森下典子『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15の幸せ』より(今日の名言・その67)
2023/12/05
会いたいと思ったら、 会わなければならない。 好きな人がいたら、 好きだと言わなければいけない。 花が咲いたら、祝おう。 恋をしたら、溺れよう。 うれしかったら、分かち合おう。 幸せな時は、その幸せを抱きしめて、 百パーセントかみしめる。 それがたぶん、人間にできる あらんかぎりのことなのだ。
※森下典子『日日是好日「お茶」が教えてくれた15の幸せ』より
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久しぶりの「今日の名言シリーズ」となりましたが、
今日は、ベストセラーで映画化もされた
森下典子さんの
『日日是好日』からの言葉を。
無作法者のわたしは
茶道を習ったことはありません。
よって、そんなわたしが
茶道についての蘊蓄を語る資格などありませんから、
ある人が茶道について語っていた言葉を
以下、ご紹介することにしました。
茶道のお稽古では、
決まった型どおりに
手や足を動かさなければならないので、
動きが制限されることになります。
どこで、何を言うか、
いつ、何を準備するかも決まっています。
したがって、そこに集まる人はみな
「我」を限りなくゼロにして
「場」に集中することになります。
つまり、すべての所作が決められているので、
ふだん無意識に動かしている身体に、
自然と意識が向くことになっていくのでしょう。
ところが、そんな風に
型どおりに身体を動かそうとしても、
最初はアタマで考えてやろうとするから、
意外と動かせないものなんですね。
たとえば、スポーツなどでも「我」を消して、
「場」に集中していく要素はあるんですが、
野球で言えば、バント(犠打)はまさにそれです。
自分がどうしたいかではなく
チームのために
自分がどう動くべきかを考えて、
そこに己を合わせていく。
つまり、すべての動作を
型どおり行おうとすることは、
オレがオレがという「我」を
消すことでもあるわけなんですが、
それが結果的に
「己」を活かすことにつながるんですね。
型どおりに動こうとすると、
最初は、歩くだけでも
めちゃくちゃぎこちなくなります。
人に見られていることを意識してしまうと、
更におかしくなります。
ところが、何度も何度もお稽古を繰り返して
型になれてくると、
次第に意識しなくても
手足が自然に動くようになっていきます。
所作が完全に決まっているので、
アタマで考えなくても
その型どおりに動けるようになると
心に〝自由〟が生まれます。
「あれは失礼かな、これは失礼かな」と
ふだん余計な気を遣って疲弊している人も、
型を身につけることで、
気を遣わなくてもよくなるからです。
型を守ることで、礼儀から解放され、
我にふりまわされず、心に自由が生まれ、
一人の人として、いまに向き合うことが
できるようになります。
そして、そういう〝個〟が集まった時に
初めて場が生まれ、
いま、ここで人と人とが触れ合うことができます。
それが、本来の茶会だったんですが、
残念ながら現代では、
99パーセント形骸化してしまいました。
指導している先生自身が、
そもそも茶とは何かが
わからなくなっているんですね。
それでも、型の中にちゃんと心が残されている。
そうした理を知らなくても、
型から学べるしくみを作ったのが、
千利休という人だったと言ってよいでしょう。
※写真は宣伝会議の次の記事より拝借しました
『日日是好日』の作者が語る、茶道を通じて気づいた人生の豊かさ
【関連参考記事】
・〝自分〟を意味する漢字になぜ「我」と「己」があるのか(つぶやき考現学 No.81)
・川上不白「守ハマモル、破ハヤブル、離ハはなると申し候」(今日の名言・その58)
【この半年間に投稿した「今日の名言」シリーズ】
・ハンナ・アーレント「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です」(今日の名言・その66)
・TVドラマ鈴木先生「体験は人間性を磨く上での貴重な教材だ。」(今日の名言・その65)
・ベートーヴェン「つねに行為の動機のみを重んじて帰着する結果を想うな」(今日の名言・その64)
・スヌーピー「配られたカードで勝負するしかないのさ」(今日の名言・その63)
・映画『シェルタリング・スカイ』より「満月が昇る姿をあと幾度見るだろう?」(今日の名言・その62)
・映画『マトリックス』より「これは最後のチャンスだ!青い薬を飲むか、赤い薬を飲むか?」(今日の名言・その61)
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