日本の教育が変わらない原因は?(つぶやき考現学 No.95)
2023/12/27
日本の教育がなかなか変わらない原因のひとつは
教育改革をしようとする人自身が
誰よりも教育的だったことがあるかもしれません。
たとえば、その人がどんなにスバラシイと
自負するような教育改革であっても、
それが正しい結果をもたらすかどうかは
やってみなければわからないはずなのに、
それを上意下達的に伝えようとしたり
何の疑問ももたずに
推進したりすることができてしまうこと自体が
そもそも本末転倒なのではないでしょうか。
自分が正しいとおもっている人が先頭に立って
教育を一方的に改革しようとするのであれば、
教育がいつまでたっても変わらないというのは
自明の理であるのかもしれません。
言い換えれば、
どんな問題も人の問題に還元しまうこと、
つまり、良くない結果が出たときは、
それを推進した人が
責任を取って辞めるということで
ケリをつけるようにしている
システムの問題もあるでしょう。
よって、もし教育改革を
本気で実践しようとするなら、
そうしたシステムを成り立たせている
〝人と人との関係性〟そのものが
自ずと変わっていくようなアプローチを
根底におくことが必要だとおもうのです。
わたしの実践している〝教えない教育〟が
わかりにくい面をもっているのは、
目に見える教えるコンテンツよりも
見えない〝人と人との関係性〟の方に
着目しているからだとおもうのですが、
結果として、ファシリテーションという
テーマの学習ガイド役を、
教育現場のみならず、企業、行政、NPOなど
さまざまなセクター、フィールドから
要請されるようになったのは、
必然的なりゆきだったかもしれません。(2015.12.27)
※井上淳之典のつぶやき考現学 No.95
COMMENT:主知主義と主意主義をテーマに
政治家の裏金問題やダイハツの不正問題に
触れました。
シェアした東洋経済の記事内で
山口周さんが指摘されていたように、
「ある集団の常識は、ほかの集団の非常識」なので、
狭い世間内だけで通用するような掟を
意識しながら行動するような人間にとっては、
それが社会という「広い世間」の常識と
異なることに気づくことは難しく、
そうした事件はこれからも
きっと後を絶たないことでしょう。
この続きはまた明日に!
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