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マイケル・ポランニー『暗黙知の次元 言語から非言語へ』

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マイケル・ポランニー『暗黙知の次元 言語から非言語へ』

マイケル・ポランニー『暗黙知の次元 言語から非言語へ』

2024/02/07

今日は読書の話題を。


マイケル・ポランニーは、ユダヤ系ハンガリー人で、

物理化学の分野で

ノーベル賞候補にも目されるほどの

すぐれた業績を残しながら、

58歳のときに、突如として

社会学、哲学分野に転向したという

非常に珍しい経歴を持つ人物です。

 

 

ただ、日本ではそれほど著名ではないので、

わたしが彼のことを紹介するときには、

アインシュタインを引き合いに出せば

すこしは伝わりやすくなるかもと考え

「マイケル・ポランニーは、アインシュタインが

 物理学の世界で成し遂げた革命的業績を、

 社会学の分野でやろうとした人物」

話すようにしているんですが。。

 

そういえば、以前このブログでは、

「今日の名言シリーズ」で

彼の言葉を取りあげたことがあったので、

未読の方はぜひアクセスしてみてください。

マイケル・ポランニー『科学は観察の拡張』(今日の名言・その26)


本書は彼の研究テーマを

最もコンパクトにまとめたもので、

分量的にはそれほど多くない薄い本です。

 

ただ、薄いからといって読みやすいわけではなく、

知識の理論から生物学、自然哲学、心理学、社会学、

人類学、文明論など非常に広範な分野の諸学問を

有機的に関連づけながら言及されているので、

薄いからこそ、逆に

理解するのは易しくありません。

 

とは言え、難解といっても、

あくまで大脳思考次元の話ではあるので、

大脳思考とは異なる次元の能力を

目覚めさせようとするという意味で言うと、

本書を読む行為自体が、

良い鍛錬になり得るようにも感じています。

 

わたしもポランニーに初めて触れたのは20代の頃で

たぶん、ポランニー兄弟の研究者である

栗本慎一郎さんのガイド無しに

いきなり読んだら

趣旨を汲み取ることは難しかったことでしょう。


本書の内容を最も端的に示している一文は、

「私は人間の知を再考するにあたって、

 次なる事実から始めることにする。

 すなわち、私たちは言葉にできるより

 多くのことを知ることができる。」(文庫版p.15)

 

この、

言葉で知ることができることよりも、

より多くのことを知っているっていうのは、

いったい、どういうことでしょうか。

 

たとえば、テレビを観ている多くの人なら

キムタクの顔と

さんまさんの顔を見分けることが

できますよね?

 

でも、どうして見分けることができたかを

キムタクの顔とさんまさんの顔を知らない人に

言葉で語ることができますか?

 

たぶん、できないでしょう?

 

つまり、本書は、ウィトゲンシュタインが

「語れないことは、沈黙しなければならない」と

『論理哲学論考』で示した

言語の限界を受けつぎ

発展させたものとも言えるし、

マイケルは〝いのちのはたらき〟という視点に立ち、

「人間が知識を得るプロセスは、

 言語のような明示的な形で

 捉えられるものだけではない」ということを、

「暗黙知 (tacit knowing)」として

示しているわけです。

 

最後に引用した部分に書かれているとおり、

この「暗黙知」には、非言語的要素・・つまり、

身体のはたらきが大きく関与していて、

そしてさらに言うなら、こうした考え方を

教育分野に応用しようとしているのが、

わたしの寺子屋塾での実践でもあります。

 

え? わかりにくいですか? 

「非言語的要素」とか

「身体のはたらき」とか・・・難しい?

 

たとえば、いま目の前にある

数学の問題を解いているとしましょう。

 

でも、あなたは、その問題の解き方を

先生に教えて貰わなくても、

本来は、もともと知っているし、

その問題を解く能力はもともと備わっているので、

それをおもいだすというか、

素直にそのまま発揮するだけでいいのです。

 

それなのに、なぜ目の前にある問題の

解き方がわからなかったり、

答を間違えたりするのかというと、

言葉の知識としてアタマに詰め込んだことや、

「自分は〜ができない」「わたしは〜が苦手だ」

というおもいこみの方が作動してしまって、

本来知っているはずの解き方が

使えないようフタされてしまっていたり、

その問題を解くのに

必要のないような余計なことまで

アレコレ考えてしまったりして、

もともと備わった能力が自然に発揮されることを

自ら妨げてしまっているからなのです。

 

「え〜 そんなことって本当にあるの?」

っておもいますか?

 

まあ、マユツバな話かもしれません。笑

 

でも、赤ちゃんは、生まれたばかりでも、

お母さんのオッパイを吸うことができます。

 

それって、オッパイの吸い方を教えたからですか?

違いますよね?

言葉で教えようにも赤ちゃんに

言葉はわかりませんからね。

 

実はそれと一緒なんですよ。

 


わたしが最初に本書を読んだのは、

1980年に紀伊國屋書店から出た

左側の佐藤敬三さんの訳された単行本でしたが、

現在では2003年にちくま文庫から出された

右側のよりわかりやすい新訳版が手に入るので、

初めて読まれる方はこちらの方を

オススメします。

 

ただし難解であることには変わりがないので、

マイケル・ポランニーを読まれるのなら、

原書にあたる前に

栗本慎一郎『パンツをはいたサル』など、

マイケルのことを易しく解した著作から

まず読まれることをオススメします。

 

以下は第1章「暗黙知」からの引用。

 

(引用ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生理学者らははるか以前に
次のことを立証済みである。


人が対象を見るときの見方は、
その身内に生起する特定の努力、
しかも当人には
それ自体として感じることのできない
努力を感知することによって決まる。


私たちは、注目している対象の
位置、形、運動を介して、
そうした自分の身内で進行している
事態を感知する。


言い換えるなら、
そうした内部のプロセスから
外部の対象が有する諸性質に向かって
注意を移動させているのだ。


この諸性質は、身体的プロセスが
私たちに示す「意味」なのである。


こうした身体的経験が
外部の対象の知覚へと転位される事態は、
意味が私たちから転位していく事例であり、
すべての暗黙的認識において、
ある程度は出現する事態なのである。

 

マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』第1章 暗黙知 より
 

 

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