること、
一つの価値観が世の中のすべてを支配してしまうことを
オレは何よりも恐れているんだ」と
子どもたちに話していたんですが、
今日はその言葉の意味する内容と
関連しているハンナ・アーレントの名言を
紹介することをおもいたちました。
ハンナ・アーレントは1906年にドイツで生まれ、
1975年にアメリカで亡くなった
政治哲学者・思想家です。
アーレントは父親がギリシアやラテン文学に
関心高く教養を備えた人だったこともあり、
若い頃は文学寄りの哲学を指向していました。
しかし、アーレントが大学を卒業して
間もない頃にドイツに台頭した
ヒトラーを党首とするナチス党は、
ドイツが弱った原因がユダヤ人にあると決めつけ
ユダヤ人を絶滅させる「最終解決」を掲げ
反ユダヤ主義政策をとります。
ドイツ系ユダヤ人であるアーレントは
1933年、迫害を逃れるために
パリを経由してアメリカに亡命し、
その後は主たる関心と思索が
政治に向かうようになりました。
そうしたナチスの全体主義はいかにして起こり、
なぜ誰にも止められなかったのか、
アーレントはそれを、
歴史的考察により突き止めようと
1951年に『全体主義の起源』(全3冊)を著し
政治哲学者として
一躍注目を集めることになったのです。
そして、そのアーレントをさらに有名にしたのが、
冒頭に紹介した言葉が収められている、
1963年に出版された『エルサレムのアイヒマン
悪の陳腐さについての報告』でした。
アドルフ・アイヒマンは、ナチス親衛隊の中佐で、
多くのユダヤ人を強制収容所に移送し、
管理する部門で実務を取り仕切っていました。
アイヒマンの指揮下で逮捕され、
強制収容所のガス室で殺されたユダヤ人は、
数百万人にのぼるといわれています。
終戦後にアメリカ軍に逮捕されたものの、
1946年に脱走、逃亡し
アルゼンチンに逃れていたアイヒマンも
1960年に捕らえられ、
翌61年イスラエルのエルサレムにて
裁判がはじまります。
アーレントは、その裁判を見届けることが
ユダヤ人の自分にとっての重要な使命と考え、
特派員として裁判を傍聴し、
冷静に彼の思考と行動を見つめ分析しました。
アイヒマンは、ただひたすらに
「わたしは法と命令に従っただけだ」
「わたしは一人も人間を殺していない」
という主張を繰り返したのです。
つまり彼は、与えられた仕事を忠実にこなした
出世欲旺盛などこにでもいる官僚的人物で、
ユダヤ人に対して強い憎しみを持ち、
悪の権化のような残忍な人間ではありませんでした。
つまり、20世紀最大の悪と言われる
ユダヤ人の大虐殺という蛮行は
どこにでもいるような
凡庸な男によって行われたわけです。
映画『ハンナ・アーレント』予告編をご覧下さい。
わたしだって、もしアイヒマンと同じ時代に生き、
同じ立場に置かれて、
与えられた仕事を忠実にこなすことしか
考えないような人間であったなら、
同じことをやっていたかもしれないのですから。
アーレントの思想の根幹は、
自分のアタマで考える姿勢をいかなるときにも
手放さないところにあると言ってよいでしょう。
ヒトラーの全体主義思想を支えつくり上げたのは、
けっして極悪非道な人間たちでなく、
思考の停止した無知と無思想の人々であったことを
忘れてはならないとおもいます。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、
アイヒマンという人間を告発し
ただ悪者にするだけで終えてしまったならば、
そして、自分が何を考え、何を大切にし、
どう生きていきたいのかを持つことなしに、
「なんとなく」の思考や行動、
まわりに流され傾倒していく人間ばかりが
この世に溢れるようになったならば、
人間は、また同じような過ちを
繰り返しかねないのではないでしょうか。