亡き父の誕生日に想う自分のルーツ
2024/02/06
今日2/6は、1996年に65歳で亡くなった
わたしの父の誕生日です。
生きていれば父は今日で
93歳になっていました。
わたしも今年9月に誕生日を迎えると
父が亡くなったときの年齢になりますから、
もう、いつお迎えが来るかわかりませんね。(^^;)
昨日2/5は長男29歳の誕生日だったんですが、
父は長男が生まれてすぐ、
1歳のときに亡くなったため、
長男は自分の祖父にあたる父を覚えていません。
でも、父は自分の誕生日と一日違いの日に
自分の孫が生まれたことを
とても喜んでいました。
わたしの父の父親、つまり父方の祖父は
歌舞伎役者でした。
といっても、マスメディアのない時代ですから、
いわゆる旅芸人として、
諸国を巡業していたようです。
父が小学5年の時に祖父は亡くなっていて、
わたしは写真でしか祖父を見たことがありません。
父は昭和6年(1931年)生まれでしたが、
その年代の人にしては珍しく
ギターやアコーディオンを演奏する
音楽好きな人だったのは、
おそらくは芸人であった祖父の血を
引き継いだからでしょう。
また、一時期は音楽家になりたいとまで
おもってしまうほど音楽にめり込んだわたしも、
その流れにあると言えるかもしれません。
ピアノや音楽が縁で知り合った妻は、
フラとウクレレを指導する仕事をしていますし、
義弟(妻の妹の連れ合い)は
和太鼓集団〝まんまる座〟の座長をしていて、
妻の妹も音楽を仕事にしている人です。
TVドラマを観ていても、
脚本や演出という裏方の仕事に
ついつい関心が向いてしまいますし、
昨年12月にはこのブログで
AV監督二村ヒトシさんとの出会いについて、
10回以上にわたって記事を書いたんですが、
そういう方たちとご縁というのも、
もとをたどれば祖父に行き着くようにおもうのです。
ところで、「歌舞伎(かぶき)」の語源は
「傾く(かたむく→かぶく)」で、
どっちかに偏って真っすぐではないさまのことです。
そこから転じて、人生を斜(しゃ)に構えた人、
身なりや言動が風変わりな人や
アウトロー的な人などを
「かぶきもの」と呼んだわけです。
つまり、「かぶき」とは、
「かぶく人たちのかぶく芸」のことで、
「歌舞伎」という漢字は、
後に国語学者が充てたものです。
「歌舞」は、文字通り歌と舞で、
「伎」は演技、技術の技と同義なのですが、
伎ひと文字で役者を意味するそうなので、
歌舞伎とはまさに、
「歌と舞踊と俳優で作るエンターテインメント」
となりますから、
宛て字とはいえ見事な表現ですね、
いまわたしは芸事を職業としていませんが、
教育という違ったフィールドで仕事をしながらも、
10代半ば頃からアートに触れてきたことの影響を
感じることがしばしばです。
進学塾専任講師という
企業セクターの仕事から始まりながらも、
寺子屋塾を起業して以後は、
非営利活動や地域づくりに関心をもち、
「教えない教育」「セルフラーニング」という
オーソドックスな教育とは
異なるスタイルに
変化していった経緯を振りかえってみると、
おそらくその根底に、
「かぶきもの」の精神が横たわっているのでしょう。
それは、間違いなく祖父や父から
わたしが引き継いだものであるし、
肉体としての祖父や父は死んでしまっていても、
今もなおわたしという人間の身体の中で
生きているようにおもうのです。
妻もわたしもこどもたちに音楽をやることを
積極的に奨めたわけではないのですが、
長男は小学6年のときに
自分から太鼓をやると言い始めて
まんまる座の座員となり、
次男も中学2年のときに
デビューステージを果たしました。
そして、その次男が太鼓でステージに立った頃
今更のようにおもい出して
大変驚いたことがあります。
わたしは大学へ行っていなくて、
高校も普通科でしたから、
25歳で教育の仕事に関わるようになったのは、
まったくの偶然で、
成り行きまかせの結果でしかないと
長い間おもっていました。
でも、もしかすると、そうではないんじゃないかと
考えを改めなければいけない父の言葉を
おもい出したのです。
それは、歌舞伎役者だった祖父のつれあい、
つまりわたしの祖母にあたる人は、
名古屋第一高女の師範科(いまの菊里高校)を出て
学校の先生をしていたことがあったそうで、
祖父とは名古屋に巡業しているときに知り合って、
駆け落ちをして一緒になったんだ、と。
祖母がいったいどんな場所で、何を教えていたのか、
どんな先生だったのかまでは
聞かされなかったので、
父が亡くなってしまったいまとなっては、
それを確かめることは叶いません。
でも、いま自分がしていることや、
自分が選んでいるとおもっていることであっても、
それは実は、先祖代々の人々の想い———いや別段、
血が繋がっていなくともいいんですが、
亡くなった多くの先人たちの想いが
今も脈々と生きていて、
そうした想いが自分に
そのようにさせているんじゃないかと。
人間はいま自分が生きているうちに、
こうしたいああしたい、自分の目の黒いうちに
何とかしなければ・・・と考えがちですし、
何らかの成果を残すことに
価値を置く人も少なくありません。
でも、そんなに気張る必要はなくて、
いまおもっている夢や希望が、
自分が生きている間に実現せずに終わったとしても、
後世の誰かがいつか形にしてくれるかもしれない。
とすると、何を為したかではなく、
日々どんな心持ちで、
どのように生きているかという
そのプロセスそのものが大事なのかな、と。
そうした脈々とした一人ひとりの
想いの連なりというものが、
もしかすると人間の歴史なのかもしれません。
亡き父の誕生日になると
いつもこんなことをおもっているわたしです。
※旧ブログ〝往来物手習い〟に
2012.2.6に投稿した記事をリライトしました
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