いまは亡き父の命日(3/13)にいつも想うこと
2024/03/13
わたしのプライベートな話題になりますが、
3/13は1996年に65歳で亡くなった
父の命日です。
今年は2024年ですから、
もう四半世紀以上も前の昔話なんですが。
それで、旧ブログ「往来物手習い」に
わたしが父から生前に聞いたエピソードを
書いたことがあったんですが、
今も教室にやってくる塾生などに
話す機会が少なくないので、
今日の寺子屋塾ブログはその話を。
父は満州事変の起きた
1931年(昭和6年)に名古屋で生まれたので、
終戦の年1945年には14才でした。
当時は学徒動員でかり出され、
熱田区にあった愛知時計電機の船方工場で
少年工として働いていました。
6月のある日、父は工場に行きたくなくて、
仕事をさぼって公園で昼寝をしてたそうです。
ところがその日、工場は米軍の直撃を受け、
わずか8分の爆撃で全焼!
1945.6.9の爆撃で壊滅した愛知時計電機の工場
まじめに工場で働いていた同級生の
ほとんどが亡くなり、
なんと父のように不まじめに仕事をサボった人間が
生き残ったのです。
結局、その日6/9は、名古屋への空襲で
最大の2000名を超える死者を出した
熱田大空襲の日になったのでした。
「九死に一生を得る」とか
「人間万事塞翁が馬」’というのは、
まさしくこんな事を言うのでしょうが、
それにしても本当に人生とは
何が起きるか判らないものです。
その日、もし父がまじめに工場に出勤していたなら、
わたしは父の子どもとして生まれることは
なかったでしょうから。
「親孝行したい時に親はなし」といいますが、
わたしもそんなことわざを耳にすると
心が痛む親不孝息子です。
かく言うわたし自身、今年の誕生日を迎えると
父が亡くなった歳65才になりますし、
還暦を過ぎた頃からは、
自分に残されている時間について
考えることも増えました。
とはいえ、考えたところで
どうなるものでもありませんから、
いつお迎えがやって来ても悔いのないよう
日々を精いっぱい生きるしかないのですが。
親さんが健在な皆さんは、
生きているうちに孝行してくださいネ!(^^)/
ちなみに、父は2/6が誕生日だったんですが、
今年はその日にちなんで記事を投稿したので、
未読の方はそちらも是非ご覧ください。
【参考記事(外部リンク)】
※冒頭の写真は亡き父の蔵書から1990年に出版された
貴重な6.9熱田空襲の爆撃体験記
※旧ブログ往来物手習いに
2006.3.13投稿した記事をリライトしました
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